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こんにちは。
 
2018年大河ドラマの原作「西郷どん」
 
 
幕末ということで、登場人物のキャストやストーリー展開が気になります。
林真理子の原作本は、2種類販売されていますよ。
 
 
ハードカバーは全2巻(1836円×2冊)
ソフトトカバーは全3巻(1000円×3冊)です。
 
 
私は、並製(ソフトカバー)を買いました。
 
 
上巻を読んだところで、まずは感想をお伝えします。
ネタバレありです。注意してください♪

 
 

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始まりは京都市長になった息子の回想から

 

 
書き出しは、明治37年、西郷隆盛の次男・菊次郎が京都市長に就任するところから始まります。
 
 
プロローグのような形ですね。
 
 
宴会の後、飲み直そうということで、聖護院の家に戻り、そこで「西郷隆盛の話を聞かせてください。」と請われて、西郷隆盛の幼少時代へと展開していきます。

 
 

とにかく貧しい西郷家

 

 
西郷家は、下級武士で、家屋敷と畑はあるものの、とにかく貧しい生活だったというのが強調されています。
 
 
お米はほとんどなくて、主食は蕎麦、粟、芋、麦、着物は祖父のお下がりで吉之助(西郷隆盛)にはかなり小さかった、食べるのに困って、とうとう商人から父が200両借りたけれど、返済のめどが立たなかったなどなど、貧乏エピソードいっぱいです。でも、なぜか吉之助は肥満体。
 
 
そして、そんなに貧乏なのに、母が40過ぎても子供を産んでいるのにびっくりです。
余計に首を絞めることになるだろうー!
 
 
何人産んでるねん、体力ありすぎと思ってしまいました。
貧しい武士や農民が、ぽこぽこ子供を産むのが不思議でなりません。
 
 
でも、その一方で、出産で亡くなる人も多かったでしょうね。
 
 
ちなみに、私は29歳のときに出産しましたが、多分、幕末の医療環境だったら母子共に死んでました。(←マジ)
もう、1人で十分です。
 
 
西郷家は、とても貧しかったのに、子供がどんどん生まれるので、家計は緊迫してます。最終的に、島津斉彬のお供として江戸に立つときも、あちらこちらからお金を用立ててもらって支度をしました。
 
 
「こん貧乏から抜け出すには、学問しかなか。」と考えるのも、納得なのでした。
 
 
当時の薩摩藩は、斉彬の曾祖父・重豪の蘭学かぶれで散財が過ぎ、ひどい財政難に陥っていました。それを立て直すために、父・斉興の代で、年貢の取立ての強化などをしていたのは確かなのです。

 
 

島津斉彬に会って感激!

 

 
島津歳久という過去の名君が祀られている心岳寺に詣でるため、険しい山道を上っていた吉之助(←西郷隆盛の幼名)たちの前に、数騎の馬がかけてきました。
 
 
その中の1人が、彼ら一行に声をかけてくれたのです。二才(にせ・年長者)の有馬一郎が、声を震わせながら答えました。
 
 
その人こそ、西郷隆盛が敬愛してやまない、後の薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)だったのです。その日から、斉彬は吉之助の憧れの人になりました。
 
 
ちなみに、このとき一緒にいたのは、同じ郷中の青少年たちでした。
 
 
西郷隆盛の出身の下加冶屋町は、大久保利通・大山巌・東郷平八郎など、幕末から明治にかけて名を残した人物を多く輩出した町だったのです。

 
 

1人目の妻が不憫すぎる

 

 
吉之助が26歳のとき、縁談がもちこまれます。
相手は、同じ家格の21歳の須賀(すが)という女性でした。
 
 
子沢山貧乏の西郷家に嫁に来るのをOKしたなんて、何かあるのではと吉之助は思います。彼女は天然痘にかかり、痘痕(あばた)が残っていたのでした。当時は痘痕の娘はきずもののように扱われていたので、吉之助は不憫に思いましたが、その縁談を受け入れます。
 
