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こんにちは。
 
今回は蘇我入鹿(いるか)です。
この人、名前がおもしろい人なので、結構覚えやすいですね。
 
 
時代は聖徳太子のちょっと後になります。
以前「蘇我入鹿=聖徳太子」というとんでも説が唱えられたことがありました。
 
 
「聖徳太子」はもともと都市伝説の多い謎の人物ですが、蘇我入鹿とは、時代的に数十年ずれてるので、同一人物ではないですよ。
 
 
ちなみにこの説の出所は、関裕二という歴史小説家です。この人は歴史家ではありません。
 
 
では、その蘇我入鹿について・・・

 
 

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大豪族の3代目エースだった蘇我入鹿

 

 
蘇我入鹿は、蘇我蝦夷(えみし)を父に持ち、蘇我馬子(うまこ)を祖父に持つ飛鳥時代の権力者の家系に生まれました。
 
 
蘇我馬子は、皇位継承と仏教保護で当時の2大勢力の片方の物部氏と対立していきました。
 
 
蘇我氏VS物部氏の争いは、仏教を保護したいと考えた聖徳太子とタッグを組んだ蘇我氏に軍配があがります。
 
 
そして、蘇我馬子は娘婿となる厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子に据えて、ともに政治改革を推し進めていったのです。
 
 
馬子の息子の蘇我蝦夷(そがのえみし)の代になると、蘇我氏の独裁色はいっそう強まっていきました。
 
 
蘇我蝦夷は自分の意のままになるものを天皇に据えて、息子の入鹿に紫冠(冠位十二階外の最高位の冠)を授けます。
 
 
こうして蘇我氏の勢力は、全盛期に発展していったのです。

 
 

まるで大王(おおきみ)?やりすぎた蘇我入鹿

 

 
蘇我入鹿の生年は、はっきりわかっていません。(600年~610年生まれ)
彼は皇極天皇の時代に、父の蝦夷から大臣の位を引き継いで、政界のトップに立ちます。
 
 
蘇我氏独裁の3代目ですね。かじ取りをしっかりしなければ危ない3代目です。
 
 
3代にわたる蘇我氏の専横に対する不満や批判は、朝廷内でどんどん膨らんでいきました。そして、天皇家のやる気のある人たちや他の氏族の中から大王(天皇)中心の政治制度に戻そうとする動きが強くなっていったのです。
 
 
蘇我入鹿は、自分の意のままに動く古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を天皇に擁立しようとしますが、反蘇我氏勢力は聖徳太子の息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)を擁立しようとしました。
 
 
山背大兄王は蘇我一族(母が蝦夷の姉)でしたが、しっかりした人で、入鹿は扱いにくかったようです。それで、入鹿は山背大兄王を攻め、自害に追い込んでしまったのでした。
 
 
蘇我入鹿は独裁制を強めていき、皇室行事も天皇を無視して独断で行うなどやりたい放題でした。
 
 
それに我慢できなくなってきたのが、中臣鎌足という男です。

 
 

蘇我入鹿暗殺「乙巳の変」

 

 
中臣鎌足は、朝廷の祭祀「神祓」を仕事とする家柄で官吏をしていました。彼は蘇我氏の専横に我慢ができなくなって、蘇我氏打倒を画策するようになりました。
 
 
天皇中心の国家体制に戻したいと強く願っていた彼は、まず天皇家の実力者・軽皇子に接近します。でも、軽皇子はあまりやる気がなく、鎌足は別の適任者を探さなければいけませんでした。
 
 
そうして、法興寺で行われた蹴鞠の会で、中大兄皇子と運命の出会いをするのです。
 
 
中大兄皇子と中臣鎌足は、南淵請安の私塾へ通う道すがら、蘇我氏打倒の計画を立て続けました。そして、蘇我氏の長老・蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れるのに成功し、実行できるチャンスを待ちました。
 
 
645年、朝鮮半島からの使者が来日し、天皇への拝謁の儀式(三国の調)が行われることになります。この儀式には、当然、蘇我入鹿も出席します。中大兄皇子と中臣鎌足は、その日が入鹿を殺害するチャンスだと考え計画を立てました。
 
 
実行犯は、中大兄皇子中臣鎌足佐伯子麻呂葛城稚犬養網田でした。
 
 
儀式の最中に中大兄皇子が飛び出し蘇我入鹿に襲い掛かりました。そして、佐伯子麻呂、葛城稚犬養網田も加わり、蘇我入鹿を殺害したのです。
 
 
このときの首がポーンと飛んでいる絵が、よく知られています。

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皇極天皇は、真っ青になってその場から立ち去り、蘇我氏に味方しようとする人たちはいませんでした。翌日、もう終わりだと覚悟を決めた蘇我蝦夷は自邸に火を放って自害し、蘇我氏の独裁は一気に崩れ去ったのです。
 
 

蘇我入鹿の子孫は?

 

 
蘇我入鹿が暗殺された後、まだまだ蘇我氏は朝廷内にいました。
 
 
彼らは、入鹿、蝦夷という大きな2本の支柱は失いましたが、入鹿を裏切り「乙巳の変」に参加した従兄弟の蘇我倉山田石川麻呂は、その後、中大兄皇子に評価されて右大臣に就任しました。石川麻呂の弟の蘇我赤兄も大臣に就いています。
 
 
でも、その後、石川麻呂は謀反の疑いがかけられて自害に追い込まれ、蘇我赤兄は「壬申の乱」で流罪となります。
 
 
それから先、政治の中枢に就く人物は蘇我氏からは現れず、平安時代になると蘇我氏の一族は、完全に歴史の表舞台から消えていきました。
 
 
実は蘇我氏の血統は、当時から天皇の外戚として天皇家に入り込んでいました。その後も、藤原不比等に嫁いだ蘇我娼子という女性によって藤原氏の血の中にも混ざっていきます。
 
 
そうして、外戚として力を持った藤原氏を経て、歴代天皇の子孫にその血がつながっていくのです。

 
 

おわりに


飛鳥時代の人間関係や事象は、まだまだ謎だらけです。
 
 
そこが古代史のおもしろいところでもあります。
 
 
蘇我入鹿によって聖徳太子の血脈が途絶え、入鹿暗殺によって中大兄皇子が権力を持ち、天皇中心の政治体制の礎が築かれるようになりました。
 
 
社会体制のターニングポイントになった人なのは確かでしょう。
 
 
蘇我入鹿について、おすすめの歴史ロマン小説があります。黒岩重吾さんの『落日の王子 蘇我入鹿』(上下)です。
 
 
悪役にされがちな蘇我入鹿がとても魅力的で、中大兄皇子らとの権力争いの様子がよくわかります。もちろん小説なので史実どおりではありませんが、それだけに「乙巳の変」の臨場感などの描写がワクワクなのですよ。

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