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こんにちは~。
幕末マニアの女子はもう当然のごとくご存知の「薄桜鬼」について。
乙女ゲームとして誕生してから早10年になりますね。
幕末期は人気がありますが、いろんな人がいろんな人目線で小説などを書いているので、いまいち分かりにくかったりします。
そして、「新選組」は超有名なのに、学校でほとんど習いません。
今回はイケメンでお腹いっぱいになりつつ勉強にもなるという一石二鳥な「薄桜鬼」アニメのキャラクターを、今更ですがご紹介します。
アニメに関しては、結構史実にそっているので、流れを知るには超おすすめですよ!
目次
「薄桜鬼」とは?
「薄桜鬼」はオトメイトから2008年に発売された、大人気乙女ゲームで、現在も新たなゲームが発売されており、アニメ化もされています。
おすすめは、そのアニメのほうですよ。(ゲーム好きさんはゲームもどうぞ)
ポイントは、なんといってもストーリーが史実に沿って時系列で構成されているところです。でも、アニメでは史実には登場しない「主人公」と「羅刹」、「鬼」という人外のものが登場します。
歴史物に吸血鬼などの妙な混ぜ物をするのは私は好きではないのですが、この作品は見事に融合されていて大丈夫なのです。
登場人物の行動は、ほぼ史実どおりなので、最後まで「武士として生きよう」とする姿に感動なんですよ。
そして、どこを見てもイケメンしか出てこないので、それぞれのキャラを追っていくうちに自然と史実も頭に入りやすいのでした。
土方歳三の魅力
今回は、「薄桜鬼」でも本人の魅力にそった言動で描かれた土方歳三に注目していきます。
土方歳三は現在の東京都日野市で土方義諄(ぎじゅん)の4男・6人兄弟の末っ子として生まれました。
幼い頃はヤンチャな子供だったそうで、周りの人からは「バラガキ」(触ると痛いイバラの様に乱暴な少年)と呼ばれていたそうです。
土方 歳三(ひじかた としぞう)
生年月日:1835年5月31日
没年月日:1869年6月20日
彼のプロフィールはこちらでお伝えしています。
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副長の本当にモテてたエピソード
数々の「新選組」を取り上げた小説や漫画・アニメで、土方歳三は副長なのに近藤勇より「主役」で登場することが多いです。
彼はとにかくイケメンですね。 それも、アイドルや最近の俳優のようななよっとしたタイプではなく、漢気あるカッコいい男前です。最後まで真っすぐに生きた心意気がかっこいいので、「生き様」に惚れる男性ファンも多いです。
お顔の方は、何しろ写真(記事一番上の画像)で残ってますから一目瞭然ですし、身長も167cmと当時の男性にしては長身です。
そんな副長の数々のもてエピソードを、ご紹介します。
(1)釣りをしてただけで女子が集まってきた?
多摩(江戸)にいたまだ若い頃、利根川支流の綾瀬川である日魚釣りをしていたら、「イケメンがいる!」とうわさになったそうです。
そうして、いつの間にか近くの農家の女子たちがたくさん見に来ていて、大騒ぎになったというエピソードが残っています。
意外と当時の田舎娘たちは行動力があったんですね。そこにびっくりですよ。
(2)年上美女と恋仲に!
彼は若い頃、商家に奉公に出されたことがありました。そして、そこの年上美女の女中と恋仲になり妊娠させてしまったのです。
これは17歳のときのことで、相思相愛で結婚しようとも考えていたそうですが、家族の大反対にあい、自分で手切れ金を持って頭を下げに行ったそうです。
ま、逃げなかったのでよしとしましょう。(お金は家族が出してくれたけど)
(3)京都・島原で芸妓にモテすぎて困った
京の島原(花街)でもモテっぷりは健在です!
