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こんにちは!
 
聖徳太子といえば、古代史でぶっちぎりの知名度を持つ偉人です。
アラフォー以上の人にとっては「一万円札」(諭吉の前)の人です。
 
 
でも、謎や伝説のものすごく多い人でもあります。
 
 
今回は教科書からその名を外されそうになった聖徳太子について簡単に説明します。

 
 

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聖徳太子はどんな人?

 

 
聖徳太子という名称は、生前に素晴らしい業績を残した人に後世与えられた「諡(おくりな)」なんです。
 
 
生前は、厩戸王(うまやどのおう)、または厩戸皇子(うまやどのみこ)呼ばれていました。
 
 
歴史学者の間では厩戸王が一般的です。なので、教科書もこちらに変えようかという案が出たのでした。(でも聖徳太子のネームバリューが強すぎてやめた)
 
 
生没年ははっきり分かっていないのですが、一応、574年2月7日 ~622年4月8日と言われています。48歳の生涯でした。
 
 
彼は、飛鳥時代の皇族で優れた摂政(政治家)でした。
 
 
我々世代の歴史好き女性は、山岸涼子の「日出処の天子」にどっぷりはまって、フィルターがかかりまくっているので、外すのが大変です。
 
 
超美形のメンヘラ異能力皇子ですから・・・( ̄▽ ̄)
 
 
そんな聖徳太子について、まずは学校で習う偉業を見ていきましょう。

 

 

聖徳太子のさすが!な3つのポイント

 
 
歴史の教科書に出てくる聖徳太子の偉業は4つあります。
 
 
仏教の保護
遣隋使の派遣
冠位十二階の制定
十七条憲法

 
 

(1)遣隋使派遣★「隋」に日本を独立国と認めさせる!

 
 
聖徳太子は、戦乱が続いていた中国がに統一されたのを受けて、遣隋使を派遣しました。
 
 
聖徳太子は、隋に日本が独立国と認めさせようとしたのです。
 
 
そうして、例の有名な手紙をしたため、それを小野妹子に託して派遣しました。
 
 
例の有名な手紙の一部はコレですよ。
     ↓
「日出処天子至書日没処天子無恙云々」
(日出る処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきやうんぬん)

 
 
中国は周辺国を属国のように扱うえらそうな国で、しかもそのときの皇帝がオラオラ系暴君・煬帝(ようだい)だったのですが、小野妹子はがんばりました。
 
 
それについてはコチラを⇒小野妹子遣隋使として派遣される!

 
 

(2)冠位十二階の制定★出世は能力主義で?

 

 
「冠位十二階」は聖徳太子が定めた制度の1つで、天皇に使える役人たちを12段位で格付けしたものです。
 
 
ポイントは、これまで「一族」に身分が与えられていたのが、「個人」に身分が与えられることに変わったところですね。
 
 
つまり、聖徳太子は天皇(当時は大王)中心の中央集権体制で政治を行おうとしたのです。
 
 
こうすることである特定の大豪族に権力が集まらないようにし、能力のある者が役職に就けるようにしたのでした。
 
 
そううまくはいかなかったと思いますが、能力主義を取り入れたという発想がすごいです。

 
 

(3)十七条憲法の制定

 
 
「十七条憲法」は、いわゆる現代の成文法ではありません。
 
 
名前は「憲法」となっていますが、上の12段位で格付けした役人たちが心得るべき道徳、思想のようなものなのです。
 
 
それがよくわかる動画をご紹介します。
かっこよくて分かりやすいので、是非ご覧ください!

    ↓  ↓

 
 
聖徳太子はこれらの新しい「制度」を作るとき、「隋」の政治を参考にしたんです。
 
 
中国には「天命思想」というのがあります。王は天帝に選ばれしものとされ、強大な権力を持っていました。
 
 
日本も同じように天皇(大王)を中心とする集権国家国家にしようと目指したのです。

 
 

聖徳太子のぶっとびエピソード集

 

 
聖徳太子には、いろいろな都市伝説があります。
 
 
中には、実在しなかったという説や、蘇我入鹿と同一人物だったという説まであります。
 
 
蘇我入鹿は時代が少しずれるので違うなと思うのですが、実在しなかった説は面白いです。
 
 
卑弥呼にもこういう説がささやかれますね。
 
 
ま、どちらもそう思われるほどすごい人だったということでしょう。

 
 

(1)聖徳太子は実はいなかった?

