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こんにちは。
今回は、古代オリンピックの競技と祭典の流れを追っていきます。
古代オリンピックがどんなものだったのかは、こちらをどうぞ♪
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目次
選手とコーチは帰国後「英雄」に!
古代オリンピックも現代のオリンピックと同じく、選手に選ばれるには幼少期からの鍛錬が必要でした。
というのも、オリンピックで勝者になると、帰国後は「英雄」になれたからです。
なんといってもギリシア人は英雄が大好き、「ホメロス」と「オデッセイア」(英雄叙事詩)を生んだ国ですよ。
選手とコーチは国に帰ると「英雄扱い」という名誉と、報奨金や一生税金免除などの特権を受けることができたのです。
そのあたりも、現代のオリンピックと似てますね。
この祭典は「平和の祭典」でしたが、敵対する国も多かったため、実は自国(都市国家)の「富や力を見せつける競争」でもあったようです。
やっぱり「スパルタ教育」でお馴染みのスパルタが強かったのかも・・・?
とにかくいつものんびりしてそうなイメージのギリシア人ですが、選手やコーチはものすごく努力したアスリートだったということですよ。
観衆は大会中お祭り騒ぎに酔いしれた
一方、オリンピックは遠くからも観戦に来る人たちがたくさんいました。女性は観戦禁止だったので、観に来る人も男だけです。
純粋に競技を観戦するために来た人ももちろんいましたが、人の集まる所にビジネスチャンスありと、商魂たくましい人たちもたくさん集まって来たそうですよ。
なにしろ、ギリシア中から知識人やお金持ちが集まりますからね。自分の商品を売り込むには、もってこいの場だったのでしょう。
そして、お祭りなので、観客たちはおおいにどんちゃん騒ぎをして楽しんだのでした。
衛生状態は最悪だったようですけど・・・
古代オリンピックの日程と流れ
古代オリンピックの日程や流れ、種目は、時代により変化しますが、4年に1度、夏に5日間行われた期間が多かったようです。
1日目と5日目は、祭典らしく儀式も行われました。
◆初日はゼウス神への宣誓から
祭典初日は、オリンポスの天空神・ゼウスへの宣誓から始まります。
午前中は、この宣誓で終わりです。
選手とコーチ、審判がそれぞれゼウスの神域に入り、不正をしないなどの誓いを立てました。
あ、このときから、選手と関係者のみなさんは全裸です。
民衆を相手にした「開会式」はなく、「聖火リレー」はもちろん本場なのでありませんでした。
初日の午後は、プレのような感じで少年たちの競技が行われました。
◆2~4日目は競技にわくわく興奮
2~4日目は、さまざまな競技が行われました。
大人気競技の「戦車競走」が行われたのは、競技場から離れた場所でした。そこはまだ発掘されていないので、詳細は分かっていません。
馬主による数種類の戦車別の競走が行われたそうなので、豪華でかっこよかったでしょうね!
競技場での競争は、すべてが個人競技でした。
古代オリンピック競技の大きな特徴は、個人戦ばかりだったというところです。
後半の格闘技系の競技はかなり危なそうなので、観客は大いに盛り上がったでしょう。
◆最終日は勝者に栄光を!
最終日は勝者が栄光を与えられた日です。
ゼウス神殿に入ると、勝者たちには「オリーブの冠」が用意されていました。
オリンピア聖域のゼウスの樹の葉で編まれた聖なる冠です。
勝者たちは入浴を済ませて身を清め、聖域の中でも最も神聖なゼウス像の前で冠を頭に乗せられました。
こうして古代ギリシャのスポーツの祭典は、ゼウス神殿に始まりゼウス神殿で終わったのです。
では、次に競技内容をみていきましょう。
始まりは「200メートル走」1種目だけ
紀元前776年の第1回大会から紀元前728年の第13回大会まで古代オリンピックで開かれていたのは、短距離走1種目だけでした。
距離は古代ギリシアの測量単位「1スタディオン=約191メートル」で決められています。今の「200メートル走」ぐらいですね。
このスタディオンという単位は、ゼウスの足の裏600歩分でヘラクレスがこの距離を実測したと伝えられます。
おおっ「ギリシア神話」の世界ですよ!
