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こんにちは。
 
 
「西郷どん」第2話です。
 
 
晩ごはんを食べそこないそうな予感( ̄▽ ̄)
後で食べますけど……。
 
 
どうでもよいことですが、わが家は週末は旦那が晩ごはんを作ります。
クリームコロッケを作るのだそうです。
 
 
それでは、第2話、行きましょう~♪

 
 

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18歳になった吉之助

 

 
1846年、元服して18歳になった小吉は、吉之助と名を改めて、郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)という、農政を司る役目に就きました。
 
 
吉之助は、井之上の補佐役で、稲の出来を見て年貢の徴収を行う仕事をしていたのです。
 
 
凶作で米がとれず、百姓たちは年貢を納められないと泣きついてきましたが、下っ端役人の吉之助にはどうすることもできません。
 
 
西郷家は、信吾が生まれて10人家族となりました。
相変わらず、すごい大家族です。
そして、貧乏なままでした。
 
 
大久保正助が紋付き袴姿で、登場です。
 
 
大久保は、下鍛冶屋町随一の秀才二才(にせ)として、記録書役助に就任したのでした。
 
 
ある日、仕事をしていた吉之助は、ふきという貧しい農家の娘が、借金のカタにつれて行かれそうになっているのを見ました。
 
 
吉之助は、借金取りの男に自分の給金を渡しましたが、それでは到底足りず、そこで、井之上の懐からお金をつかみ出して、男に渡して追い払いました
 
 
井之上はびっくりし困った顔をしましたが、吉之助に助かったとニコニコ頭を下げられ押し切られてしまいます。
 
 
自分の手当を人にあげてしまった吉之助を、吉兵衛は叱りました。
 
 
西郷家も貧乏で、弟妹はいつもお腹を空かせて待っています。でも、吉之助は手当を人助けに使ってしまうので、生活は全然楽にならないのです。
 
 
吉之助は、白い米が入った雑穀米のおにぎりを、ふきの家に持って行ってあげました。
彼ら一家は、米を作っているのに、1度も白いお米を食べたことがなかったのです。

 
 

斉彬と父・斉興の確執

 

 
久しぶりに江戸から帰国した斉彬が、父の斉興に報告しました。
「近日、大掛かりな西洋砲術の調練をいたすつもりです。」
 
 
お供の赤山靱負が、その内訳を記した文書を、斉興に差し出しました。
 
 
それに応えたのは、家老の調所広郷でした。
「お家の台所が再び、火の車ちないもす。」
 
 
借金まみれだった薩摩の藩政は、調所の財政政策で回復したため、斉興の絶大な信頼を得ていました。
  ↓
【関連記事】調所広郷の藩政改革はすごいと思う★琉球密貿易で失脚した薩摩の汚れ役
 
 
斉興がなかなか藩主の座を譲らないのは、斉彬が曾祖父の重豪の影響を受けて「蘭癖」と決めつけているからです。
 
 
斉興は、斉彬が藩主になったら、再び、「蘭癖」で浪費がかさみ藩政が傾くと思い込んでいるようでした。

 
 

大久保正助の出世

 

 
その夜、西郷家で、大久保正助(利通)の就任祝いがもよおされ、なじみの郷中の仲間、大山格之介、有村俊斎、村田新八らが集まりました。
 
 
「正助、おめでとう!まっこてめでたか」
 
 
赤山靱負がお祝いの鯛を持ってやって来ました。
赤山に頭を下げた大久保は、その後ろに控えた下女に目をとめます。
 
 
何処かで見た娘だと思ったら、岩山糸でした。
子供のころ、妙円寺詣りをしたときに一番乗りだった女の子です。
 
 
糸は、すっかり娘らしくなり、今は赤山の家で学問の勉強をするために、下働きをしているのでした。
 
 
酒が回り、宴たけなわとなって、西郷家の余裕のない様子が話題になりました。
吉之助はこう言います。
 
 
「じゃっどん、世の中にはもっと貧しか人たちが、山ほどおっ。」
赤山にどうすればよいかと尋ねられた吉之助は、斉彬の言葉を思い出しました。
 
 
「おいには、分かいもはん。じゃっどん、斉彬様が藩主様になれば、きっと民百姓の苦しみを分かってくださる。」
 
 
でも、藩内は500万両の借金を返した調所広郷の力が強いです。また、斉興が側室の由羅の子・久光を跡継ぎに望んでいるのは、周知の事実でした。

 

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江戸へ立つ斉彬

 

