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1561年、「川中島の戦い」(八幡原の戦い)では、武田軍の本陣に攻め入った上杉謙信の太刀を、武田信玄が軍配で3度受け止めるという夢の(?)大将対決が起こりました。これは、5度にわたる川中島の戦いの中の、最大のハイライトシーンです!
 
この戦いは、戦国時代の戦いの中でも、名勝負と名高いです。
 
甲斐の虎・武田信玄。
越後の龍・上杉謙信。
 
この2人の武将は、お隣さんですが、性格も生き方も対象的で、興味深いです。
 
それに、大将対決なんて、本当に起こり得たのでしょうか?
 
戦国時代は、戦争の記録を正確に残すことはまれでした。
 
この合戦の逸話は、武田家の「甲陽軍鑑」に残るものが多いので、武田側に有利な話になっている所が多いです。
 
今回は、謎の多い「川中島の合戦」について書きます。

 

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第4回川中島の合戦


 
(1)川中島とは
 
 
川中島は、信濃更級郡の犀川と千曲川との合流点の中洲になっている地域です。山岳が多い甲斐国にとっては、長野盆地は、是非とも領土に加えたい豊かで大きな穀倉地帯でした。
 
この川中島をめぐる5度にわたる戦いを、「川中島の戦い」と呼びます。

 
 
(2)川中島の戦い
 
 
「川中島の戦い」は、5回あったといわれますが、そのほとんどが、にらみ合いや小競り合い程度のものでした。

第1回――1553年・8月・・・布施の戦い(更級八幡の戦い)
第2回――1555年・7月・・・犀川の戦い
第3回――1557年・8月・・・上野原の戦い
第4回――1561年・9月・・・八幡原の戦い
第5回――1564年・8月・・・塩崎の対陣

 
ただ4回目の合戦だけは、戦国史上に残る名勝負といわれ、後の世に、様々に脚色されて伝わる戦いとなりました。
 
そのため、「川中島の戦い」といえば、もっとも激戦となったこの「第4回」を指すことが多いです。
 
第4回川中島の戦いは、上杉軍1万2千、武田軍2万余の戦いで、双方合わせて死傷者は約8,000人(異説あり)といわれます。
 
武田側の戦略は、妻女山にこもった上杉軍を、八幡原に追い出して殲滅するというものでした。
 
信玄は、妻女山を東南にみる茶臼山に布陣しました。
 
そして、1分隊に妻女山を襲わせて、妻女山を追われて下るであろう謙信を、川中島で迎え討つ策を立てました。この後ろからつつきだそうとい戦法が、いわゆる「キツツキ戦法」と呼ばれるものです。
 
しかし、謙信は、それを先読みし、信玄の裏をかいてさっさと妻女山を下り、川中島の信玄と対戦したのです。
 
このときの謙信の奇襲攻撃は凄まじく、待ち構えていたはずの武田軍に「車懸りの陣」で襲いかかり、ほぼ殲滅状態にして信玄の本陣まで迫ります。
 
このときに謙信と信玄が合いまみえ、謙信が大刀をもって切りつけるのを、信玄が軍配で3度受けたと伝えられます。
 
ここまでが、この第4回川中島の戦いの前半戦で、上杉軍の圧勝とされています。
 
しかし、その後、当初、上杉軍の背後を突く予定だった武田軍の別動隊が駆けつけると、形勢は逆転し、上杉軍は退却を始めました。

 

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川中島の勝者はどっち?


この合戦は、戦局でみると、前半は上杉軍、後半は武田軍に軍配が上がります。
 
領土の獲得という面で考えると、北信濃を手に入れることができたので、信玄の勝利でしょう。
 
しかし、合戦の勝者はといわれると、謙信に軍配が上がるという見方も根強いです。
 
その理由は、上杉軍の死者は、ほとんどが雑兵だったのに対し、武田軍は、指揮官である重臣をかなり失っているからです。
 
信玄の弟の武田信繁や山本勘助、諸角虎定、初鹿野源五郎ら名の知れた武将の多くが討ち死にしています。
 
武田家にとって、特に大きな損失は、やはり信玄の弟の武田信繁でしょう。
父・信虎が、信玄ではなく次男の彼に家督を譲ろうとしていたほどの人物で、信虎追放後、兄の信玄にも重用されてる、非常にバランス感覚のあった人格者でした。
 
武田の家臣、真田昌幸が息子に「信繁」の名をもらっていることからも、家臣にも相当敬われていたとわかります。
 
ちなみに、この真田信繁、大河ドラマにもなったあの真田幸村のことですよ。

 

一騎打ちは、本当にあったのか?


武田の本陣に先陣を切ってなだれ込んできた上杉謙信が、信玄に3大刀あびせ、受けた信玄の軍配には8つの傷がついていたという逸話の出所は、武田側の「甲陽軍鑑」です。
 
一方、上杉側の資料「上杉家御年譜」によると、信玄に切りつけたのは、謙信ではなく信玄を猛追した武将の荒川伊豆守だと書かれています。
 
どちらかというと、後者のほうが信憑性が高いかなと思えます。
上杉側の記録には、きちんと武将の名がありますね。「甲陽軍鑑」は、信玄の一騎打ちの相手が敵の大将であったほうが、威厳が保てると考えて謙信と記載したのかもしれません。
 
でも、真偽のほどはともかく、この一騎打ちはすごく華のある合戦の見せ場なので、ドラマとしては、是非とも大将同志の一騎打ちとして取り入れてほしいです。(*’▽’)

 

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