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こんにちは!
 
 
今はもう存在しないプロイセン王国。世界史を高校で選択してない人は「どこ?」という感じかもしれません。
 
 
まあ、めっちゃおおざっぱに言うと「ドイツ」です。
 
 
この国の最も有名な国王といえば「大王」と称されたこの人・フリードリヒ2世です。18世紀後半の国王で、オーストリアなどと戦って領土を拡大した典型的な啓蒙専制君主でした。
 
 
でも、この人、いろんなおもろい逸話を残す愛すべきオッサンなのです。

 
 

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◆フリードリヒ2世はこんな人!

 

【出典元:Wikipediaフリードリヒ1世】

 
フリードリヒ2世は、プロイセン王国のホーエンツォレルン家の国王です。(在位1740~86年)父のフリードリヒ・ウィルヘルム1世は、めちゃくちゃ息子に厳しい暴君で、フリードリヒに対して、もすごく厳しい軍人教育を施していました。
 
 
それに、フリードリヒは全力で反抗したのです。実は、フリードリヒは、哲学が大好き、音楽が大好きという内省的な性格でした。とにかく父親が大っ嫌いで、友人(恋人だったかも)と2人でフランスに逃亡したこともありました。でも、連れ戻されて、なんと友人だけが処刑されてしまったのです。
 
 
これは、思春期ボーイには、ショックすぎる事件ですよ!
 
 
この事件以降、フリードリヒは無駄なあがきをやめて、体裁だけでも父親に従っていったようです。
 
 
1740年に即位してからは、軍隊と官僚制を整備し、重商主義経済政策をすすめました。「富国強兵」を掲げ、戦争をしまくり、彼の時代にプロイセンはヨーロッパ最強の国家となったのです。
 
 
それで「大王」とよばれるようになったのでした。

 
 

◆とにかく「女嫌い」な国王だった

 

 
フリードリヒ2世は、女嫌いの代名詞のようなおっさんです。フランスのルイ13世など、他にも女嫌いの君主は意外といたのでした。
 
 
彼の場合、だから男好きだったのかというと、ちょっと微妙(女の愛人もいたらしい)なのですが、絶世の美女と呼ばれた王妃とすごく仲が悪かったのも女嫌いとささやかれる理由でした。なんでやねん、もったいないという感じです。
 
 
そして、女は嫌い!宮廷にはブスな女しか残っていない、臭い匂いが漂ってきそうだとか言いたい放題言っていました。そして、やっぱり、どっちかというと男のほうがずっと好きだったんじゃないかと思います。(←想像です)

 

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◆3人の女帝を怒らせ包囲されてヤバかった!

 

 
彼は、1740年に即位しましたが、同時期に隣の国でも即位した女性がいました。
 
 
そう、オーストリア、ハプスブルグ家のマリア・テレジアです。
マリア・テレジアはこんな人⇒★戦争しまくりながら16人の子供を産んだ女帝
 
 
フリードリヒ28歳、マリア・テレジアが23歳、どちらも若い君主でした。そうして、この女嫌いのフリードリヒ2世、あろうことか「女の皇帝など認めん!」と、いちゃもんをつけてオーストリアに攻め込んだのです。
 
 
それが、「オーストリア継承戦争」と呼ばれるものです。
 
 
そのときは、豊かな穀倉地帯シュレジエンを奪うことができたのですが、マリア・テレジアは舐めてかかっらた痛い目を見る女傑でした。
 
 
彼女は彼が嫌っている女2人を味方につけ、対プロイセン包囲網を作り上げたのです。他の2名は、ロシアのエリザベータ女帝とルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人でした。(3枚のペチコート作戦
 
 
フリードリヒは、3人の国家代表の女性たちを「魔女」だのなんのとののしりまくっていました。でも、マリア・テレジアもそうとう毒舌で、フリードリヒ2世のことを、「シレジアの強奪者」「怪物」「醜悪な隣人」「下劣な男」などとしっかり言い返しています。
 
 
結局、フリードリヒ2世は46年に及ぶ統治のほぼ全期間を、この3人の魔女(女性)との戦いに費やしたのでした。
 
 
この対決は、最終的には、圧勝とは全く言えなくも、シュレジエンの領有をオーストリアに認めさせるという、一応有利な条件で講和できました。

 
 

◆哲学好きでウォルテールと仲良し

 

【出典元:Wikipedia】

 
フリードリヒ2世は、若い頃から哲学が好きで、「哲人王」と呼ばれています。
 
 
ヴォルテールの思想に傾倒し、自ら手紙を書いてサン・スーシ宮殿に招いて教えをこいました。そして、『反マキアヴェリ論』という論文も書いています。フリードリヒは、マキャヴェリの権謀術数を否定し、「君主は国家第一の僕(しもべ)」いう名言を残したのでした。
 
 
でも、この名言、なかなか殊勝なことを言ってますが、実は彼は専制君主としての俺様な一面を、使い分けていたのです。
 
 
ヴォルテールはその矛盾を見抜き、だんだんフリードリヒ2世に嫌気がさしてきました。そして、口喧嘩してパリに帰ってしまったのです。つまり、フリードリヒがふられっちゃったんです。

 
 

◆フルートはプロ級でロココ芸術を取り入れた

 

【出典元:Wikipediaフルートを吹くフリードリヒ】

 
フリードリヒ2世は、ベルリン南西郊外のポツダムの丘上にある離宮を建てました。サンスーシ宮殿です。サンスーシとは、フランス語で「無憂」を意味する言葉で、フルードりヒが自分で考えた名前でした。
 
 
居住性を重視した趣豊かな夏の小宮殿で、フランス・ロココの優雅さとドイツ・ロココの奔放さをみごとに調和させたプロイセン・ロココ建築の傑作といわれています。
 
 
彼はまた、音楽も大好きで、特にフルートはめちゃくちゃうまくプロ級の腕前だったそうですよ。

 
 

◆フリードリヒ2世は「ジャガイモ大好き」

 

 
フリードリヒ2世の時代は、新大陸から、新しい食物が入ってきた時代でした。
 
 
その頃に輸入されていたジャガイモはドイツの気候にバッチリ合って、よく育つ農作物だったのです。それで、フリードリヒ2世は、自ら率先してジャガイモを主食にし、民衆に広まるようにしたのです。
 
 
実は、当時はジャガイモは、その外見のいびつさから民衆に嫌われていました。でも、フリードリヒのジャガイモ・アピールが功を奏し、ジャガイモはそれから今に続く、ドイツの国民的食材になっていったのです。

 
 

◆フリードリヒ2世のまとめ


今回は、女嫌いでちょっと変わりもののフリードリヒ大王(1世)の特徴を、お伝えしました。
 
 
それでは、まとめ!

・とにかく「女が大嫌い!」だった
 
・マリア・テレジアの女帝誕生にいちゃもんをつけて戦争をふっかけた⇒シュレジエン奪取
 
・3人の女帝(1人は愛妾ですが)を怒らせて包囲されてヤバかった
 
・哲学王と呼ばれヴォルテール★love
 
・サンスーシ宮殿はドイツロココの傑作
 
・フルートがプロ並みにうまい!
 
・ジャガイモをドイツに取り入れた

 
 
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