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日本の統治の素晴らしいところの1つに、一宗教の介入を許さなかったというのがあります。天皇の存在も影響していると思いますが、もともと日本人は、多くの自然神を崇拝してきました。
 
「政教分離」これ、すっごく大切です!
 
聖職者を政治に介入させると、ろくなことがありません。
彼らの多くは、ロジカルな思考ができません。
「神仏」の名のもとに、自己の主張を正当化し、私腹を肥やそうとします。
 
かつて、桓武天皇は、平城京から平安京に都を移しました。
その理由は、道鏡などの大きな権力をもった僧侶や寺院の勢力を、排除するためでした。
 
院政時代の上皇も、比叡山の僧侶の政治介入には辟易していたと、文書に残っています。
 
私は、大学時代に西欧中世史を学んで、キリスト教聖職者の腐敗っぷりと社会に及ぼした悪影響を調べたので、宗教が政治に介入するとろくなことがないと確信しています。
 
ちなみに、悪名高いイエズス会のキリスト教(カトリック)も、日本では豊臣秀吉が禁教し、徳川家康が天草・島原の乱で完全にぶっ潰してくれました。特に布教活動を目的としないプロテスタントのオランダとの交易は許可したという、幕府のやり方が素敵です。
 
ちなみに、私は無宗教者です。
 
個人が何かの宗教に入信するのはその人の自由ですが、国が1つの宗教に傾倒するのは非常に危険なことだと、私は思っています。
 
織田信長は、数々の偉業・悪行を成し遂げましたが、「比叡山焼き討ち」は、その悪行の最たるものと思われがちです。
 
でも、当時の延暦寺がどんな組織だったのか、あなたはご存知でしょうか?
 
信長は、武装した僧侶だけでなく女子供にいたるまで首を打ち落としたといわれます。このとき、僧侶相手に商売をしていた町人や遊女も皆殺しで、その数は延べ3,000~4,000人といわれます。
 
ですが、そもそもなぜ修行の場である寺に、「女」が出入りしていたのと思いませんか?
 
仏の道を極めようと修行にいそしむ僧侶のいる寺に、多くの女性が出入りしているというのはおかしくないですか? 敬虔な宗教心のある僧は、当時の延暦寺にいたのでしょうか?
 
そのあたりから、検証していきます。

 

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武闘派集団「延暦寺」

 

 
比叡山延暦寺は、都の鬼門(北東)に位置し、国家鎮護、仏教信仰の聖地として、これまで武家からの支配を一切受けてきませんでした。
 
そして、山内には400を超える堂塔や坊舎が建ち、自衛のためという名目で、「僧兵」と呼ばれる武闘集団を抱えていました。
 
つまり、治外法権と武力を持っていたということです。
 
聖職者が国家権力に対抗できるほどの力を持つと、ろくなことがありません。彼らは、「仏罰が下る」など神仏への怖れの気持ちを芽生えさせることで、敵対者を服従させようとします。人間の恐怖心を利用するところが、聖職者のもっとも厄介なところです。
 
延暦寺の僧は、寺の利益を主張して朝廷に押しかけ、デモを行うこともあったのですが、朝廷も黙認していました。また、肉食、飲酒、女色をむさぼるなど堕落した生活を送り、多くの僧は山ではなく坂本の町で暮らしていました。
 
このように、戦国時代の延暦寺では、僧にあるまじき行為が蔓延し、腐敗しきっていたのです。
 
合理的な信長から見れば、彼らは「僧侶(聖職者)にあらず」だったでしょうね。

 

畿内の敵対勢力の拠点を潰すため

 

 
田信長が、比叡山焼き討ちを行ったのは、1571年です。
当時は、信長の勢力の拡大を恐れた各地の大名たちが、信長包囲網を結んでいた時期です。
 
比叡山は、信長に敗れた反対勢力の浅井長政・朝倉義景を、領地内にかくまって保護していました。
 
また、京を含む近畿を平定しようとする信長にとって、都の北東に敵対勢力の大きな軍事拠点があるのは、大きな問題でした。比叡山は、畿内の一向一揆を裏で煽動したり、信長の敵対者に金銭的・軍事的援助を行ったりしていたのです。

 
 

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商業と宗教の分離を達成するため

 

 
当時は、全国的な通商の庇護・監督者がいなかったので、物流は非常に不安定でした。
 
商業の利権は、その土地の力の強い者が握っていました。
畿内では、それを握っていたのが比叡山だったのです。
 
比叡山は、京へ出入りする商人などから、勝手に通商税を徴収していました。
 
経済の発展を考えると、流通の阻害は由々しき問題です。
信長は、この通商の利権を奪うために、比叡山の勢力を殲滅しようと考えたのです。
 
つまり、この比叡山焼き討ちは、商業を宗教から分離独立させるという、明確な目的があったのです。
 
そして、これは非常に象徴的な出来事となりました。
 
この事件によって日本が、経済だけでなく、政治と宗教を切り離す政教分離もほぼ実現したからです。

 

おわりに

 

 
 
自分たちの背後には「仏」がいると公言し、傍若無人なふるまいをしていた延暦寺は、信長によって、その権威をぶっ壊されました。
 
織田信長はそれまで朝廷すら手を焼いていた寺社への攻撃・僧侶の殺害を徹底的に行うことで、敵対する者は神仏であろうと容赦しないと、知らしめたのです。
 
信長に制圧された宗教勢力(比叡山、一向一揆など)は、その後一気に勢力が弱まります。
 
あああああ、すっきり!
 
これで、日本の「政教分離」が、確固たるものとなりました。
 
「仏罰が下る」と脅されても、「お前たちのどこが、聖職者なのだ?」と言い放つ合理的思考ができた信長を、すごくかっこいいと思います。
 
日本人は、私もそうですが、宗教に対して冷めた目をしている人が多いです。
 
合理的なだけでなく、多角的な視点で物を考えるためにも、こういう姿勢は非常に大切だと思います。

 
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