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こんにちは~♪
 
今回は、江戸の庶民の暮らしについてお話ししたいと思います。
 
私は、時代劇、特に「鬼平犯科帳」がだ~い好きなのです。
 
もともとの小説がまずよいですし、鬼平さん(中村吉右衛門さん)のシブくて粋なところがラブで、江戸の町の風物詩の映像が、いちいち素晴らしくて好きなのです。
 
(ちなみに、私は、20代の頃から、シブいオジサマ好みで、アイドルや顔だけよい若手俳優は、全く興味なかったのでした。)
 
江戸もの時代劇で必ずというほど出てくるのが、「江戸っ子」。
 
彼らの生活は、知れば知るほど面白いです。
 
私は、いい年して人見知りしまくりで、家に誰も呼びたくない性格なので、江戸っ子生活は、実際には絶対ごめんですけど。(´・ω・)
 
和物が好きなので、和傘とか手ぬぐいとか茶道具とか浮世絵とかが出てくると、うきっとするのです。
 
今回は、江戸の庶民の暮らしの一部について、お伝えします。

 

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孤独にさいなまれることのない江戸庶民

 
江戸庶民は、夜明けとともに働き、日が暮れるころに長屋に帰って、朝炊いたご飯と少しのおかずを食べて寝ていました。
 
帰りに飲み屋によったり、外食することもありましたが、町の木戸が閉まるころには、みんな長屋に帰っていたようです。木戸は、町によって違いますが、たいてい20時(遅い町で22時)には閉まったようです。
 
長屋の住人は、それぞれ仕事を持っていましたが、雨が降ると仕事にならない人たちも多いかったのです。
 
例えば、大工や左官、それにほとんどの物売りがそうでした。
 
そんなときは、一日中、長屋の一室でくすぶっているのではなく、同じような暇人が大勢いるので、知り合いの家に集まったり、お蕎麦屋さんなどでおしゃべりを楽しんでいました。
 
また、銭湯や髪結い床は、今でいうコミュニティーセンターのような役割をしていました。
特に、銭湯の二階は、男性専用の休憩所になっていて、数千円のお茶代を払えば、一日中囲碁や将棋を楽しむことができました。

 

劣悪だけど人情あふれる長屋の暮らし

 

 
江戸時代は8代将軍吉宗の時代には、100万人都市になります。
他にこのような大都市はどこにもない、世界一のメガロポリスでした。
 
江戸の市街地の約60%は武家地で、20%が神社仏閣、残りの20%が江戸の町人の住む土地でした。
 
町人は、全人口の約半分、50万人いたといわれるので、実は、現代の東京よりも人口密度がずっと高い町だったのです。
 
町人は、長屋(ながや)に住みましたが、長屋の広さはさまざまで、表通りに面して八百屋などを開いていた表店などは、二階建てや庭付きの物件もあり、かなりの広さのテラスハウスのようでした。
 
よく時代劇に出てくる粗末な住居は、裏長屋です。
 
裏長屋は、全体が6畳ぐらいの広さで、水がめとかまどを置く土間をのぞくと、寝起きできるスペースは、四畳半でした。
そこに一家数人で暮らすとなると、かなりの狭さです。一人暮らしだったら、ちょっと狭いワンルームという感じでしょう。
 
井戸とトイレ、ごみ溜めは、同じ長屋に1つあり共用でした。
 
長屋の人たちは、みんなが今でいう親戚のような雰囲気だったと思われます。

 

プライバシーがないって耐えられる?

 
 
江戸庶民が暮らした裏長屋の立て付けは、すごくお粗末なもので、隣の話し声などは筒抜けだったそうです。長屋の誰かに何か問題が起こったら、みんなの知るところとなり、場合によっては大騒ぎになります。もちろん手助けしてもらえてありがたい場合も多いですが、ちょっと放っておいてほしいときは、困ったでしょうね。
 
このように、江戸は、プライバシーのほとんどないコミュニティでした。でも、生まれたときからそんな環境なら、そんなに不都合はないのかもしれません。
 
しかし、さすがに四畳半に一家五人ともなると、暇だからといって、ずっと家にいると息がつまったようですよ。それで、江戸っ子たちは、よく外に出て、楽しい息抜きの仕方を考えたのです。
 
長屋が粗末な作りをしていたのは、江戸が度々火事に見舞われたことが関係しているといわれます。江戸は、しょっちゅう火災が発生していたので、長屋の持ち主である地主が、立派な木材を使って建物を作ろうとしなかったのでした。
 
10年も経たぬうちにまた焼けるのが当然だったという説もあります。
 
ですから、地主は、火事で焼失するのを覚悟のうえで、自分の富を社会に還元する使命感から長屋を建てていたのでした。
 
江戸の町民が暮らしていた長屋は、今でいう集合住宅ですね。
 
プライバシーがほとんどないという点は困りますが、この時代の田舎に比べると、都会っ子の暮らしぶりだなーと分かります。
 
江戸の町並みや庶民の暮らしが絵本のようにわかって、楽しい本です。
イラストがほのぼのしていて、解説が意外とくわしいので、江戸好きさんにおススメです。(´・ω・)

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井戸端会議は大事なコミュニケーション?

 
「井戸端会議(いどばたかいぎ)」という言葉は、現代でも使われますね。
主婦が集まって世間話を することを指すことが多いです。
 
この言葉は、江戸時代に江戸の長屋の女性たちが共同の井戸に集まって、水くみや洗濯をしながら世間話やうわさ話に興じたさまをからかった
ことに由来します。
 
江戸の庶民の主婦たちは、食事の支度は、朝に一日分のご飯を炊き、お味噌汁を作るぐらいだったともいわれます。魚を焼いたりはしましたが、お総菜などは、食事時に物売りがやって来るので、それを買うことが多かったようです。
 
時間のかかる家事は、もっぱら洗濯でした。
そして、その洗濯は、水を使う井戸周りでするものなので、必然的に、井戸端に集まるようになっていたのでした。
 
助け合いが必要な社会では、こういう状況が、うまく機能していたのでしょう。
 
現代の日本でも、同じように集合住宅で暮らす人はたくさんいます。
 
でも、都会ほどご近所づきあいが少なくなってきていますね。
人付き合いをしなくても、不便のない生活ができる社会になったからともいえます。
 
どちらが豊かな生活なのかは、視点によって変わりますね。
どちらがよいとは一方的には言えませんが、似ている所、違う所を知るのは、面白いです。
 
江戸の長屋住まいでは、一人暮らしでも、孤独死なんてなかったというのは、納得できました。
 
でも、私はプライバシーがないと生きていけないので、長屋住まいはご遠慮しますよ。( ̄▽ ̄)

 

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