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こんにちは。
源平の合戦は、琵琶法師によって『平家物語』として伝わっています。
諸行無常ですよー♪
『平家物語』は教科書で習うと、品詞分解などめんどくさい文法をやらされて嫌になりますが、小説として読むとすごく面白いのです。
冒頭から続く無常観が切なくてよいですし、魅力的な登場人物が、たくさん出てきます。
無骨なヒーロー、美しい姫、悲劇の幼い親王・・・
そして、今回お伝えする美貌の若き風流貴公子・・・
神戸市須磨区の「一の谷の戦い」は、源義経の奇襲「鵯越の逆落とし」が大成功をおさめ、源氏が勝利した戦いです。
でも、今回は、その敗者・平氏の若武者に注目しました。
戦場に散った『平家物語』随一の風流美少年・平敦盛です。
まずは、『平家物語』の「敦盛の最期」のあらすじから♪
美少年には、はかない最期が似合う
ときは1182年、舞台は、神戸市須磨区にある「一の谷」です。須磨の海岸ですよ。
そして、今回の主役は、平敦盛(あつもり)。
平清盛の弟、経盛の末っ子で、当時17歳の美少年でした。
ほんとに美少年だったのかはわかりませんが、薄い白ぬりにお歯黒というメイク姿で、立派な馬にまたがり、華麗な鎧兜を身につけた若武者でした。無骨な田舎者の東国武士から見ると、まばゆく輝く美しい姿だったでしょう。
当時は、上流貴族の男性がおしろいやお歯黒をするのは、洗練されたオシャレないでたちとされていました。(平氏は武士ですが、貴族化していました)
そんな美しい17歳の少年が、船の方に向かって敗走しようと馬を走らせていると、後ろから「待たれよ!」と声がかかります。
声の主は、40過ぎの源氏方の無骨なおじさん、猛将・熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)でした。
彼はこの戦でまだ手柄を立てていないので、高名な平氏の武将を討ち取りたいと、敵を探していたのです。
平敦盛は「心」も美しかった
須磨の海岸を船に向かって逃げていく若武者の背中に向かって、熊谷直実は挑発しました。
「あなたは名だたる武将でしょう。敵に背を向けるとは卑怯! 引き返してください。」
そんなの無視して逃げればいいのに、それができないのが高貴な魂。
戻ってきたのです・・・。
源氏の猛将と実戦経験なしの若者です。勝敗は見えてます。でも、若武者をとらえて首をはねようと兜をとり、その姿を見たとき、熊谷直実は後悔しました。
なんと、まだうちの息子と同じぐらいの年ではないか!
それに、なんという麗しいお姿。
ここら辺、『平家物語』は耽美主義入ってます♪
動揺した熊谷は、つい、
「あなた様は、どのような身分の方ですか、お助けいたします。」
と、口走っていました。
でも、敦盛は名乗らず、
「討ち取るには良い相手だぞ、私の首をとって人に尋ねてみよ。みな知っているだろうから。」
か、かっこいいです♥
首をやるから手柄をたてよと言っているのです。
若くて美しいだけでなく、この潔さ、芯の強さ!
その言葉を聞いて、熊谷も感服します。
でも、そのとき、50騎ばかりの源氏の軍勢が近づいてくるのが見えました。
自分が見逃しても、きっと彼らから逃れることはできないだろう。
そう思った熊谷は、せめて自分がと思い、敦盛の首に手をかけたのでした。
討ち取った後、熊谷は、武士の家に生まれてこなければこんな目に合わなかったのにと、涙で袖を濡らしました。(←古典でよくある「泣きました」表現)
戦場で「笛」を奏でる風流貴公子
悲しみに暮れていた熊谷直実が、その場から立ち去ろうとしたとき、袋に入った笛を目にします。明け方、一の谷のほうから聴こえてきた美しい音色は、この方の笛の音だったのか・・・。
そう、平氏の武将は、戦場でも雅(みやび)な心を忘れず、音楽を奏でて心をなぐさめていたのです。
平敦盛の家系は、三代続く笛の名手でした。
彼が持っていた笛は「小枝(さえだ)」と呼ばれる名笛で、祖父の平忠盛が鳥羽天皇から賜ったものです。それを父の経盛が譲り受け、その後、敦盛の手に渡ったのです。
熊谷直実は、その笛から若武者が平の敦盛であることを知り、笛を敦盛の父・平経盛の元へ送ったそうです。
そして、彼は出家したいという意志を、いっそう強く固めたのでした。
おしまい
「悲劇の公達」として数々の物語に
平敦盛は、そのビジュアルといい、はかない最期といい、貴族化して滅びゆく平氏を具現化したような存在です。ですから、後世、能や浄瑠璃、お芝居の題材としてたくさん取り上げられました。
「美」+「悲劇」
↑
最強の組み合わせです。ふふっ♥
織田信長が「本能寺」で最期に舞ったのも、この「敦盛」(幸若舞)です。
あの、超有名なお約束のシーンですよ!
本当にそんな状況で舞えるのかという感じですが、歴史ドラマではたいていこのシーン、ありますね。
↓
♪人間50年、化天(下天)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか♪
敦盛の笛「小枝(さえだ)」は、今は須磨寺に安置され、「青葉の笛」と呼ばれています。
そして、熊谷直実は、後に法然上人の下で出家して、敦盛のことを弔ったのだそうです。
敦盛は、都の貴族のように、宮中で満開の桜の下、また燃えるような紅葉の下で、たおやかに笛を奏でる姿が似合っています。
平氏は武士の分際で貴族になろうとし、朝廷に煙たがられて、追討令が出されました。
貴族の世界は排他的、武士は使役するものと思っています。
そして、後白河法皇は、厄介な大天狗・・・なのでした。