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歴史上、悪女と呼ばれる人はたくさんいますが、中国や西欧の悪女に比べるとわが国の悪女はかわいいもんだと思う今日この頃。
 
 
悪女のほとんどが権力を握った女性か「傾国」と呼ばれる美女でした。
 
 
今回ご紹介する「妲己(だっき)」は、中国史上もっとも始めに登場する美女であり、中国三大悪女の1人に数えられます。
 
 
妲己は王の寵愛を得ても権力を握って国を牛耳ろうとは考えない、ただひたすら快楽を追求したステレオタイプの悪女でした。

 
 

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美女「妲己」、紂王の側室に

 

 
紀元前11世紀ごろ、中国は殷(いん)という王朝が栄えていました。
 
 
殷の第30代の紂王(帝辛)は、文武両道の優れた見目麗しい人でした。でも、切れ者すぎて重臣たちが無能ばかりに思えてしまいます。
 
 
そうしてどんどん暴君化していき、彼の周りにはイエスマンばかりが集まるようになりました。
 
 
そのうち彼は、だんだん政治に興味がなくなってしまい王の勤めを果たさなくなっていきました。
 
 
そんなやる気のなくなった王のもとに、ある1人の美女が献上されたのです。
 
 
その美女の名は、妲己(だっき)といいました。
 
 
王は美しく軽やかで楽しみを考え出すのがうまい妲己に夢中になっていったのです。

 
 

紂王と妲己の異常な快楽

 

 
紂王と妲己が考え出した快楽の追求はとても熱心でした。それは何が楽しいのかよくわからない残虐なものでした。
 
 
でも、実は残酷な物、スリルや恐怖心を極度にうながすものは人間の脳に快楽を与えると、心理学的に証明されているんです。
 
 
だから、残酷なホラーや過激なジェットコースターなどがあるんです。
 
 
私はどちらもダメですが……。
 
 
彼らが楽しんだ「どんちゃん騒ぎ」も残酷でスリル満点のものでした。

 
 

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(1)「酒池肉林」の狂乱騒ぎ

 

 
ある日、妲己は紂王に「この王宮に桃源郷(とうげんきょう)を作りたいわ」と提案しました。
 
 
紂王は「それは愉しそうだ!」と快諾し、早速臣下に命じて広い庭の中に離宮を造ったのです。
 
 
そうして王は妲己の求めるまま、森の木にいくつもの「干し肉」をぶら下げて、池の水を全部くみあげて代わりにあふれるほどの「お酒」を注ぎ入れさせました。
 
 
そして、若く美しい男女を選びだし、彼らを全裸にしてこの宴に参加させたのです。
 
 
みんな裸で酒の池の中で泳ぎ、木の周りをおにごっこして走り回り、疲れると肉をむさぼるというやりたい放題の乱痴気騒ぎでした。
 
 
もちろん、紂王と妲己も全裸参加です。2人とも美しいからまだ許せます。(?)
 
 
こうしてこのなんとも贅沢で破廉恥などんちゃん騒ぎは、何日間も続いたのでした。
 
 
この時、紂王と妲己の開いた宴会は「酒池肉林」という四字熟語となって、今も言い伝えられています。

 

 

(2)火あぶりの刑

 

 
妲己の次のおねだりは「火あぶりの刑」を見てみたいというものでした。
 
 
それまでも王の兵に剣を持たせて本気で戦わせるのを喜んで観戦するなど、家臣たちがドン引きするようなことをさせまくっていたのですが、次はいよいよ「虐殺刑の鑑賞」ですよ。
 
 
でも、かわいい妲己の望みを叶えようと、紂王は張り切りました。
 
 
そうして生まれたのが悪名高い「炮烙(ほうらく)の刑」です。
 
 
それは、どういうものかというと……、
 
 
ます、銅製の丸太(柱)を横に倒し、そこに油をまきます。そして、その下に薪(まき)をくべて燃やすのです。
 
 
そうすると、下の火にあぶられてだんだん銅製の柱は熱を持ってきますね。(平行棒の胴柱版みたいな感じ?)
 