 
そして、お互い初めて会ったのが婚礼の席でした。
 
 
でも、それからすぐ、吉之助の祖父が亡くなります。
そして、その2か月後には、父が病死します。
そして、またその2カ月後に、今度は母が病死します。
 
 
3人とも労咳(肺結核)でした。
 
 
嫁に来てから、立て続けに家の大人が3人もなくなり、弟妹がわんさかいる西郷家の子供たちの面倒をみなければならなくなった新妻。
 
 
女中か? しかも、極貧。
苦行です・・・・
 
 
その上、ひどいことに、吉之助とは、一度も夜を共にしていません。なんてこったい!です。
 
 
そして、最終的に数年後、吉之助が斉彬の共で江戸に旅立ってしまい、離縁となります。おしまい。
 
 
苦労しに来ただけじゃん、この人。
可哀そうすぎます。
 
 
大河「西郷どん」のキャストに、今のところ須賀役はいません。妹の琴、弟の吉二郎役はいるのに。この人を描くと西郷家の好感度が下がるので、ドラマでは描かれないのかもしれませんね。
 
 
林女史は、彼女の心理描写を、ほとんどしていません。それでなおさら、印象のぼやけた哀れな女に映るのでした。

 
 

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「お由羅は悪女!」の思い込みが激しすぎ

 

 
吉之助は、とにかく斉彬を敬愛しています。
 
 
そして、斉彬の父・斉興(なりおき)が、いつまでたっても藩主の座を斉彬に譲らないのは、側室・お由羅のせいだと思いこんでいました。斉彬の子供の多くが幼くして亡くなるのは、由羅が呪詛をかけているといううわさも、信じています。
 
 
お由羅は江戸の女性で、薩摩の人から見るとよそ者だったのでしょう。でも、斉興にしてみれば、江戸育ちで曾祖父っこだった斉彬より、由羅の子の久光のほうが可愛かったのかもしれません。
 
 
斉彬は曾祖父の蘭学かぶれに影響を受けているので、やっと立て直りつつある藩の財政が、再び傾くのを懸念していたともいわれています。
 
 
いずれにせよ、「嫡男VS父・側室の子」という対立の中で、「お由羅騒動」が起こってしまうのです。この騒動で、多くの斉彬派の武士が粛清されました。
 
 
その中には、吉之助と縁の深い赤山靭負(ゆきえ)(切腹)や大久保利通の父(遠島)も、含まれていました。
 
 
吉之助は、「あの女のせいでー!!」と怒り心頭です。
 
 
でも、本当に由羅さんのせいなんか?
実際には、男たちの権力闘争に利用されてたような感じもしますよ。
 
 
とにかく、思い込みの激しい吉之助は、こうしてお由羅とその子・久光が大・大・大嫌いになっていったのでした。

 
 

江戸で斉彬の「お庭方」に就任

 

 
斉彬が再び江戸へ行くとき、吉之助もそのお供に選ばれました。
吉之助は、斉彬に当てて数回、「意見書」を出していました。
 
 
それを読んでいた斉彬は、身分の低い吉之助と直接話ができる「場」を設けようと考え、新しく作ったのが「お庭方」という役職だったのです。そうして、屋敷の庭の手入れをしている吉之助に斉彬が話しかけるという形で、直接交流できるようになりました。
 
 
そうするうちに、吉之助は斉彬から、将軍家に輿入れする篤姫のことを頼むと命じられます。
 
 
篤姫の婚礼の翌年(1857年)、斉彬は薩摩に戻りました。吉之助も一緒です。
 
 
そして斉彬は薩摩の近代工業化を促進し、さまざまな研究を進めていきました。

 
 

おわりに

 

 
上巻は、ゆっくり読んで2時間ほどで読み終わりましたよ。
すごく読みやすくて、分かりやすいです。まだ幕末の混乱期の前ですしね。
 
 
でも、淡々と伝える作風なので、文章から「熱」が感じられないというか、臨場感に欠けるように感じました。(上巻だけの感想です)
 
 
このままドラマ仕立てにする(脚本)と考えると、分かりやすくてよいのではないかと思いますよ。

続きのネタバレレビューはこちらです。
    ↓


 

 

 
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