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こんにちは!
 
 
今回は、イギリス国王の中でもかなり有名なエリザベス1世について!
 
 
彼女は、映画にも取り上げられることが多い近世イングランドの全盛期に君臨した女王でした。
 
 
それでは、ご紹介します。

 
 

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◆エリザベス1世はどんな人?

 

【出典元Wikipedia】

 
エリザベス1世は、イングランドのテューダー朝のメアリ1世の次に王位についた女王(在位1558~1603年)です。
 
 
父はヘンリ8世で、母は元侍女のアン=ブーリンです。
父についてはコチラの記事を⇒★俺様国王ヘンリー8世!
 
 
母親のアン・ブーリンはエリザベスを産んだ後、姦通罪で処刑されました。結構大変な家庭に見えますが、彼女は両親とは引き離されて育っています。
 
 
前代のメアリ1世は、敬虔なカトリック教徒で、スペイン大好き政策を取っていたため、イギリス国民はそれに強い不満を抱いていました。
 
 
エリザベス1世は、そんな国民感情を味方につけて、宗教問題の解決を進め、テューダー朝の絶対王政を確立した人なのです。
 
 
彼女は生涯結婚することなく、「わたしはイギリスと結婚した」という名言(?)が残ってるほど政治に一生を捧げたところから、国民の人気は高かったのです。
 
 
でも、彼女が結婚せず王位継承者が身内にいなかったため、エリザベス1世の死後、王位は、スコットランドの王家ステュアート家から迎えることとなり、テューダー朝は途絶えました。

 
 

◆「イギリス宗教改革」を完成させた

 

 
1558年に即位したエリザベス1世は、先代のメアリ1世が進めたカトリック政策を改めて、「イギリス国教会」による宗教統制を復活させると決めました。
 
 
そして、翌年の1559年には、「首長法」(国王至上法)を再び制定して、女王は「世俗上の事項と同じように、一切の宗教上・教会上の事項においてもイギリス王国の唯一最高の統治者である」と定たのです。
 
 
また、同年に施行された「統一法」で、イギリス国教会ではプロテスタント方式での礼拝・祈祷(エドワード6世の時定められた一般祈祷書)をすると確定しました。
 
 
これによって、ヘンリ8世によって始められた「イギリス宗教改革」が完成したのです。
 
 
彼女は、教義の上での新たな信仰箇条を定めてカルヴァン派の教義を取り入れましたが、その一方で、教会組織ではカトリックの司教制度に近い主教制を採用しています。なかなか柔軟な対応です。
 
 
これらのイギリス国教会体制の強化に対して、ローマ教皇ピウス5世は、対抗宗教改革の一環として1570年にエリザベス1世を破門にし、イギリス国教会とローマ・カトリック教会は決定的に分裂しました。
 
 
イングランド国内では、まだカトリック勢力も大きく、元スコットランド女王でイギリスに保護されていたメアリ・ステュアートをかつごうとする動きがありました。
 
 
しかし、エリザベス1世は1587年にメアリー・スチュアートを処刑して王位の安定を図ったのでした。

 
 

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◆イギリスルネッサンスが開花

 

【出典元:Wikipedia】

         ↑
若い頃のエリザベス1世です。画家の描き方にもよりますが、少しふっくらしてまだかわいらしい雰囲気ですね。
 
 
エリザベス1世の時代、16世紀から17世紀初めのイングランドは、イギリス・ルネサンスが開花した時代でもありました。
 
 
その代表的なのが、ウイリアム・シェークスピアです。
 
 
シェークスピアはこの時期に、多くの演劇の台本を書き、イギリス文化独特の演劇が隆盛しました。
 
 
文学では詩人エドマンド・スペンサーらが活躍していますが、美術では際立ったものは現れませんでした。
 
 
イギリス・ルネッサンスは、文学や演劇といった文芸作品が中心だったのです。

 

 

◆海外政策でスペインと対立

 

【出典元:Wikipedia】

 
イングランドは、前代のメアリ1世のときにカレーを失って、大陸内のイギリス領は完全になくなりました。エリザベス1世は即位直後の1559年にフランスと間でカトー=カンブレジ条約(イタリア戦争の終結)を締結し、戦争を終結させています。
 
 
そうして、イングランドは、新天地の開拓に目を向け始めたのです。その結果、それまで友好関係を保っていたスペインと、海外貿易で競合するようになっていきました。
 
 
始めは劣勢だったイギリス船が、海賊行為を働くという程度の争いでしたが、次第に両者の対立は激しくなっていきました。
 
 
さらに、旧教国スペインがイギリスの国教会を認めないという宗教対立もあって、オランダの支援に動いたイギリスを討つという名目で、スペインのフェリペ2世は、無敵艦隊を派遣してイングランド艦隊をつぶそうとしたのです。
 
 
でも、イングランドはこれを退け、アルマダ海戦に勝利しました。
アルマダ海戦についてはこちらでお伝えしています。⇒★アルマダ海戦がスッキリ分かる!
 
 
スペイン艦隊を破ったことで、イングランドは海洋帝国としての第一歩を歩み出したのです。

 
 

◆イングランドの「重商主義政策」

 
 
エリザベス1世は、アメリカ大陸へ進出し、東インド会社の設立など積極的な海外政策を発展策をとりました。
 
 
1580年には、オスマン帝国からカピチュレーションを認められて、オスマン帝国への毛織物の輸出を独占させるレヴァント会社を設立しました。
 
 
またヘンリ8世のころからの悪貨の乱発で混乱した経済を立て直すため、グレシャムを採用して、悪貨の回収と新通貨の流通に努めました。
 
 
エリザベス1世の時代は、毛織物産業の発展を背景に、第1次エンクロージャーが進行して、労働者階級の形成が始まった時代でもありました。
 
 
それによって、貧富の差の拡大が表面化したため、「救貧法」を制定したのです。

 
 

◆エリザベス1世のまとめ


エリザベス1世の時代は、イングランド国内を統一し、スペインの無敵艦隊を破り、シェークスピアが活躍するという華々しい時代でした。
 
 
でも、その一方で、中世から近代へ移行する転換期直前だったのです。
 
 
★エリザベス1世の業績まとめ!

・イギリス絶対王政全盛期を気づいた
 
・イギリス宗教改革を完成させた
 
・重商主義政策で国内産業を発展させた
 
・アルマダ海戦でスペイン艦隊を破り新大陸に進出
 
・イギリス・ルネッサンスが開花した

 

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