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こんにちは!
 
暴君の多い印象のあるロシアの中でも筋金入りの暴君・イヴァン4世
 
 
彼は、ロシアがまだ「モスクワ大公国」と呼ばれていた黎明期の王で「ツァーリ」と最初に称した君主でした。前代は「大帝」と呼ばれたイヴァン3世です。
 
 
彼の場合、幼いころから動物虐待したり、領民をいじめる目的でわざわざ町に出かけたりしているので、もともと気質がかなり病的です。
 
 
敵対者に対する仕打ちだけでなく、自分が跡取りと決めていた息子をブッち切れて殴り殺してしまったたことからも、自分の怒りのおさめ方がわからなかったヤバイ人なのです。(息子のことは、後で激しく後悔しています)
 
 
こんな人が何十年も王として君臨していたのだから、恐ろしい時代ですよ。

 
 

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◆イヴァン4世はこんな人

 

【出典元:Wikipedia】

 
ロシアの国家は、まだ領土が小さかったころモンゴル民族の襲撃をよく受けていました。それを退けたのが、モスクワ大公国のイヴァン3世(大帝)です。彼の元で、モスクワ大公国は飛躍的に力をつけていきました。
 
 
イヴァン4世はその孫にあたり、モスクワ大公にわずか3歳で即位しました。
 
 
3歳で国家を統治などできるはずがないので、始めは母方の一族を中心に大貴族が実権を握り、彼はお飾りだったのです。
 
 
1547年、16歳のとき、彼は自ら「ツァーリ」と称してロシア皇帝になりました。(在位1533~84)。
 
 
ちょうどその頃、母方の一族が失脚する事件が起こり、比較的スムーズに親政に移行できたようですよ。

 
 

◆結婚後はよき「ツァーリ」として善政を行った

 

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【出典元:Wikipediaイヴァン4世の玉座】

 
彼のキレたら終わりという怖ろしい性格を、1人だけ治められる人がいました。
 
 
それが、イヴァン4世の最初の妻・アナスタシアです。彼女はロマノフ家の出身で、この結婚の縁で、ロシアはこの後、ロマノフ王朝に変わります。
 
 
アナスタシアはどういうわけかイヴァンの機嫌を取ることがものすごく上手で、彼女が生きている間、イヴァン4世はそんなに臣下や領民にサディスティックことはしなかったのでした。
 
 
おそらく、心底アナスタシアを愛し信頼していたのでしょう。だから、アナスタシアが操縦できたんですよ。
 
 
彼女は、千人余りの花嫁候補の中から選ばれた特別な女性でした。
 
 
イヴァン4世は、妻を迎えるに際して、ロシア中から貴族の娘を募り、2次選考までして絞り込まれた中の数十人と、直接お見合いをして花嫁を決めたのでした。
 
 
こうして、アナスタシアは17歳のイヴァンと出会ったのです。イヴァン4世は、彼女と話した瞬間から恋の虜になりました。彼女の知性や教養、優しさ、謙虚な性格、深い信仰心、それらすべてに、彼は魅了されたのです。
 
 
でも、その最愛の妻は、イヴァン4世が30歳のとき病気で死んでしまいます。その突然の死に疑いを抱いたイヴァン4世は、どんどん猜疑心が強くなっていきました。
 
 
それから、彼の残虐さはどんどんどんどん顕在化し、エスカレートしていったのです。

 
 

◆最初のツァーリとして大虐殺・恐怖政治を行った

 

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【出典元:Wikipedia】

 
まず、彼は、妻が死んだのは「毒殺」ではなかったのかと疑います。実は、イヴァン4世が妻を大事にし、その妻の実家が権力を握ることを快く思わない大貴族がたくさんいたのです。
 
 
彼は、妻の親族以外の大貴族たちに疑惑の目を向けました。
 
 
そうして、妻を嫌っていたもの、自分の意に従わない者や疑わしい者を、どんどん粛清していったのです。そして、貴族が権力を握らないように、実質的にツァーりによる独裁政治を行いました。また、農民が勝手に土地から離れないように農奴制を強化させました。
 
 
彼はまた、新たに心の安らぎになる妻を探そうと、何度も大がかりなお見合いをして合計7回も結婚しています。
 
 
妻の多くは死別したり離縁したりしたのですが、結局、最初の妻・アナスタシアほど愛せる女性には、巡り合えなかったのです。

 
 

◆数々の戦争で領土を広げた


 
イヴァン4世は、周辺諸国とも積極的に戦争を行い、カザン・ハン国やアストラ・ハン国を攻めて支配しました。
 
 
またコサック(武装集団)に命じて、シベリアの一部を征服させ、モスクワ大公国の領土を拡大しました。
 
 
彼の残虐性はおさまらず、「ノブゴロド」という街全体を粛清対象とするという、めちゃくちゃ非道な大虐殺も行いました。
 
 
戦争による心労はますます精神を疲弊させ、ときたまキレると怒りがおさまらないという状態が続きました。

 

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◆ブッちぎれてとうとう息子を撲殺!


 
イヴァン4世は、愛する最初の妻アナスタシアが産んだ息子を後継者と決めていました。
 
 
その息子のイヴァン(同じ名前)は27歳になっており、彼の妻エレナは妊娠していました。
 
 
そのエレナが宮廷で妊娠していたことを理由に正装していなかったのに、イヴァン4世は腹を立てたのです。
 
 
そして、いつものように妊娠している息子の嫁を、長い杖で何度も叩きのめしたのでした。
 
 
妊婦さんを叩きのめすなんて、なんちゅうことすんねん!
 
 
こっちが怒りたくなりますが、この人は権力者でなかったとしても近寄ったらヤバイ人なので、たいていの人は見なかったことにしたでしょう。
 
 
でも、それができない人がいました。
それは、エレナの夫、つまりイヴァン4世の息子です。
 
 
2人は激しい口論となり、非難されるのが我慢ならない性分のイヴァン4世は、あろうことか、自分の息子をその持っていた杖でめった打ちしてしまったのでした。
 
 
・・・息子は、頭を強打し死んでしまいました。
 
 
そして、エレナも流産し、それが原因で死んでしまったのです。
 
 
なんてこったの結末でした・・・

 
 

◆イヴァン4世の最期

 

 
イヴァン4世は息子を殺してしまったことを、本気で悔やんだそうです。正気に戻ったら、なんでこんなことしてしまったんだろうってなるんでしょうね、こういう人は。
 
 
いくら残虐非道のサディストでも、気に入っていた息子を殺してしまうというのは心外だったはずです。
 
 
でも、もう後の祭りです。
 
 
彼は、それから不眠症がどんどんひどくなり、ときおり夜中に息子の名前を呼びながら、ふらふら徘徊していたそうです。
 
 
そうして、絶望したまま53歳で病死しました。

 
 
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