その短距離走1種目で始まった古代オリンピックは、どんどん種目が増えて規模が大きくなっていきました。
競技は、「速さを競う競技」と「強さを競う競技」に大きく分かれます。
あと、古代だなーと思うのが「戦車競争」です。
これは観衆が湧いたでしょうね。かっこよかったでしょう。
戦車競走だけは、全裸ではなかったそうですよ。
さすがに大事なところを変なところにぶつけたら競技どころじゃなくなるかと。
でも、それなら格闘技系の競技も相当ヤバイと思いますけど・・・
とにかく、格闘技はルールがあるようでないような感じなので危険極まりない競技だったと思われます。
「五種競技」などどんどん競技が増えた
始めは短距離走1種目だけだった「古代オリンピック」は、その後、競技種目を増やしてより大きな祭典へと発展していきました。
現時点の考古学的研究でわかっている「古代オリンピック」の競技種目をご紹介します。
(1)ディアロウス競走~中距離走
紀元前724年の第14回大会から、2スタディオンの距離を走る中距離競走が加わりました。
「約400メートル走」ですね。瞬発力だけでなく持久力も必要となってきましたよ。
(2)ドリコス競走~長距離走
第15回大会から、本格的な長距離競走が種目に加わりました。
距離は時代によって変更されたようですが、1スタディオンを10往復することが多かったようです。
順位争いだけで、タイムを競うことはなかったので、ラストスパートが見せ場だったと思われます。
(3)ペンタスロン~五種競技
紀元前708年の第18回大会から「ペンタスロン」という「五種競技」が加わりました。
短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目を1人の選手がこなす競技です。
勝者の決め方は、勝ち残り選だったという説と、3種目以上の合計点が良い者だったという説があります。
(4)レスリング~相手を投げ飛ばす!
紀元前668年の第23回大会から「ペンタスロン(五種競技)」で行われたレスリングが、単独の競技として実施されるようになりました。
レスリングって、古くからある競技なんですね。
立ったままの姿勢から相手を持ち上げて投げる競技です。
時間制限がなかったので、勝敗が決まるまで時間がかかる大変な競技でした。
(5)ボクシング~革製グローブでパンチ!
レスリングと同じ第23回の大会から、ボクシングも加わりました。
ルールはレスリングと同じで時間制限がなかったので、危険な競技だったと思われます。
グローブは革製のひもを手にぐるぐる巻いていました。殴り合いなので、基本、相手の頭部を狙ったようです。コワイ・・・
日本の昔の柔道のように体重別の階級はありませんでした。対戦相手によって、差がありそうです。
(6)戦車競走
紀元前680年の第25回大会からは、48スタディオンの距離を走る「4頭立ての戦車競走」が加わりました。
また、第33回大会(紀元前648年)からは「競馬競走」も行われたようです。
こうした競技はスタディオン(競技場)の南方の会場で開催されていたのですが、現在でも未発掘なので詳細はわかっていません。
(7)パンクラティオン~素手でやりたい放題?
第33回大会からは、パンクラティオンという格闘技が加わりました。
ギリシア語で「パン」とは「すべての」という意味で、「クラティオン」は「力強い」という意味です。
この競技はとにかく肉体の強さを競うもので、ボクシングと違うのは素手で戦うということでした。
禁止されていたのは、目つぶしと噛みつきのみだったので、人よっては凄惨な結果になったと予想されます。
勝敗は審判ではなく、どちらかが敗北を認めたときに決まりました。
おわりに
古代ギリシアのオリンピックは、やはり「オリンポス信仰」の祭典だけあって、ゼウス神に捧げるという点が特徴的です。
日本のお祭りに通じるところがありますね。
たとえば、京都の祇園祭は祇園社(八坂神社)のお祭りです。ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。
キリスト教国教化で廃止されたこの祭典を、「近代オリンピック」としてキリスト教徒がよみがえらせようと考えたところがおもしろいですね。
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