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こんにちは!
 
スペインからイギリスへ欧州の植民地政策の覇者が交代するきっかけとなったアルマダ海戦
 
 
今回は、その海戦の複数の原因と、スペイン無敵艦隊の敗因を中心にお伝えします。

 
 

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きっかけは「オランダ独立戦争」だった

 

 
イングランドは、実はメアリ1世の統治時代、スペインと文字通り蜜月を過ごしていました。
 
 
イングランド国王メアリ1世とスペイン国王フェリペ2世が「結婚」していたからです。
 
 
これは、イングランド国民にとっては一大事なんですよ!
なんといっても日本と同じ島国です。その血には、島国根性が流れています。
 
 
メアリ1世のべったり親スペイン政策に、イングランド国民は大きな不満を抱いていました。
 
 
とにもかくにも、このとき、イングランドとスペインは結婚したほど仲良しだったのです。
 
 
でも、このまま蜜月が続くことはなく、メアリ1世は即位して5年ほどで病死し、エリザベス1世の時代に変わりました。エリザベス1世は、メアリの統治時代、幽閉されていたんですよ。(←だから、メアリとフェリペが嫌いなはずです)
 
 
なので、エリザベス1世は、メアリ1世時代の統治方法を完全にくつがえしました。彼女はフランスと和解して、新大陸に目を向け、次第に植民地政策に力を注ぎ始めたのです。
 
 
それは、同じく新大陸を植民地化しようとしていたスペインのライバルになるということです。
 
 
そうして、イングランドとスペインがよくない雰囲気になってきたとき、「オランダ独立戦争」が起こったのでした。
 
 
オランダは当時、スペイン領ネーデルランドで、スペイン王のフェリペ2世が支配していました。その独立戦争にイングランド軍が介入し、オランダを助けたのです。
 
 
これをきっかけにして、1588年、スペインがイングランドを攻撃しました。
 
 
その海の戦いを、スペインの無敵艦隊の名をとって「アルマダ海戦」と呼びます。
 
 
このオランダ独立戦争は、戦いのきっかけになりましたが、他にも両国が対立した原因は複数ありました。

 
 

【原因1】宗教上の対立

 

 
メアリ1世は、親スペイン政策をとって、イングランドをカトリックに戻しました。このとき、彼女はイギリス国教会の信徒を大弾圧しています。そのため、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれるのでした。
 
 
その後に、統治したエリザベス1世は、メアリ1世の政策を完全にくつがえし、ヘンリ8世が作った「イギリス国教会」を再び取り入れて、さらにそれを強化していきました。
 
 
これによりエリザベス1世は、ローマ教皇から破門され、キリスト旧教国のフェリペ2世と宗教的にも対立したのでした。

 
 

【原因2】最悪!女王がイギリス海賊を支援してた!?

 

【出典元:Wikipedia】

 
イギリスが本格的に植民地政策に乗り出したため、先に植民地政策を進めていたスペインとライバル関係になっていきました。
 
 
そしてまた、当時、イギリス出身の海賊が、植民地から本国へ帰るスペインの船を襲い積み荷を奪取するという事件がひんぱんに起こっていたのです。
 
 
ま、植民地側からしたらスペインだって盗賊と似たようなものだったでしょうけど、横からかっさらうというのは、なかなかに卑怯な感じがします。
 
 
中でも、ドレークローリーという有名な海賊は、イングランドの国家予算以上の金品を巻き上げていたというのだから大したものです。
 
 
そうして、イングランドの女王エリザベス1世は、彼らを称賛しました~( ̄▽ ̄)
 
 
おいっ!とツッコミたくなりますが、嫌いなフェリペ2世の鼻を明かすためなら、どんどんやっちゃえという感じだったのです。
 
 
そうして、ドレークが戦利品をエリザベス1世に献上すると、女王はドレークに騎士「サー」の称号を与えて、イギリス海軍中将に引き立てたのです。もちろん、引き続き略奪も奨励ですよん。
 
 
こういうところが、この女王の見る目のあるところですね。ドレークは、なまじお育ちのいい軍人なんかより、ずっとずっと使える人間です。
 
 
アルマダ海戦は、ドレークが指揮をとって、なかなかえげつないやり方で勝利しました。

 
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スペイン無敵艦隊はなぜ負けた?

 

【出典元:Wikipedia】

 
アルマダ(無敵艦隊)は、フェリペ2世がイギリスとの戦争に備えて造らせた大型艦隊でした。
 
 
それなのに、なぜ「無敵」と言われた艦隊が負けてしまったのか?
 
 
それには、戦った海の地形が大きくかかわっています。船体の大きなスペイン艦隊は、大洋のような広い海では力を発揮できますが、ドーヴァー海峡のような狭い海では、小回りが利かず機動力に欠けたのです。
 
 
一方のイギリス海軍は、もともと海賊のドレークホーキンスが、小型のガレオン船を使って、縦横無尽にうろちょろ駆け回って応戦しました。
 
 
そして、ドレークは火をつけた小型船をスペイン艦隊のど真ん中に突撃させるという、とんでもない火攻めの戦法に出たのでした。
 
 
大きなスペイン艦隊は、応戦に四苦八苦しました。大砲などの威力は、断然スペインのほうが性能が高かったそうですけど、完全に戦略負けですね。
 
 
結局、スペイン軍はイングランドに上陸することができず退却しますが、その後がまた不運でした。
 
 
なんと帰りに暴風雨に見舞われ、多くの艦隊が難破したのです。
 
 
アルマダ海戦でも吹いていたんですよ、「神風」が!
 
 
後付けですが、歴史的に見ると、これをきっかけにして、イギリスが繁栄を迎え、スペインが植民地帝国から没落していったと言えます。
 
 
なので、このアルマダ海戦は、植民地支配の覇者が交代するターニングポイントとして、重要視されているのでした。

 
 
 
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