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共和制ローマで、禅450年ごろに初めての「成文法」が制定されました!
 
 
これは歴史的に見て大スクープです。なぜなら、これ以降、この「十二表法が」がローマ法の基本となったからです。後世への影響が大きかったのです。
 
 
今回は「十二表法」がどんなもので、共和制ローマにどんな影響を与えたのかお伝えします。

 
 

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貴族と平民の戦い

 

 
共和制ローマでは、一部の特権階級パトリキ(貴族)が政治を独占していました。
 
 
でも、しだいにプレブス(平民)が力をつけていき、自分たちの権利を主張するようになります。そうして制定されたのが、元老院が平民に不利になることを決定したときに「拒否権」を行使できる「護民官」です。
 
 
護民官は始めは平民から2人選ばれたのですが後に10人に増えました。だんだん権利が認められてきたと分かりますね。
 
 
でも、まだまだ不十分です。
 
 
そこで次は、はっきりした「法律」を作って平民を守ろうと考えたのです。
 
 
そして作られたのが「十二表法」でした。

 
 

十二表法はローマ最古の「成文法」

 

 
平民を守るために何より大切なのは「法」です。それは、誰もが同じ判断を下せる法でなければいけません。
 
 
それまでの古代ローマにも法はありましたが、明文になっていない「慣習法」だったので、パトリキ(貴族)に都合の良い解釈をされてきたんです。
 
 
つまり、法律は貴族だけが知っていて平民には教えなかったわけですよ。
 
 
だから、貴族と平民が争ったとき、貴族に有利なごまかしをし放題だったわけです。
 
 
大切なのは法を文章にして示すこと・・・
 
 
そこで、法を12枚の板にはっきり書いて、みんなにどんな法律があってどんなことを遵守しなければならないかを示すことにしました。
 
 
それが「十二表法」です。
 
 
これで、もしも貴族が平民に不利な解釈をしようとしたとき、「ここにこうかいてあるだろ!」と正々堂々、反論できるようになったわけです。
 
 
この十二表法は、ローマ最古の「成文法」でした。

 
 

十二表法は評判悪かった?

 

 
さっきからローマ最古の成分法と持ち上げてますが、実はこの十二表法、できた当初は評判が悪かったといわれます。
 
 
「たった12個の法律じゃ、全然フォローできてない!」という理由です。
 
 
聖徳太子の憲法だって17か条ありましたね。
 
 
数だけでなく内容も、当たり前じゃんと言いたくなるような当たり障りのないことばかり書かれていたのです。込みいったややこしい事案には対応できず、やはり貴族に有利だったんです。
 
 
原文の記録はほとんど失われているのですが、裁判や訴訟手続き意外に犯罪を犯した場合の罪の償い方や、家父長権についての法律も定められていました。道徳っぽいです。
 
 
これは体系的な成文法ではなかったので、確かに不十分でした。
 
 
でも、十二表法は、「これからは法律をきちんと明文化しよう」という流れを作った点で、大いに意義があったのです。

 

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十二表法がローマに与えた影響

 

 
十二表法は、法律としては不十分なものでした。
 
 
でも、だからこそこれを基礎にして人々が知恵を出し合い、「補足」「改正」をくり返して作り上げていったのです。
 
 
まず、前445年、「カヌレイウス法」で「貴族と平民の通婚禁止の規定」が修正されました。
 
 
さらに前367年には「リキニウス・セクスティウス法」が制定され、前287年の「ホルテンシウス法」で共和政の政体が完成しました。
 
 
ここで一応、ローマの民主共和制は達成されます
 
 
つまり、十二表法が作られたことによって、古代ローマではそれまで政治的に支配されていたプレブス(平民)たちが、自分たちの声を(政治的な意見)を発しやすくなり、政治参加に強い関心を持つ者が増えていったのです。
 
 
そうして積極的に「法の改正」に取り組み、新たな法律が作られて、プレブス(平民)の政治的権利が大きくなっていったのでした。
 
 
その後、これらのローマ法は、ローマの市民法として制定され、帝政時代に入るとローマ市民以外にも適用される万民法に発展していきました。
 
 
十二表法がすべての法の原点(ヨーロッパ限定)といわれるのは、そういうわけなのです。

 
 
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