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こんにちは。
 
 
薩摩で起こった跡目争い「お由羅騒動」は、多くの藩士たちの運命を狂わせました。
 
 
その一人が赤山靱負(あかやま ゆきえ)という人物です。
 
 
2018年大河「西郷どん」では、沢村一樹さんが演じられます。
 
 
彼は、あまり知られていない人物ですが、その死が西郷隆盛の島津久光嫌いの大きな原因の1つになったといわれています。
 
 
勢力争いのため、なんの罪もないまま27歳で切腹になった赤山靭負の無念さが、22歳の西郷隆盛の心に刻み込まれたのは確かでしょう。

 
 

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名門日置島津家の出身

 

 
赤山靱負は、1823年2月27日に生まれます。
名門の家の出で、島津斉彬を次期藩主にと尽力した人です。
 
 
島津家は、藩主の下に「御一門」(薩摩藩主の直系子孫)と呼ばれる「四家」があり、さらにその下に、一所持(いっしょもち)と呼ばれる家があります。「一所持」は、島津家一族や島津家の重臣で形成されていて、全部で17家あります。
 
 
赤山靱負は、「一所持」の1つの日置島津家の第12代島津久風の次男として生まれました。その後、日置島津家第13代には、赤山靱負の兄の島津久徴(しまづひさなが)が就き、島津久徴は薩摩藩の家老職を務めています。
 
 
つまり、かなり家格の高い名門の出身です。
 
 
また、弟の桂久武は、この「お由羅騒動」で奄美大島に左遷されて、奄美大島の警護や鉱山管理を任されました。
 
 
 
久武は、この奄美で、流刑になった西郷隆盛と親しくなったのです。
桂久武については、こちらにくわしくお伝えしています。

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赤山靭負と西郷隆盛との関係は?

 

 
そんな名門の赤山靱負と下級武士の吉之助(西郷隆盛)の接点は、どこにあったのでしょう?
 
 
実は、直接かかわりあっていたのは、吉之助の父・吉兵衛でした。
 
 
西郷家は、父の吉兵衛が赤山家の御用人(用頼み)を務めていたため、古くから交流があり、吉之助にとって赤山靱負は、先生のような存在だったともいわれています。
 
 
そんな敬愛する先生が、藩内抗争の「お由羅騒動」に巻き込まれていったのです。
 
 
嫡男・島津斉彬を藩主にと押していた赤山は、お由羅・久光派の巻き返しによって、切腹を命じられました。
 
 
享年27歳、これからという時の無念の死でした。

 
 

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秋山の死が西郷隆盛に与えた影響

 

 
赤山靱負の切腹に、吉之助の父・吉蔵が立ち会ったといわれています。
 
 
その様子を見届けたうえで、切腹時に着ていた血に染まった着衣の片袖を自宅に持ち帰り、吉之助らに見せました。
 
 
これは、ショックを受けますね。多感な年齢だった吉之助は、その血染めの片袖を見て激怒します。
 
 
吉之助は、このとき22歳、まだ斉彬に取り上げられる前で、名もない下級武士の1人にすぎませんでした。この赤山の切腹で、吉之助の斉彬を藩主にと望む気持ちがいっそう強くなったのです。そして、お由羅・久光に対しては、憤怒というほどの強い嫌悪感を抱くようになりました。
 
 
これは、後に斉彬が急死し、久光が藩政を担うようになってからも、吉之助は久光の度量を認めず、ずっと不仲のままだったことからも分かります。

 
 

おわりに


吉之助(西郷隆盛)は、とにかく久光を嫌っていたようです。本人に直接、田舎者と言い放って憤慨させたことがあるほどです。無礼にもほどがあります。
 
 
でも、この「お由羅騒動」は、実際に久光がどれほど関わっていたかは分かっていません。斉彬廃嫡をもくろむ主導者は、父の斉興と家老・調所広郷でした。ですから、若年の久光はほとんど蚊帳の外だったのではないかと思われます。
 
 
最終的には、江戸幕府に太いパイプを持っていた斉彬が勝って藩主の座につき、父の斉興を隠居させることに成功します。このとき久光はおとがめなしでしたし、後に斉彬とは表面上であったとしても、良い関係を築いていました。
 
 
それでも、吉之助は久光が大嫌いです。
とにかく斉彬が博識聡明な素晴らしい藩主で、久光はその足元にも及ばないと思っていたようです。
 
 
好き嫌いが激しいというより、結構、心が狭いよねと思ってしまう私・・・。
 
 
もちろん、いろんな事の積み重ねがあったのだと思います。
 
 
でも、「お由羅騒動」で父親を喜界島に流され、3年もの間、収入が途絶えて貧困生活を送った大久保利通は、「久光の懐刀(ふところがたな)」と言われるまでの側近になっていきます。
 
 
同じ郷中で育ち、同じく赤山靱負を先生と慕っていたこの2人の考え方の違いが、対照的で興味深いですね。

 
 
西郷隆盛はかなり激情型の人だったと伝わりますが、それがこのあたりにも表れているのでしょうか。

 
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