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こんにちは。
 
 
今回は、エリザベス1世の父親でもあるカリスマ君主・ヘンリ8世を紹介します。
 
 
いろいろ逸話の多い王ですが、できるだけすっきりまとめていきますよ!

 
 

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◆ヘンリ8世はどんな人?

 

【出典元:Wikipedia】

 
 
ヘンリ8世は、チューダー朝のイングランド王ヘンリ7世の次男です。兄のアーサーが亡くなったため、18歳で即位しました。
 
 
父のヘンリ7世は薔薇戦争の勝者で、チューダー朝の初代国王です。
 
 
ということは、彼が若かったころは、イングランドはまだまだ政情不安定だったのです。
 
 
ヘンリ8世は、それはそれは熱心なカトリック教徒でした。
 
 
当時、宗教改革の波が押し寄せていましたが、ヘンリ8世は、マルティン・ルターがドイツで進めていた宗教改革に大反対して、ローマ教皇から「信仰の擁護者」と称えられていたのです。
 
 
彼は、近隣諸国の君主からも、精力的で強い意志を持ったカリスマ性のある君主と思われていたようです。
 
 
文学や音楽にも精通していて、自分で楽器を演奏したり、文章を書いたり、詩を詠んだりすることもありました。
 
 
それらすべてにおいて、かなりの腕前だったそうですよ。
 
 
そして、情熱的なギャンブラーで、馬上槍試合や狩猟などのスポーツも得意でした。
 
 
また、ラテン語の他、スペイン語、フランス語を理解しし、多くの本に注釈をつけて、自分も小説を書きました。
 
 
ヘンリ8世は、そういうところから、イングランド王室史上最高のインテリだといわれているのです。
 
 
なんだかめちゃくちゃほめていますが、実は、彼にはとても困った点があったのです。
 
 
こういうタイプにありがちなのですが、かなりの俺様君主だったのです。
 
 
彼はとっても女好きだったのに、どういうわけか、王妃は女の子ばかり産みます。好き好んでそうしたわけでないのですが、政情不安定なこの時期、後継ぎは男でなければいかんと考えていたヘンリ8世は、王妃と離婚しようと考えました。
 
 
でも、この離婚問題が原因で、ローマ教皇と大きく対立してしまったのでした。

 

 

◆「イギリス宗教改革」のきっかけは王の離婚問題だった!

 

 
ヘンリ8世は、王妃キャサリンとの間に5人の娘がいましたが、王子が生まれなかったため、離婚したいと考えました。
 
 
薔薇戦争後の不安定なチューダー朝をまとめるには、女性の王では無理だと思い、どうしても男子の後継者が欲しかったのです。
 
 
そして、目を付けたのが、なんと王妃キャサリン付き侍女のアン・ブーリンという女性でした。妻の侍女に目をつけるとはーっ!
 
 
でも、ローマ教皇・パウルス3世は「離婚はカトリックの教義に反する」と認めてくれず、ヘンリ8世はを破門してしまいました。
 
 
それに逆切れしたヘンリ8世は、さっさと国王至上法というものを発してイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)を樹立したのです。首長は、なんと自分(イングランド国王)です。
 
 
そして、イングランド中の修道院を解散させて、教会が所有していた莫大な不動産を、王室に移管してしまいました。(修道院解散)
 
 
そうして、あっという間に、ローマ教皇庁から宗教を分離させて、英国独自の宗教改革を断行したのです。すごい決断力と実行力ですよ!
 
 
でも、当然ローマ教皇から破門されましたが、終生カトリックの教義への信仰は失わなかったといわれます。
 
 
ヘンリ8世は、その後、せっかく前妻と離婚してまで妻に迎えたアン・ブーリンを、姦通罪で処刑しました。おそらく、また女の子を産んだからでしょう。
 
 
ちなみに、そのとき彼女の産んだ娘が、後のエリザベス1世です。⇒★エリザベス1世はこんな人!
 
 
ヘンリ8世は生涯に6人の女性と結婚し、そのうち2人を処刑しています。また、離婚はカトリックの教義に反するといって大反対したトマス・モアも処刑しています。
 
 
自分の意にそわなければ、容赦ない残酷な一面を持っていたのでした。当時の風潮では、当然かもしれませんが。
 
 
でも、イングランド全体としては安定期に差しかかったところだったので、国民の人気はわりと高かったようですよ。
 
 
1536年、彼はジェーン・モアと結婚し、ようやく嫡男・後のエドワード6世をもうけました。
 
 
晩年になると、ヘンリ8世は馬上槍試合でケガをし、すごく太ってしまいました。そして、ケガの古傷にも悩まされるようになり、過食が進んでどんどん健康を害してまいます。そして、55歳のとき病気で亡くなりました。

 
 

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◆イギリス絶対王政を確立

 

【出典元Wikipedia】

 
政治においては、彼は貴族の力を押さえ、イングランドの中央集権化に努めました。また、アイルランドの支配を強めて強固な王権を作りあげています。
 
 
ヘンリ8世の時代に、イングランドはようやく安定し絶対王政を確立させました。
 

 

◆外交政策は?

 
 
当時、イタリア戦争が起こっていて、フランス王フランソワ1世神聖ローマ皇帝(スペイン王)カール5世が争っていました。イギリスはその両方から同盟を要請されたのです。
 
 
このとき、ヘンリ8世は、ネーデルラントを治めているスペインと結ぶのが得策だと考え、王妃のキャサリンがハプスブルク家出身(カールの叔母)でだったこともあって、カール5世を支援しました。

 
 

◆ヘンリ8世のまとめ

 

 
★ヘンリ8世はこんなことをした!

・イギリス国教会を作ってイギリスの宗教改革を行った
 
・イギリス絶対王政を確立させた王
 
・文化・芸術・スポーツに秀でた優秀なカリスマ国王だった
 
・女性問題で難点あり・妻を6人持ち(つまり5人離縁)そのうち2人を処刑した

 
 
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