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こんにちは。
2020年、いよいよ東京で夏季オリンピックが開催されますね。
国をあげての一大ビッグイベントとなるので、NHK「大河ドラマ」もオリンピックがテーマ。
私のように「なんでやねん!」と不満を募らせる人も多いだろうから、「次は戦国時代に戻すからさ」という意図がみえみえです。(2020年の大河は明智光秀)
日本人すべての頭の中に「2020年は東京オリンピック」をインプットさせようという意気込みを感じさせます。
ま、基本、世界史ネタのほうが好きな私としては、オリンピックといえば原点の「古代オリンピック」。
ここまでさかのぼってお伝えしたいと思うのですよ。
古代ギリシア人は、「哲学」を生んだ民族ですし、いろいろ興味深いです。
そして、彼らはオリンピックの原点「古代オリンピック」の主催者でした♪
目次
古代オリンピックの目的は「神々の祭典」だった
現代のオリンピックは、古代ギリシアの「オリンピック」をマネて企画されたものです。
そして、「古代オリンピック」は、もともとゼウス神に捧げる「神聖な祭典」だったのです。
これをマネしようと思った理由は、この祭典が「競技期間中はたとえ国同士が敵対していても友好的に競技を楽しもう」という平和的なスポーツの大会だったからです。
ま、古代オリンピックの場合は、ギリシャ人の血統でない人(奴隷、外国人)はダメ、罪人はダメという参加資格がありました。
ギリシア神話は「古事記」と似ているところがあって、神様たちがものすごく人間臭いのばっかりでおもしろいです。
天空神ゼウス、海洋神ポセイドン、太陽神アポロンなど「オリュンポス12神」が、崇拝の対象でした。
古代ギリシャには4つの大きなスポーツの祭典があり、その中でもっとも権威のある「ゼウス」を祭神とした「オリュンピア大祭」が古代オリンピックの元になったといわれます。
「オリュンピア大祭」は、ゼウス神殿のあるエリス地方のオリュンピアという小さな町で開催されました。この町は小さな田舎町ですが、「ゼウスの聖域」とされていた場所です。
「オリュンピア」の語源は開催地の地名だったのです。
「古代ギリシア」は日本の戦国時代のような社会
「古代ギリシア人」はとてもおもしろい性質を持った人たちでした。
独立心旺盛で英雄大好き、そのため協調するのは苦手な人たちの集まりだったのです。
当時のギリシアは「ギリシア」という1つの国家ではなく、日本の戦国時代のように多くの都市国家が勢力を競い合う群雄割拠の状態でした。
有名な都市国家(ポリス)にはアテネ、スパルタなどがありますが、彼らは自分たちはギリシア人というよりアテネ人、スパルタ人と認識していました。
この協調性のなさが大帝国を築いたローマ人との大きな違いです。
一度だけ、ものすごく団結したときがあるんですけど。(「ペルシャ戦争」のとき)
小競り合いの多かったギリシアの都市国家が、祭典のときだけは停戦していたというのがおもしろいです。(小麦の収穫期も停戦中でした)
古代オリンピックは全裸の男だけの祭典だった!
古代オリンピックは、完全に「女人禁制」の男だけのお祭りでした。
それはご祭神のゼウスが「男神」だったからといわれますが、とにかくそれが徹底していて、選手やコーチだけでなく観客も男だけに限定されていたのです。
ギリシア中から男性が集まったということですよ。異常な状態です。
これは稼ぎ時と思ったのか、オリュンポスに隣接する町にはギリシア中から娼婦が集まり、この祭典の5日間で1年分の売上をあげたという伝説も残っています。
なんだかすごい状態ですね。。。
また、小さな田舎町に夏にどどーっと人が押し寄せたため、下水施設の整っていなかった町は、すごーく汚くて臭い町になってしまったそうです。(-“-)
暑さと衛生状態の悪さで、熱中症になる人、お腹を壊す人続出だったとか。
そんなたいへんな環境の中、選手とコーチは「全裸」で登場します。
なぜに全裸???
「スポーツ競技をするのに全裸ってちょっと不安じゃないかい?」と思いますが、彼らには彼らなりの理由があったのでしょう。
推測されているのは、古代ギリシア人が肉体美を追求した人たちだったということ。
一流アスリートの肉体は、間違いなく美しいです。それゆえ、全裸=誉(ほまれ)のようなものだったといわれます。(見せびらかしてたのか?)
もう1つの理由は、一切の不正をしていませんというゼウスへの証だったとか。真剣勝負なだけに不正も多かったようですよ。
「古代オリンピック」の競技種目が気になった方は、こちらの記事をどうぞ♪
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ローマ支配下でも続いたオリンピック
「オリュンポス大祭」が「古代オリンピック」となった最初の大会は、紀元前776年です。
だから、今ではこの紀元前776年が「第1回古代オリンピック」の開催年とされています。
始めは夏に1日だけ開催されていたらしく、種目は陸上競技の短距離走1つだけでした。
その後、中距離走、長距離走、五種競技、円盤投、槍投、レスリング、戦車競走などどんどん競技が増えていきました。
そして、祭典の最後には、優勝者の頭に「オリーブの冠」かぶせられ、英雄と称えられました。
こうして行われた古代オリンピックは、ギリシャがローマ帝国に征服されてからも続きます。
征服民のローマが、植民市の文化を重んじ、良いものは積極的に取り入れる国家だったからです。
「平和とスポーツの祭典? いいじゃん!」ということで、手厚い保護を受けて、さらに発展していったのでした。
アノ暴君も出場?ローマ時代も続いたオリンピック
1世紀にローマ帝国は第5代皇帝ネロの時代を迎えます。
ネロは暴君で知られる変態ですが、古代オリンピックの祭典も見事に私物化してしまいました。
まったくアスリートでなかったネロは、自分の好みで「音楽」や「詩」も競技に加えたのです。
その上、人気競技の「戦車競争」に出場して、途中で振り落とされたのに無理やり優勝者になるという暴挙にでました。やりたい放題のアホな皇帝です。
神々の祭典がキリスト教の国教化で禁止に!「
オリンピックを好き勝手したネロですが、彼が暴君と認定された大きな理由は「キリスト教の大弾圧」をしたからでした。
でも、その後もキリスト教は急速にヨーロッパ社会に浸透し、ついにローマ帝国は方針転換してテオドシウス帝のとき、キリスト教がローマの国教(392年)になったのです。
それを受けて、オリンピア信仰は崇拝を禁止され、もともとギリシアの神々の祭典だった「オリンピック」も廃止されたのでした。
一神教って、ほんと柔軟性が乏しくてつまらないですね。。。
こうして「古代オリンピック」は、紀元369年の「第293回オリンピック大会」をもって、1200年に及ぶ歴史に幕を下ろしたのです。
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