この記事を読むのに必要な時間は約 15 分です。


 
こんにちは!
 
 
ロシアという国は、エキセントリックな皇帝のときに飛躍的躍進をとげるおもしろい国です。
 
 
イヴァン3世ピョートル1世、そして、今回のエカチェリーナ2世
いずれも「大帝」と呼ばれるロシアの発展に貢献した帝王で、めちゃくちゃ個性の強い人たちでした。
 
 
【関連記事】⇒ピョートル1世★お忍び欧州視察で職工のアルバイト?おちゃめなロシアのカリスマ君主
 
 
その中でも、エカチェリーナは、外国人でありながら軍部を味方につけてクーデタを起こし、夫から帝位を奪ったというとんでもなくエネルギッシュな女性だったのです。

 
 

スポンサーリンク

◆ロシア人でないエカチェリーナは努力の人だった

 
ピョートルとエカチェリーナ(子供は小姓)

【出典元:Wikipedia】

 
エカチェリーナ、元の名はゾフィー・アウグスタ・フレデリーケ、彼女はロシア人ではありません。ロシア人の血が一滴も流れていないポーランド人(神聖ローマ帝国のシュテッテン出身)でした。
 
 
ゾフィーは、二流貴族出身の不器量な女性でした。でも、頭脳明晰で並外れた野心を持つ強い女性だったのです。
 
 
そんなゾフィーは、親戚筋のロシア女帝エリザヴェータに花嫁候補として選ばれたくて、なんやかんやと努力します。ルター派新教からロシア正教会に改宗し、ロシア好きをアピールしまくったのです。
 
 
その努力の甲斐あって、彼女はエリザベータに気に入られ、後継者ピョートルの妻に決まったのでした。
 
 
彼女はロシア語もあまり話せなかったのですが、実はピョートル大帝を尊敬するロシア大好きっ娘だったのです。
 
 
だから、結婚後はロシア語が完璧になるまで猛勉強し、すべてをロシア風に改め、ロシア人になりきろうと頑張ったのです。
 
 
妻がこんな努力家なのに対し、夫のピョートルは、あろうことかプロイセンのフリードリヒ2世を尊敬する大のドイツ好きでした。
 
 
ピョートルも神聖ローマ帝国育ちなのでロシアになじめなかったというのもあるのですが、皇帝になるべき人間がこれでは先が思いやられます。
 
 
実際、帝位をついでから彼がやったことといえば、前帝のエリザベータがオーストリア・フランスと結んだ「3枚のペチコート作戦」をさっさと破棄してフリードリヒと仲良くなったことでした。
 
 
これは七年戦争時に、3つの国の女傑が「対フリードリヒ2世包囲網」を作ったもので、もうちょっとで勝てるところだったんですよ。
 
【関連記事】(他の2人の女傑)
  ↓
⇒★マリア・テレジアとは?子供が16人?のオーストリア女帝
⇒★ポンパドゥール夫人とは?まるで政治家?ルイ15世の公妾
 
これに、国内外(オーストリア・フランスと国内)から大ブーイングが起こりました。当然です。アホです。ロシアの国益を全く考えていません。
 
 
こんな状態なので、夫婦仲も最悪でした。で、どちらも速攻で愛人を作ります。
 
 
エカチェリーナの1人目の愛人は、なんと姑のエリザベータ推薦のイケメンです。この姑もなかなかすごいですよ。
 
 
なぜかというと、エリザベータはピョートルの実母ではないのです。彼女は未婚で子供がいなかったので、甥(ピョートル)を後継者に決めたのでした。
 
 
そして、そのうち妻からも義母からも有力貴族たちからも、ピョートルは邪魔なだけの存在になっていったのでした。

 
スポンサーリンク


 

◆クーデタで夫から帝位を奪い女帝エカチェリーナ2世に!

