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こんにちは。
 
今回ごしょうかいしたいのは、京極マリアです。。
「マリア様」です。(笑)
 
この名前、凄いインパクトですね!
歴史のテストには多分出ないと思うけど、1回聞いたら覚えられそうです。
 
この時代に、こういうハーフのような名前で呼ばれるということは、つまり、彼女はキリシタンでした。
 
洗礼名は、「ドンナ・マリア」です。
 
この人は、親戚縁者の多くが権力の中枢に近くて、面白いのですよ。
是非、お伝えしたいと思い、取り上げました。(*‘∀‘)

 

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北近江の名門・京極家の妻に

 

 
京極マリアは、北近江を支配した戦国武将浅井久政(1526〜1573)の娘「お慶」として生まれます。
 
そして、同じく北近江の古くからの覇者・京極家の当主・高吉の妻になります。
 
ここで、何度か出てきた浅井氏と京極氏の関係をおさらいしておきたいです。
ちょっとお付き合いください。
 
室町時代に、近江国(滋賀県)は北と南に支配者がいて、北近江の支配者が京極氏、南近江の覇者が六角氏でした。
 
京極氏は、北近江を支配していたバサラ大名でした。
しかし、時代が下り、京極氏に従う領主の1つ浅井氏が、メキメキ力を持ち始めます。
 
そして、ついに浅井氏が主家である京極氏を脅かし、北近江を支配したのです。
 
つまり、京極家の高吉と浅井家のマリアとの結婚は、北近江の覇権をめぐる争いと深~く関わっていたのでした。政略結婚で、19歳のマリアが、59歳の高吉の後妻として嫁いだのです。
 
その後、マリアは、2人の息子(高次、高知)と3人の娘(龍子、阿也、千代)を設けます。
後述しますが、子供たちの中で、高次と龍子(たつこ)は、特によく知られる人物です。

 

京極マリアはいつキリシタンになったのか

 

 
京極マリア(お慶)の実家・浅井家は、1573年に織田信長に滅ぼされます。
城主・長政は自害、妻・お市と娘の茶々・お初・お江は、救い出されました。
 
そのとき、京極家は、浅井家に同調しなかったようです。
マリアの夫・高吉は、小谷城を長男の高次に譲り、隠居します。
 
京極家は、織田側についていたため、おとがめはなかったようです。(当時の京極家の史料は、ほとんどありません)
 
その後、高吉・お慶夫妻は信長が開いた城下町の「安土」で暮らし、この地で、異国の宗教と耳に入っていた「キリスト教」に身近に接する機会を持ちます。
 
このとき、安土を日本のキリスト教布教の拠点にしようと考えていた、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父に出会います。
 
当時、安土には、教会堂やセミナリヨが開設されていて、キリスト教の教理を学ぶ場が用意されていました。
 
そして、1581年、夫婦そろって受洗し、キリスト教徒となります。
 
お慶の洗礼名は、「ドンナ・マリア」
京極マリアが誕生したのは、「お慶」の結婚20年目のことでした。
 
その後、まもなく夫の高吉と死別しますが、マリアは、その後の人生を布教と信仰に生きました。

 

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親戚縁者に有名人多数!

 

 
京極マリアは、浅井久政の娘なので、浅井長政は弟にあたります。
 
ですから、織田信長の妹・お市の義姉となり、浅井三姉妹(茶々・初・江)の伯母になるのです。
 
しかも、三姉妹の次女・お初を、息子・高次の妻に迎えているので、お初の義母でもあるのでした。
 
後の2人の姪は、豊臣家(茶々)、徳川家(江)に嫁ぎます。
 
つまり、京極マリアは、当時の最高権力者たち(信長・秀吉・家康)と、姻戚関係があったということです。
 
当然、面識はあったでしょう。
 
また、娘の龍子(たつこ)は、秀吉に最も愛された側室・松ノ丸です。
龍子は当代一の美女で、秀吉が一目見て妻にしたいと思った女性でした。
 
京極マリアの、姪(茶々)と娘(龍子)が、それぞれ秀吉の側室の座1、2を争う女性だったのでした。秀吉は、この血筋の女性が好きだったのでしょうか。政治的な利もあったのでしょうね。
 
でも、こうしてみるお、京極マリアも、かなりの美人だったのでは?と思えますね。
 
この2人(茶々と龍子)は、有名な秀吉の「醍醐の花見」で杯の順を争ったことで知られています。

 

京極マリアの子供たちはキリシタンだった?

 

 
京極マリアには、2男3女がいます。
 
秀吉の側室となった長女の龍子(松の丸)以外は、みんなキリスト教の洗礼を受けたといわれます。
 
ルイス・フロイスの記録によると、次男の高知は、1601年頃、大坂でジョアンという洗礼名を受けました。
 
その後、マリアは長男の妻・お初を入信させることに成功し、お初、高知とともに布教して高次(長男)を入信させました。(こういう外濠を埋めるようなやり方が、宗教による洗脳みたいで、個人的には怖いです。)
 
娘たちも、次女と三女は、入信しています。
三女の入信がもっとも早く、結婚前に安土でマグダレナという洗礼名を受けました。
 
大坂の陣が終わると、徳川家康は、ますますキリスト教徒への弾圧を強めていきました。
 
マリアの息子たちは、一応キリシタンでしたが、マニラに追放された高山右近のようなかたくなな態度を取らず、大人しくしていたようです。
 
大っぴらに布教活動をしていた母をかくまい、うまく世渡りをしていたと思われます。
 
そして、マリアは、静かに天に召されたのでした。

 

京極マリアのまとめ


 
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
 
京極マリアは、簡単な歴史の教科書にはまず登場しませんが、なかなか面白い人物でしょう。
 
歴史の人物は、姻戚関係をたどると意外なことが分かって楽しいです。
 
最後に、京極マリアについて、まとめておきます。
 
●本名は「お慶」
 
●洗礼名が「マリア」
 
●熱心なキリスト教徒だった
 
●弟が浅井長政、姪が浅井三姉妹(茶々・初・江)
 
●娘と姪がどちらも秀吉のお気に入りの側室になった(娘ー松の内、姪ー茶々)
 
●姪の初を息子の嫁に迎えた 
 
●布教活動はかなり活発だった

 
 

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