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江戸時代、江戸は商売をしている人が多い活気のある町でした。
 
 
でも、江戸時代の女性は意外に自立することが難しく、なかなか自分の仕事を持てなかったのです。
 
 
大奥のようなキャリアウーマンは、例外的なものだったようですよ。
 
 
室町時代は、京の町のような大きな町では、女性は自分の「姓」がありそれぞれ仕事も持っていました。
 
 
衣料関係の商売や職人など家内手工業が中心の小さな商いでしたが、しっかり自立していた女性も多かったのです。
 
 
一方、江戸時代の女性たちは地位が低く、町人は一見「かかあ天下」の家庭も多かったですが、自立するとなると話は別だったのです。

 
 

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江戸の女性は出産・育児が最優先

 

 
江戸時代の女性は、社会から出産と育児をなにより期待されていました。
 
 
農家に嫁いだ女性は、家の農業の手伝いをするのが当然でしたが、都会よりもずっと子供をたくさん産むことを期待されました。
 
 
農家は子供がすぐに働き手になりますからね。
 
 
町の女性は平均初婚年齢が19歳ぐらいで、嫁ぎ先が名家や資産家の場合は、後継ぎを産む重圧がのしかかったようです。
 
 
でも、嫁ぎ先が裕福な場合、これまでより格段に豊かな生活ができるようになるので、「玉の輿」狙いの女性はたくさんいました。
 
 
こういう心理は今も昔も同じだなーと思えておもしろいです。
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【関連記事】⇒★娘を「玉の輿」に!お江戸には教育ママが多かった?
 
 
でも、いくら裕福になったとはいえ、「玉の輿」は男性に依存する生き方です。
 
 
当時の女性は、独り立ちした職業婦人になるのは、かなり難しかったようですよ。一般的な女性の労働は、貧しい家の家庭内労働や農業での労働に限られていました。
 
 
江戸時代は、多いときは男性が女性の3倍ほどの人口比だったので、結婚自体は女性にとって有利でした。
 
 
でも、子供が生まれなかった場合、離縁されることも多く離婚率はかなり高かったのです。
 
 
そんな社会でも、自分の才能を武器に社会で活躍した女性たちも登場しました。

 
 
<参考図書:「江戸諸国萬案内」江戸文化歴史検定公式テキスト中級編>
 
 

男社会に挑んだ江戸の女性たち

 

 
女性の社会進出がはしたない事、ふしだらな事と思われていた江戸時代。
 
 
とりえのない女性が外に働きに出たい場合、職種は料理屋の中居や水茶屋、遊女ぐらいしかありませんでした。
 
 
他に、専門的なスキルのある人は、髪結いや、茶道、華道、歌、三味線などの師匠などをする事が出来ました。
 
 
人気の職業は、武家屋敷や大きな商家の女中でしたが、コネが必要でかなりの狭き門でした。
 
 
そんな中で、男たちの冷たい視線を受けながら、自分の生き方を貫いた女性たちがいました。
 
 
彼女たちは、女性の社会進出の草分け的存在になっていったのです。
 
 
では、その代表的な人たちをご紹介します。

 

 

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(1)歌舞伎の創始者・出雲阿国(いずものおくに)

 

 
出雲阿国(いずものおくに)は、歌舞伎の創始者です。
 
 
17世紀前半に活躍した出雲出身の旅芸人で、京の都で大評判となり「かぶき踊り」を作りました。
 
 
後に江戸で風紀上の理由で禁止されましたが、男性だけが舞台に上がる歌舞伎の創始者が女性だったというのがおもしろいです。

 
 

(2)呉服店・伊藤屋の宇多(うた)

 

 
宇多(うた)は1733年生まれの伊勢(三重県)出身の女性です。
 
 
彼女は名古屋の大きな呉服屋「いとう呉服店」に嫁ぎました。
 
 
ところが、7代祐潜(すけゆき),8代祐清,9代祐正と3人の夫に先立たれてしまったのです。それで、とうとう自ら10代目を継ぐことになりました。
 
 
その後、再婚して夫に家督を譲りましたが、夫と二人三脚で江戸に進出し、上野の「松坂屋」を買収しました。

 
 

(3)久留米絣の創始者・井上伝(でん)

 

 
井上伝(でん)(1788‐1896)は筑後・久留米生まれの女性で、久留米絣(くるめがすり)の創始者です。
 
 
可憐な「絵絣」を完成させ、久留米絣を完成させました。

 
 

(4)開業医・楠本いね

 

 
楠本いねシーボルトと遊女・滝との間に生まれた女性です。
 
 
彼女は1827年に長崎で誕生しました。
 
 
父のシーボルトはドイツ人でしたが、当時は鎖国中だったので、オランダ人と偽って、長崎のオランダ商館の医師として来日しました。
 
 
彼は鳴滝に私塾をつくり、日本で初めて西洋医学を伝え、多くの優れた医師を育成しました。
 
 
でも、娘のいねが2歳のとき、シーボルトは国外追放となってしまいました。
 
 
いねは当時は珍しい白人との混血児だったため、幼いころから数々の偏見に耐えて暮らしてきました。
 
 
成長すると、シーボルトの弟子だった二宮啓作のもとで蘭学と医学を学び、江戸で医師として開業しました。

 
 

(5)浮世絵師・葛飾応為(かつしかおうい)

 

【葛飾応為『吉原格子先之図』Wikipediaより引用】

 
葛飾応為は葛飾北斎の娘です。
 
 
19世紀前半に活躍した浮世絵師でした。
 
 
父・北斎とは異なる幻想的な画風で、素晴らしい才能の持ち主だと思います。浮世絵や、版本の挿絵をたくさん手がけました。
 
 
「光の画家」「レンブラントのような」と称されるすごい画家です。
 
 
北斎とはまた違う「色」の表現が素晴らしい・・・・
 
 
とにかく光の作り方が幻想的で美しいのです!
 
 
江戸時代の暮らしについて、こちらでもお伝えしていますので、是非ご一緒にどうぞ♪

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<参考図書:「江戸諸国萬案内」江戸文化歴史検定公式テキスト中級編>
 
 

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