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こんにちは。
平安中期の権力者・藤原道長といえば「摂関政治」を制定した人と思われることが多いです。
「摂関」というのは、「摂政+関白」のこと。
この2つの役職の違い、はっきり区別できますか?
藤原道長がどんな人だったかなーと思われた方は、こちらをどうぞ♪
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◆「摂関政治」はどういうもの?
藤原道長とは、例の歌の影響や娘を3人中宮に立てたというところから、やりたい放題の権力者というイメージを持たれがちですが、実は、彼が摂政関白になった期間は、すごく短いのです。
まずは摂政と関白をおさらいしましょう。
関白:天皇の成人後も、代わりに政治を行う人
そして、道長は、摂政になった期間はたった1年、関白になったことはありません。父兼家も兄の道隆も関白でしたよ。
意外だなーと思いませんか?
◆藤原氏による摂関政治
摂政といえば、もっとさかのぼって飛鳥時代、聖徳太子が推古天皇の摂政になったというのが、よく知られていますね。
この摂政・関白という地位は、実力があればだれでもなれたわけではなかったのです。
もともと、これらの役職に就けるのは、天皇家の血筋の人のみでした。
それが変わったのが、858年、文徳天皇の崩御で「清和天皇」が誕生したときでした。
藤原良房(よしふさ)が、臣下として初めて摂政に就任したのです。そのあと、彼の養子だった基経(もとつね)が、臣下で初めての関白となったのです。
それから先、摂政・関白は、藤原氏の世襲になり、藤原氏による摂関政治が続いたのでした。
◆なぜ道長は関白にならなかったのか?
藤原道長は、その気になれば、関白になることだってできたと思います。兄の道隆の例もありますし。
でも、彼はすぐに関白に就任しませんでした。
なぜだと思いますか?
道長は非常に冷静に政局を見極められる人物でした。
当時の彼の役職は左大臣です。
この左大臣という役職には、人事決定権があったのです。
その上の名誉職・太政大臣は、当時は適任者がいなかったため空席でした。つまり、臣下として最も位の高い左大臣の席につき、もう一つ、内覧という役にもついていました。
この内覧というのが、またまた重要な役職だったのです。なぜなら、内覧は天皇に奉る文書や、天皇から発される文書にあらかじめ目を通すのが仕事です。つまり、気に入らない意見書などをもみ消せる役職だったのです。
一方、摂政・関白には、天皇に対する具体的な権限がなかったのです。
「人事」と「文書」
これを握っておくと、もしも天皇と仲たがいしても、有利な立場に立つことができるのでした。
「名より実を取る」考えで、道長は関白にならずに左大臣、内覧にとどまったのでした。
◆「外戚」として権力を握る
自分の言う事を聞かないかもしれない天皇が立つ場合、摂政・関白になる気はなくても、それが自分の血筋、藤原氏の血の入った者が天皇になるなら、話は変わってきます。
道長が考えたのは、「孫を天皇にさせる」事でした。そのために3人も娘を天皇の中宮に送り込んだのです。
まずは、999年に長女の彰子(しょうし)を一条天皇のもとに入内させ、すでに道隆の娘・定子(ていし)という中宮がいるにも関わらず、彰子を中宮にすえてしまいました。これで、定子は皇后という立場になり、「一帝二后」という前代未聞の事態になってしまったのです。(一条天皇は定子をことのほか愛していました。)
そして次の三条天皇には妍子(けんし)を、その次の後一条天皇の后に威子(いし)を嫁がせたのでした。これにより、ついに3人の娘を天皇の后とさせる「一家立三后(いっかりつさんごう)」を成し遂げました。
まさに我が世の春ですね。
こんな歌を口ずさんでしまうわけです。
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◆娘の夫の3人の天皇との関係
道長が長女・彰子を入内させた一条天皇は、難しい立場にいながらも説妙なバランス感覚を持った天皇でした。彼は、定子の夫でもあったので、その女房・清少納言の書いた『枕草子』に猫好き天皇として登場しています。
この一条天皇の時勢、道長は内覧という役職についていました。一条天皇は、こうるさい道長とも絶妙な距離を保ちながら、そつなくやり過ごしました。さすがです。
三条天皇のときも、道長はやはり「内覧」でした。
三条天皇は年少の舅・道長とは関係が悪く、道長は政治的圧力をかけてたびたび譲位を迫りましたが、なかなか譲ろうとしませんでした。でも、最後は健康上の理由(目の病)で天皇を退くことになったのでした。
そして、その次の天皇が、後一条天皇でした。ここでついに、道長は摂政に就任します。
というのも、後一条天皇は、一条天皇と道長の長女・彰子との間の子供、つまり自分の孫だったからです。
まだ11歳だった孫の後一条天皇、おじいちゃんのいいなりでしょう。
そうしてようやく摂政につたものの、病にむしばまれ、たった1年で息子の頼道に摂政の位を譲ったのでした。
でも、もう充分だったでしょうね・・・。
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