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今回は「壬申の乱」の勝者となり天皇となった天武天皇を紹介します。
 
 
天武天皇は、天智天皇が作り始めた「日本」という国を、引き続き強固にしたとても重要な人物です。
 
 
天智天皇にしてみれば、後をついでほしかった息子・大友皇子を破った弟が引き続くことになったんですから、皮肉なものですね。

 
 

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天武天皇はこんな人!

 

 
天武天皇は、飛鳥時代、兄の天智天皇と同じ両親から生まれた皇子でした。(※通説です)
 
 
兄が亡くなり、その息子・大友皇子が天皇をついだとき、「壬申の乱」で破って、自ら天皇となりました。
 
 
「壬申の乱」については⇒★こちらをどうぞ♪
 
 
「壬申の乱」で、大友皇子についた豪族たちは、のきなみ失脚して力がなくなったため、天武天皇は「天皇が強い権力を持つ日本」を作りやすくなったのです。
 
 
そうして、妻の強力なバックアップの元、彼はいろんな政策を作り上げました。

 
 

皇族中心の政治組織を作った

 

 
天武天皇は、大事な役職の多くを皇族に任せました。
 
 
でも、実際に権力を握っていたのは、天武天皇1人だったのです。
 
 
発展途上の混乱期には、強いリーダーシップを持つリーダーが、独裁に近い形をとることで、迅速に発展できることがあります。
 
 
天武天皇の時世も、そんな感じで、まず都を大津(滋賀県大津市)から飛鳥(奈良県明日香村)に、すぐに戻しました。
 
 
そして、豪族の私有民だった「部曲」を廃止し、「八色の姓(やくさのかばね)」という氏姓制度を作り、中央集権化に努めたのです。
 
 
また、日本最初の律令「飛鳥浄御原令」を策定しました。これは、701年に制定された「大宝律令」に大きな影響を与えました。

 
 

日本最古の『古事記』と『日本書紀』を編纂させた

 

天武天皇が、文化面でもっとも大きな貢献をしたのは、日本初の歴史書・『古事記』『日本書紀』の編纂です。
 
 
彼は、各地方にバラバラに存在する伝承や逸話を、体系的に文字に記してまとめるよう指示しました。
 
 
『古事記』は稗田阿礼に誦習させたものを、太安麻侶が記しました。
 
 
『古事記』は日本の国内に向けて「天皇は神に認められた存在(神の血統)」ということを植え付けるために作られた歴史書です。完成は712年、元明天皇の時代です。
 
 
一方、『日本書紀』は、息子の舎人親王に編纂を命じたものです。
 
 
こちらは、中国など近隣国家を意識して、日本国を治めているのは天皇で、その天皇の歴史がここにあると知らしめるために作られたものなのです。
 
 
これらの編纂には、とても時間がかかるので、天武天皇の代では終わらず、編纂事業は、妻・持統天皇に引き継がれました。

 
 

初めて「天皇」を名乗り「日本」と国号を決めた?

 

 
初めて自らを「天皇」と名乗ったのが天武天皇だったといわれています。それまでは、天皇のことを「大王(おおきみ)」と呼んでいました。
 
 
また、国号を「日本」と制定したのも天武天皇だといわれています。そうだったとしたら、それだけでも今の日本の歴史にすごく大きな影響を与えた人だとわかりますね。

 
 

妻が最強・持統天皇

 
 
天武天皇は、実は、兄の天智天皇の娘を4人も妻に迎えています。
 
 
今ならいろいろ問題がありますが、当時は権力を家に集中させるため、近親婚は普通に多かったのです。
 
 
皇后の 鸕野讚良(うののさらら・後の持統天皇)は、兄・天智天皇の娘なので、叔父と姪の関係になります。
 
 
2人の間には草壁皇子という男子が生まれています。
 
 
680年に 妻・鸕野讚良が病気で倒れたとき、天武天皇は妻の病の回復祈願のため、「薬師寺」を建てたといわれます。
 
 
天武天皇は686年に亡くなりますが、その意思は妻に引き継がれ、2人は同じ野口王墓(のぐちのおうのはか)に葬られています。
 
 
こういうエピソードから、この2人は強い信頼で結びついた同志のような夫婦だったと思われますが、一方で、異なる見方を持つ人もいます。

 
 

天武天皇は、実は正体不明?

 

 
天武天皇は天智天皇の弟としてお伝えしていますが、これは通説で、実は異説がいくつかあります。
 
それは、彼が新羅の王子だという説や、漢の王族だったという説です。
 
ぶっ飛び説のような気もしますが、新羅のほうはかなり真剣に考えている学者もいるようです。
 
 
天智天皇は、戦争で「百済」を助けていました。その皇位を「新羅」の王族に奪われたと見るのです。
 
 
そうすると、彼の妻となった 鸕野讚良(彼女は天智天皇娘)は、次に自分が持統天皇として立ったことで、父・天智天皇の血統に戻したのだという説です。
 
 
つまり、2人の夫婦仲はそんなに良くなかったというのです。まあ、夫婦間の事は、今も昔も他人にはうかがいしれないと思います。
 
 
これらの説は、いろんなエピソードの片りんから想像して結び付けているものなので、今のところ確信には至っていません。

 
 

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