 
 
聖徳太子が存在しなかったという説は、そもそもこの人の伝説が人外の力を持っていたかのようなものが多いからです。
 
そこから、後世の人々が偉業を成し遂げた過去の複数の偉人の業績を聖徳太子という1人がやり遂げたという体にして神格化したという説が出たのです。
 
 
確かにありそうな感じもしますね。
 
 
もう1つは、「日本書紀」などに残された聖徳太子の偉業と考えらえているものの多くが蘇我氏によって成されたことだったのではないかという説です。
 
 
「日本書紀」は天武天皇以降の天皇と藤原氏によって編纂されています。
 
 
そうすると、藤原氏は蘇我氏のすごい事を書くのはおもしろくないので、適当に当時存在していた皇太子(聖徳太子)の偉業にしちゃえってことにしたのではないかというのです。
 
 
意外と人間って、こういうことをやりそうだなと思えたりして・・・。
 
 
どちらもあくまで異説ですよ。

 
 

(2)1度に10人の人の質問を受け答えられた

 

 
聖徳太子といえばこれというほど有名エピソードですね。
 
 
10人の話をいっぺんに理解できる耳を持ちすべて正確に理解して的確に答えたという伝説の持ち主です。
 
 
これは、もちろん後世作られた聖徳太子を神格化するための伝説なのでした。

 
 

(3)うつになると温泉に行った

 
 
いいですね。、有馬温泉・・・
私も好きです。
 
 
聖徳太子は、有馬温泉に湯治に行ったといわれます。有馬温泉の歴史は古く、舒明天皇なども行ったという記録が残っています。
 
 
うつになったら湯治へという感じで、他にもいくつかの温泉に行ったという言い伝えが残っています。
 
 
愛媛の道後温泉にも気鬱の病の治療で行ったそうですよ。
 
 
飛鳥から有馬まででも結構な距離があるのに愛媛までと思いますが、優雅な船旅だったのでしょう。

 
 

(4)実は「好戦的」な皇子だった

 

 
聖徳太子は、実は若いころから戦争が好きで、強い人にも構わずケンカをふっかける人だったようです。
 
 
そもそも隋の暴君・煬帝にあんな手紙を届けさせたところからして、なかなか肝の据わったお人ですよ。
 
 
14歳のとき、太子は物部氏との戦争に参加し、頭に四天王像を乗せて真っ先に突っ込んで戦争を勝利に導いたそうです。(これも伝説ですけど)
 
 
その戦争勝利の記念に、大阪に四天王を祀るお寺を建てました。それが天王寺区にある四天王寺です。

 
 

(5)ガチで当たる「予言」が恐ろしすぎる

 
 
聖徳太子は実は、未来予知ができ異能力者でした。
 
 
彼の予言は「日本書紀」22巻に残されたのですが、あまりにも内容がヤバすぎるということで、歴代天皇の手で削除されたのだそうです。
 
 
でも、その予言は口伝として仏教寺院に伝わり、「未来記」として僧の元で保管されているそうです。
 
 
伝えられる中で当たった予言が的確過ぎて恐ろしいといわれています。
 
 
「私はまもなく死に、子孫は1人も残らない」
 
 
「私の死後200年以内に1人の聖皇がこの地に都を作るだろう。そこはかつてない壮麗な都となり、千年の都として栄える。しかし、千年のときが満ちれば黒龍が来るため都は東に移される」
  ↑
聖皇は桓武天皇、都は平安京、黒龍は黒船ですね。
 
 
そして、極めつけは、2030年に世界が滅亡するという人騒がせな予言を残しています。
 
 
「・・・それから200年後、クハンダが来て、その東の都は親と7人の子供のように分かれる」
 
 
「クハンダ」というのは仏教用語の「末世に現れる悪鬼」を指す言葉なのだそうです。黒々と汚れた禍々しい存在で、人間の肉体と精神を真っ黒に汚してしまう性質を持っているものなのだとか。
 
 
隕石の来襲、核攻撃などと予想されています。
日本初のハルマゲドン伝説のようなものですね。

 
 

(6)死因が謎めいている

 
【聖徳太子の墓所:Wikipediaより】
 
聖徳太子の死因は、よくわかっていません。
 
 
今のところ、暗殺・毒殺・自殺などがささやかれておりますが、公的には伝染病による病死となっています。
 
 
でも、書き方がすっごいあっさりなんですね。これだけすごい人なのに、え?それで終わりって感じなんですよ。
 
 
それで疑われてるようになったのです。
きちんと公表できない死に方だったんじゃないだろうかと。
 
 
まずささやかれるのは自殺、心中説です。
 
 
聖徳太子は、妻の膳部妃と一緒に同じベッドで眠って、翌朝、遺体で発見されたのだそうです。その根拠は、今も残る聖徳太子のお墓に、妻の膳部妃が一緒に埋葬されていることです。
 
 
聖徳太子には他に身分の高い妃が複数いました。この膳部妃は身分の低い女性で、本来なら一緒のお墓に入るのは不自然なんです。
 
 
後は、蘇我氏による他殺説です。でも、他殺なら「日本書紀」あたりに書いていそうなもんですけどね。
 
 
「日本書紀」は皇族と藤原一族が取り仕切っていましたから、滅ぼした蘇我氏のことは結構悪く書いています。(いい事はスルーしているようです)
 
 
やっぱり自殺説が有力でしょうか・・・?
 
 
色々謎の多いところ、それが聖徳太子の魅力なのでしょう。
 
 
【関連図書】
  ↓
「聖徳太子(厩戸皇子)」本といえば、これ以上におすすめできるものはありません。
 
 
不朽の名作(迷作)です。

 
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