 
鶴丸城では、斉興と斉彬が、また言い合っていました。
チン(狆)をお膝に抱っこしている由羅の方が厭味ったらしくて面白いです。
 
 
斉興は、相変わらず斉彬に厳しいです。
 
 
「幕府の手先か!」と怒り、とうとう「お前に薩摩は任せられん、久光を藩主名代とする」とはっきり、言い放ちました。
 
 
それを聞いた斉彬は、決断します。
 
 
幕府は、薩摩の琉球への派兵や密貿易など、不審な行動に気付いています。それを、幕府に全て報告して、斉興を隠居させ、調所を失脚させようと決意したのです。
 
 
「明日江戸へ立つ、そして、次にこの地を踏むときは、必ず藩主として戻ってくる。」
 
 
斉彬は赤山に、力強くそう言いました。
赤山は、ひれ伏し、期待しながらも斉彬の身を案じているようでした。

 
 

吉之助、調所広郷に直訴する

 

 
早場米の年貢納めが始まり、吉之助は初めてこれに同行しました。井之上の監視の下、庄屋の園田の家で、役人が百姓たちの年貢米を升で測っていきます。
 
 
でも、役人がこぼれた米を自分のものにする不正がまかり通っており、多くの百姓たちが苦しいままでした。
 
 
憤った吉之助は、意を決して調所に直訴しました。
定免法から検見取法へ、見直しをしてくれるようにとの訴えです。
 
 
検見取とは、米の取れ高に応じて年貢の量を決めるもので、それで少しは、百姓の生活は楽になると思ったのです。
 
 
「薩摩の農民を守るのが武士の忠義だ」と、吉之助は必死で訴えました。
 
 
それを聞いた調所広郷は、こういいます。
「おぬし、なかなか言うのう。そこまで申すならやってみ。」
 
 
吉之助は、大喜びして迫村に向かいました。
 
 
検見取をするためには、まず全て田で坪刈りを行う必要があります。
これで年貢は楽になり、借金が返済できれば、娘のふきも売られずにすむと思いました。
 
 
でも、ふきの父・平六は困った顔をしています。
なぜなら、彼らは林の奥に役人の目を盗んで耕した「隠し田」を持っていたからでした。
 
 
この「隠し田」で取れたお米を金に換えて、この地の農民たちはどうにかやってこれたのです。
「こいは、おいたちの頼みの綱でございもす。どうか見逃してやたもんせ。」
 
 
彼らにそう懇願されて、吉之助は悟ったのでした。
調所が検見取を許可したのは、もとから「うまくいくはずがない」と分かっていたからなのです。

 
 

赤山靱負に斉彬に会いたいと訴える

 

 
吉之助は、赤山靱負に会いに行き、斉彬に会いたいと訴えました。
直接会って、斉彬様に、百姓たちの苦しみを伝えたいという強い思いがあったのです。
 
 
そんな吉之助の気持ちを汲んで、赤山はこう言ってくれました。
 
 
「明朝、斉彬様はひそかに江戸へお発ちになる。そん前におはんが泥にまみれ、百姓たちん身になって集めた意見をお届けせっ。」
 
 
その夜、吉之助は、ロウソクの明かりを頼りに、斉彬への長い文をしたためました。
そして翌朝、百姓たちの苦しみを伝える「意見書」を携え、晴れ晴れした顔で家を出ました。

 
 

力のないやっせんぼ

 
 
斉彬に会うため、家を出た吉之助は、悲痛な糸の呼ぶ声を聞きました。
 
 
「吉之助さぁ、ふきさぁが! 借金取りに連れていかる!」
ふきは糸の家に下働きに出られるよう頼んでいましたが、糸の家も貧しくて雇えなかったのです。
 
 
吉之助が駆けつけたとき、ふきはまさに借金取りに連れていかれようとしていました。
「借金はおいがなんとかすっけ、あと少し待ってくれ」という吉之助の言葉に、ふきはこう言いました。
 
 
家族が楽になるなら、自分は喜んで売られていく、そして、
「立派なお侍さぁに会えて、うれしゅうございもした」
 
 
ふきを見送る吉之助の目に、涙があふれました。
 
 
一方、江戸へ立つための斉彬の行列は、どんどん先へ進んでいきます。吉之助が来るのを待っていた赤山靱負は、時間稼ぎをしてくれましたが、間に合いませんでした。
 
 
「おいは、立派なお侍じゃなか。おなご1人救えんやっせんぼじゃ。」

 
 

おわりに


なんだかちんたら進んでいく「西郷どん」
この辺りは、まだまだ序章の序章です。
 
 
武士とはいっても、「貧しく力がない吉之助が自分をもどかしく思う気持ち」と、「斉彬様が何とかしてくださる」と思い込んでいるところは、しっかり伝わりました。
 
 
西郷隆盛は、本当に、すごくすごく心の底から島津斉彬を崇拝していたようです。
斉彬が亡くなったとき、殉死するつもりでしたからね。
 
 
とにかく斉彬様に早く藩主になってほしい、そして、貧困にあえぐ民を救済してほしいという思いの強いお話でした。
 
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