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こんにちは。
今回は、今まで書いた記事の中の「新選組」のものを、まとめました。
「新選組」は、これだけではぜんぜん語りつくせません。
まだまだ紹介したい剣士が、たくさんいるのです。
ということで、これからも記事を増やしていく予定です。
よろしくですー♪
新選組
新選組のシンボル、浅黄色のダンダラ羽織と「誠」の旗印は、大手呉服店のブランド品だったのです。
あの、評判悪くて実際には1年ぐらいしか着なかったという水色の羽織です。
もったいないですね。確かにダサいけど。
新選組隊士は身分は低いけれど腕に覚えのある者がたくさん所属していて、もっとも多いときは、200人を超える隊士がいたのだそうです。
その中でも、最強と呼ばれる隊士は、やはり組長クラスの人たちが多いです。
でも、実戦の多かった戦い方なので、誰が一番強かったか分かりません。
実戦と道場試合とでは、戦い方が違いますからね。
強い隊士はどういう人か、私なりに考えてみました。
新撰組の浅黄の羽織は大丸・旗印は高島屋で作られたブランド品だった!
新選組・最強剣士は一体誰なのか?例の三人を考証してみた結果がこちら!
近藤勇(こんどういさみ)
新選組局長の近藤勇と「池田屋事件」について書きました。
近藤勇は指揮官なので、新選組が活躍の場を増やすにつれ、前線で戦う回数は減ったでしょう。
でも、京の治安部隊として認められるデビュー戦「池田屋事件」のときは、大活躍でしたよ!
彼の剣の特徴は、実戦に強いという点です。
それは、何人かの隊士が口をそろえて言っていることでした。
「池田屋事件」は、坂本龍馬が襲われた「寺田屋事件」と「近江屋事件」と混同しがちですね。
みんな宿(旅籠)だから仕方ないです。
「池田屋事件だけ新選組、残りは龍馬」と覚えておくと、区別しやすいですよ。
「池田屋事件」を簡単に説明!新撰組局長・近藤勇の豪胆さが分かる?
土方歳三(ひじかたとしぞう)
新選組「鬼の副長」土方歳三は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』で、急に人気がでたのでした。
そもそもこの小説が書かれる前は、新選組は、新政府によって作られた「逆賊の人斬り部隊」というイメージが、まだ強かったのでした。
この悪いイメージは、なかなか根強かったようですよ。
でも、今は、小説に漫画にアニメにゲームにと、大人気ですね。
新撰組・土方歳三の生い立ちから箱館戦争まで!あの写真が残ったわけ
新選組一のモテ男!鬼の副長・土方歳三を4つの特徴から読み解く!
沖田総司(おきたそうし)
イメージ的に絶対イケメンであってほしい沖田総司。
よくネットで出回っているしもぶくれの肖像画は、彼を見て描かれたものではありません。
あの肖像画、載せたくないので割愛しますけど、沖田総司の姉・ミツの孫のものだそうなんです。ミツにいわせると、その孫は総司と似ていたそうですけど。
沖田総司の魅力は、いろんなギャップがあって、振れ幅が広い所でしょうか。
新選組・天才剣士の沖田総司は子供好きだった?魅力的なギャップに迫る!
沖田総司が池田屋事件のときに「喀血」したというのは嘘なの?
永倉新八(ながくらしんぱち)
永倉新八は、かっこいいですね。
永倉や斎藤のように明治時代まで生き残った人は、その後もいろんなものを背負いながら生きたんだろうなと思います。
永倉新八は、新しい時代になって、逆賊とされていた新選組の名誉回復に努めた人です。
『新撰組顛末記』を書いたのも、正しい記録を残して、みんなに知ってもらいたかったからなんですよ。
彼は長く北海道の小樽で暮らしていたのですが、東京に近藤さんのお墓を建てています。
途中で袂を分かったのに、武士として、同志として、尊敬と親愛の情があったんだなあと分かりますね。
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斎藤一(さいとうはじめ)
斎藤一は、今ではすごい人気者ですが、謎の多い人物でもあります。
会津戦争後に土方と別れ、会津の人々と共に過ごして結婚します。
維新後の「西南戦争」では、政府軍として新聞に載る大活躍をしたのですよ。さすがです。
名前を何度か変え、永倉と違って新選組のことは、多くは語らなかったといわれます。
警察や守衛の仕事をしていて、引退後も、女学大の人力車の朝の交通整理をしていたそうですよ。
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