 
セッティングはこれで完了。
 
 
後は、この銅の柱の上を罪人に素足で歩かせるだけです。
 
 
これは正式な刑罰で、銅柱を渡りきることができれば免罪とされました。
 
 
でも、油でツルツルな上に激アツの金属の上を歩くんですよ。生存率0%です。
 
 
紂王と妲己は「炮烙の刑」が執行される日には、2人で仲良く鑑賞デートをしました。
 
 
そして、罪人が必死の形相で柱をわたっている姿を見て、心底楽しそうに笑い転げて楽しんだのでした。

 
 

(3)蟇盆(たいぼん)の刑

 
 
「蟇盆(たいぼん)の刑」は、罪人用の刑罰の1つで妲己が発案したといわれます。
 
 
そのやり方は、人民1人ずつに蛇や蠍(さそり)を持ってこさせ、地面に盆状に掘った坑にそれら数1000匹を入れるというもの。
 
 
そうして、罪人をその穴の中に投げ落とすのです。
 
 
恐怖にひきつる罪人の顔を見ながら、紂王と妲己は抱き合って大笑いしたそうですよ。なんだろう、この人たち……。
 
 
でも、当時は一般国民の「人権」という概念はありません。
 
 
とすると、紂王と妲己には倫理上の罪悪感はあまりなく、今、私たちがホラー映画を見るようなドキドキ感で、これを愉しんでいたのかもしれません。

 
 

人心が離れ、殷王朝ついに滅亡

 

 
ある日、これらのバカ騒ぎを見かねた比干(ひかん)という忠臣が、「炮烙の刑」をやめさせようと紂王に諫言を呈しました。
 
 
しかし、王はそれを聞き入れず、
 
 
「お前は聖人のつもりか。聖人は心臓に7つの穴があるそうだな。それを確かめてみよう。」
 
 
そういって、その場で比干(ひかん)を殺害してしまいました。
 
 
これを見た他の優秀な忠臣たちは、もうこの国を捨てるしかないと失望し、次々と殷王朝を見限って他国へ逃亡したのです。
 
 
こんなことをしていれば、民の心が離れていくのは当然ですね。
 
 
そうして、とうとう紂王の臣下として「周」を治めていた姫発が、近隣諸侯と結託して殷に反旗を翻したのでした。
 
 
殷は周とその同盟国に攻め込まれ、紂王は妲己とともに火を放って焼身自殺しました。
 
 
こうして殷王朝は滅亡し、周王朝が成立したのです。

 
 

妲己は「九尾の狐」で日本に来た?

 

 
処刑されたはずの妲己ですが、「封神演義」では、実は彼女の本性は「狐の妖怪」だったと記されています。
 
 
「九尾の狐」が美女に化けて紂王をたぶらかし、殷王朝を滅亡に導いたという話です。
 
 
この狐の妖怪は、その後、なんと海を渡って日本に上陸し、鳥羽上皇の寵姫・玉藻前(たまものまえ)に化けていたという伝説になりました。
 
 
陰陽師により正体を暴かれた「九尾の狐」は東北地方まで逃げて、そこで「殺生石」になったと伝えられます。

 
 

おわりに

 

 
妲己の物語は「封神演義」はじめ、今でも小説や漫画、ゲームのキャラクターに取り上げられることが多いです。
 
 
その魅力はどこにあるのでしょう?
 
 
妲己が本当に悪女だったかどうかは、確かめようがありません。
 
 
ただ、歴史は勝者がすべて都合のいいように書き換えているものというのは、多くの人が理解しています。
 
 
周王朝に取って殷王朝は悪でなければならなかったのです。
 
 
たとえば、「酒池肉林」の逸話になった2人の宴会は、実は「神卸(かみおろし)の儀式」だったという説もあります。
 
 
殷王朝の王は代々神の代理人も兼ねていたため、祭祀をたくさん行いました。
 
 
「干し肉」と「酒」は神様への捧げ物だったにすぎず、池の水を酒に入れ替えたというのは後世の創作で、本当は神に捧げるために酒を池に少し入れただけだったとも伝わるのです。
 
 
この説のほうが、信じられる気がしたりして。
 
 
通史(正史)は「勝者の歴史」です。
 
 
周が殷を討ったことを正当化するためには、紂王と妲己は滅ぼされて当然なとんでもない残酷で愚かな人たちでなければいけません。
 
 
一種のネガティブキャンペーンです。
 
 
特に、紂王ではなく側室で美女だった妲己の方をステレオタイプの悪女に仕立てたというところに悪意が感じられる気がしますが、いかがでしょう。
 
 
妲己とともに討たれた紂王はこちらにくわしく書きました。

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