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ポエニ戦争が起こっていたころ、ローマの内部は変わりゆく社会に体制が対応できなくなりつつありました。
 
 
そうして、ごたごた続きの内乱状態が約100年も続いたのです。
 
 
それを「内乱の一世紀」と呼びます。

 
 

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「内乱の一世紀」はいつからいつまで?

 

 
古代ローマの「内乱の一世紀」は、「グラックス兄弟の改革」が失敗し彼らが亡くなってから、オクタウィアヌスが「アウグストゥス」の称号を得て実質的に帝政がはじまるまでの約100年を指します。
 
 
紀元前133年~紀元前27年の間の約100年です。
 
 
それではその間どんなことが起ったのか、そして、どうやって収束したのか見ていきましょう。
 
 
「内乱の一世紀が起こったわけ」をサクッと知りたい方は、ずっと下の方の「まとめ」に飛んでください。

 
 

「内乱の一世紀」が起こるまで

◆ラティフンディアで経済格差が開きすぎ

 

 
カルタゴとの「ポエニ戦争」に勝って、ローマは多数の属州を手に入れました。
 
 
古代ローマの戦争の担い手・重装歩兵は多くが平民です。平民=農夫ではなく平民=兵士となっていたのです。
 
 
兵士マインドを身につけた平民は戦争が終わっても、家で農地を耕す気になれませんでした。そこで、彼らの多くは自分の土地(農地)を売って生活費に変えることにしたんです。
 
 
その平民たちの農地を買い取ったのが、貴族でした。
 
 
貴族は平民が手放した農地をたくさんたくさん買い取って、大土地所有主になったのです。そしてその広大な農地で、奴隷を使って大規模農業を行うようになりました。奴隷どっから調達したのかというと、は戦争で侵略した国からです。
 
 
この大土地経営を「ラティフンディア」といいます。
 
 
奴隷制の大規模農業はすごく凄惨効率がよかったので、貴族はますます裕福になっていきました。
 
 
一方、農地を売らずに自分たちで今までどおり農地を耕していた平民は、ラティフンディアの生産効率にはまったく歯が立たなくなり、仕方なく農地を売り払うようになったのです。
 
 
彼ら平民は完全に「持たざる者」となり貧乏になっていきました。
 
 
突然なんでも売ってる大型スーパーができてしまい、駅前商店街の小さなお店が次々つぶれていく、みたいな感じでしょうか。
 
 
この仕事(農業)を失くして貧乏になった平民たちが向かったのは、繁栄する都・ローマです。

 

 

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◆「パンと見世物」を求めて

 

 
地元の田舎で仕事がなくなった平民(元農民)たちの多くが、仕事を求めて都会に移住しようと考えました。現代も同じですね、これ。
 
 
そうして向かったのがローマです。
 
 
ローマは信じられないような栄華を誇る国でした。穀物などの食料も物資もすべてシチリア島などの属州から運ばれてきます。(属州の税の取り立て過酷でした)
 
 
小麦はいつでも無料で支給されるので、なんでも作りたい放題、パンを無料で配給されることもありました。
 
 
彼ら「ローマ市民」はここではすでに働かずして食べていくことが出来る特権階級だったのです。でも、人は働かなくなると、一部の人を除き堕落するものです。
 
 
遊民化した平民(ローマ市民)は「娯楽」を求め、それに応じるかたちで劇場での観劇、コロシアムでの剣闘士による殺し合いなど、刺激的な見世物が発展していきます。
 
 
古代ローマの詩人ユウェナリスは、こんな世相を風刺して「パンと見世物(サーカス)」という言葉を残しました。

 
 

◆グラックス兄弟の改革

 

 
平民たちが没落し堕落していくのは、ローマとしても頭を抱える問題でした。
 
 
なぜなら、彼らはいざとなったら重装歩兵になる兵士たちです。彼らの堕落は国力の弱体化に直結するのでなんとかしなければいけません。
 
 
というのも、このころのローマは、戦争で獲得した物資と奴隷の労働によって成り立っていたんですよ。
 
 
ローマのとてつもなく大きな経済力は戦争なくしてあり得なかったのです。
 
 
前133年に護民官になったグラックス兄弟は、これをなんとかせにゃならんと考え、もう一度、平民たちに農地を与えようとしました。
 
 
そして、広大な農地を経営する貴族から土地を没収して、中小農民たちに再び分け与える政策を打ち出したのです。
 
 
でも、これは貴族の大反感を買いました。そうして、グラックス兄は貴族で構成される元老院側の手で殺されてしまったのです。
 
 
兄の志を継いだグラックス弟が10年後に護民官としてもう一度実行しようとしましたが、やはり元老院側の大反対にあい、追いつめられて自殺しました。
 
 
人間はいったん手に入れたおいしい権力は、どんな手を使ってでも手放したくないと思うものなんですよ。
 
 
「グラックス兄弟」の改革はこうして失敗に終わり、この後ローマは「内乱の一世紀」に入りました。

 
 

まとめ

 

 
「内乱の一世紀」が起こったわけを、最後にかんたんにまとめておきます。
 
 
★ ポエニ戦争などの戦争が続き、平民(農民)が重装歩兵となり農地を手放した
     ↓
★ 平民の手放した農地を貴族が買い取って奴隷を使って大規模農業を始めた(ラティフンディア)
     ↓
★ 没落した平民がローマで遊民化した
     ↓
★ グラックス兄弟が改革しようとしたが失敗

 
 
グラックス兄弟の死が「内乱の一世紀」の始まりとされます。
 
 
貴族がお金で私兵を雇うようになり、重装歩兵に変わって私兵が戦いを担うようになっていきました。
 
 
内乱の主な戦闘員は、この貴族の私兵だったのです。

 
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