多くの芸妓と浮名を流し、子供を産んだ女性もいました。その子供は女の子で生後すぐ亡くなってしまったそうです。
幕末の京都では新選組は人気がなかったそうなのに、さすがですね。新選組は京に上ったころ「壬生狼」と(壬生の野犬という意味)と呼ばれて都の町衆にさげすまれていました。
島原で人気があったのは、金払いのよい長州藩士だったそうですよ。「禁門の変」で敗れたときも同情する声が多かったそうです。
(4)ラブレターを木箱に詰めて姉に宅配で送った
副長が自分の自慢話(モテモテぶり)をよく手紙に書いて姉に送っていたというのは、よく知られているエピソードです。(この姉と義兄にたいへんお世話になっています)
これが証拠といわんばかりに、女性から届いた恋文をいっぱい詰めた木箱を、何箱も京都から故郷に送ったそうですよ。
受け取った姉は京都土産かと思ったそうですけど・・・。
「モテすぎて仕方がない、困ったもんだと」、一筆、書き記していたそうです。
こういう案外かわいいエピソードが、鬼の副長とのギャップ萌えになってモテる秘訣になるのでしょう。
副長に見るモテる男の条件とは?
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洋装もかっこええですよ♪ 髪をばっさり切りました。
新選組は明治維新からしばらくの間、朝敵として扱われていました。
名誉回復には新選組隊士だった永倉新八らの運動もあったのですが、全国的に一気に人気が出たのは、やはり司馬遼太郎の小説でしょう。
『燃えよ剣』の土方歳三は、マジ男前です、生き様が!
なので、男性からの人気も高いのです。
女性の言うイケメンも、けっして顔だけ指して言うわけではないですね。そういう「顔だけ男」は「お金持ち」なだけの男と同じで、人間的な魅力があるとは限りません。
やはり内面を含めたすべてが美しくないとイケメンとは言えないのです。
(1)己の信念を貫くところ
新選組が人気のある大きな理由は「滅びの美学」にあると思います
「滅びゆく士族」の散る様を、この人は最後の最後まで生き様として見せてくれた人なのです。
会津藩に通じるところもありますが、「信念を曲げない」ということは、こういう激動の時代、柔軟性に欠けるので上手に世渡りできないということでもあります。
薩摩藩や徳川慶喜の代わり身の速さは、ある意味とても政治力が高く聡明なのですが、あまり魅力的とは思えません。
決めたことを貫こうと思っても、苦境に立たされるとつい信念を曲げてしまうのが人間というものです。
でも、副長は最期まで、自分の信念を曲げることはありませんでした。
「薄桜鬼」の土方さんの名言「つらぬきゃ誠になるはずだ!」が効いています。
彼ら新選組隊士も、すでに時代が武士を必要としなくなっているのを、うすうす感じ取っていたのかもしれませんね。
それでも、武士として最後まで将軍家のため、日本のために戦いました。
(2)強いけど脆い
近藤勇が新政府軍に出頭したとき、土方歳三はそこで別れて、新選組を率いて撤退することになりました。
近藤勇はそのまま斬首刑となり、その首は京都の三条河原に運ばれ晒されました。
アニメでは、ここで自分の無力さに打ちひしがれる土方さんの様子が描かれています。
盟友の死、それも切腹でなく斬首刑になったのを聞いたとき、彼は最期まで戦い抜こうと強く決意したのでしょう。
そして、会津、箱館と北の端まで行って戦い続けました。
最期に箱館戦争で戦死したのは、敵の銃弾に倒れたのではなく、味方に背後から狙われたのではないかともいわれます。(異説です)
彼の亡骸が箱館で戦っていた島田魁ら新選組隊士の元に届けられなかった(致命傷を知られるとまずかった)ことや、共に戦っていた大鳥圭介が厳罰に処されず3年ほどの投獄の後、政府の要人に返り咲いたことなどから推測されているようです。
真実はよくわかりません。
でも、降伏すべき状況下で、土方歳三だけが最期まで戦いを続けることを主張していたのは確かなのでした。
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