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こんにちは。
 
 
「源平の合戦」は、数々の物語や個人の日記に、記録として残されています。
 
 
中でも、特に興味深く書かれているのが、『平家物語』ですね。
 
 
ちなみに、もう1つのよく知られている『源平盛衰記』は、『平家物語』の異本といわれますよ。物語として大衆に広まった『平家物語』に比べると、歴史を詳細に再現しようとする傾向が強いです。
 
 
『平家物語』は、あくまで物語なので、史実と異なるところや、兵の数など大げさに書いている所も多いです。
 
 
だからこそ、面白いともいえるでしょう。歴史は人!
ただの記号のように覚えても味気ないだけです。
 
 
物語のあらすじをたどることで、なぜ、こういう風に事が運んで行ったのか、推測できることも多いです。
 
 
今回は、広く知られている『平家物語』の特徴をお伝えします。

 
 

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勧善懲悪で済まさない日本人の感性

 

 
「源平の合戦」は、その後の義経討伐まで含めて、歌舞伎や能、お芝居、平曲などをとおして庶民にも知られていきました。
 
 
俊寛、敦盛、直実、義経などは、歌舞伎の演目で、江戸時代にブレイクしてます。
 
 
『平家物語』は、「おごれる平家も久しからず」という諸行無常の教訓話にもなってますが、「平氏=悪」という単純な勧善懲悪の世界ではないところに、日本人の感性の奥深さを感じます。
 
 
敗者への情と鎮魂・・・
 
 
それは、そのまま勝者でありながら討たれた源義経へのレクイエムとなって終わります。
 
 

 
 

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『平家物語』の作者はだれ?

 

 
『平家物語』と言えば、琵琶法師による伝承で、民間にも広く知られたという印象が強いですね。
 
 
でも、あの物語は、あちらこちらに伏線がはられていて、小説としてすごくよくできていると思うのです。面白いです。軍記物語として、群を抜いています。
 
 
成立年は、おそらく鎌倉初期ですが、よくわかっておらず、作者も諸説あります。
 
 
現存している諸本は、紙に書かれた「読み本」(大衆小説)として広まったものと、琵琶法師による「語り本」として伝わったものの、2つの系統があります。

 
 

「読み本系」の作者はだれ?

 

 
読み本の作者として有力なのが、鎌倉時代初期の信濃前司行長が書いたという説です。
 
 
もしも彼が書いたのだとしても、それはあくまで大筋の話で、『平家物語』はその後、南北朝時代までに、大幅な増補改修が行われています。
 
 
始めは全3巻だったのが、6巻(延慶本)、12巻(八坂本)、20巻(長門本)などいろいろ派生しながら、他の人が書き足して、完成させていったのです。

 
 

「語り本」は琵琶法師によって継承

 
当時の琵琶法師の語りがどんなものだったのか、私は知りませんが、今でも、こういう形で伝わっているようですよ。
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「語り本」は、盲目の琵琶法師によって、琵琶を弾きながら語り伝えられました。
 
 
彼らは諸国を流浪したため、「源平の合戦」の話は、地方にも広まっていったのです。音楽に合わせて節をつけて語ったそれを「平曲」と呼びます。
 
 
織田信長が本能寺で最期に舞ったといわれる「人間50年~♪」の「敦盛」も、「平曲」ですよ。
 
 
こうして、たくさんの語り部によってアレンジされながら、この日本を代表する軍記は、広く長く伝わっていたのです。

 
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