 

【出典元:Wikipedia】

 
1761年にエリザヴェータ女帝が崩御し、エカチェリーナの夫がピョートル3世として即位しました。
 
 
ピョートルは、前述したように「七年戦争」時にオーストリア・フランスと結んだ同盟を破って、プロイセンと即時講和(サンクトペテルブルク条約)してしまいました。そうして、破滅寸前に追い込まれていたフリードリヒ2世を救ったのです。
 
 
プロイセンとの休戦条約では、占領地域を全部返還して、賠償金も要求しませんでした。
 
 
これが、ロシア国民、特にロシア軍部の大反感を買ってしまったのです。命を賭けて戦ったのですから当然ですね。
 
 
ピョートルは、とにかくフリードリヒ大王様が好きです。オーストリアのヨーゼフ2世(マリアテレジアの息子)といい、この時代の男どもはフリードリヒ信望者が多いのです。
 
 
その上、彼はプロイセンと軍事同盟を結んで、軍隊の規律をプロイセン風に改め、ロシアの伝統的な「緑の軍服」を禁止し、プロイセンのような「青の軍服」に変えたのでした。
 
 
これは、もともと反プロイセン感情の強い国民感情を、さかなでしまくる行為でした。軍部は、かんかんで大爆発直前です!
 
 
そうして、とうとう1762年6月28日、皇后エカチェリーナを支持する近衛部隊がクーデタを起こし、ピョートル3世は逮捕・軟禁されたのでした。
 
 
在位わずか6ヶ月でした。そして、それから1週間ほど後の7月6日、彼は、監視役のアレクセイ・オルロフによって殺害されたのです。
 
 
この殺害にはエカチェリーナは関わっていなかったとされています。
 
 
さすがに1週間で夫の殺害命令を出したら、怖い女と思われるでしょうから、賢い彼女はそんな命令は出さなかったでしょう。近衛部隊の独断で決行したと考えられています。
 
 
でも、公式にはピョートル3世は病死となっていて、その死因は「持病の痔が悪化して急逝した」と記されています。
 
 
「痔で死亡」ってそれもちょっと・・・(哀)
 
 
そうして、エカチェリーナは、うっとおしい夫をうまく排除し、自身が女帝エカチェリーナ2世(在位1762~1796年)として即位したのです。33歳のときでした。

 
ロシア伝統の「緑の軍服」を着たエカチェリーナ

 
※ピョートル3世は、幼稚で兵隊さん遊びをしていた、性的不能だった、愚鈍で役に立たなかったといわれますが、これはエカチェリーナ側の誇張(プロパガンダ)だったと、今では考えられています。性的不能はフランスのルイ16世と同じ包茎で、手術して治ってました。
 
 
急速にプロイセンに近づきすぎて、無償の講和条約を結んだのが、失脚した大きな原因だったのです。

 
 

◆公式な愛人が10人以上!最愛の人は英雄ポチョムキンだった

 

【出典元:Wikipediaポチョムキン】

 
エカチェリーナの困った?点は、イケメンが大好物だったところです。男好きというよりかっこいい男が好きって感じです。
 
 
頭脳明晰で賢い女性でしたが、しっかり愛欲も満足させるタイプだったようです。
 
 
公式な愛人は12人とも21人ともいわれ、一夜のアバンチュールの相手は生涯で100人以上にも及んだという都市伝説の持ち主です。
 
 
かなり男性的・・・。
 
 
エカチェリーナは、晩年になっても、愛人を囲うじいさんみたいなばあさんになっていきます。孫(後のニコライ1世)に「玉座の上の娼婦」とまで酷評されていますから、相当なのです。
 
 
でも、彼女は愛人に顔と体といたわりを求めましたが、政治には介入させませんでした。そこがエカチェリーナのさすがなところなのです。でも、1人だけ例外がいたんですよ。
 
 
それは、最愛の愛人・ポチョムキンでした。
 
 
ポチョムキンは、とても優秀な軍人で、なにより高い政治力を持つ男性だったのです。エカチェリーナは、彼を射止めたくて、しおらしい手紙を書いたりして猛アタックしました。
 
 
でも、その甲斐あって、彼の力を借りてロシアの領土を最大に広げることができたのでした。
 
 
ポチョムキンは、公私ともに、エカチェリーナにもっとも愛された男性でした。秘密結婚していたといわれるぐらいです。
 
 
愛人関係を解消した後も親友として信頼され、エカチェリーナ好みの若い男性を「夜のお菓子」として紹介していたそうです。なんだか、ルイ15世とポンパドール婦人の男女逆転ヴァージョンみたいです。

 
 

◆大農民反乱(プガチョフの乱)が起こり農奴制を強化した

 

 
エカチェリーナ2世は、まだまだヨーロッパに比べて後進国だったロシアの近代化に努めます。そもそもロシアが後進国とみられていたのは、農奴制が続いていたからです。
 
 
いまだ、2割の貴族が8割の農奴を奴隷のように使って搾取していた国なのです。
 
 
エカチェリーナは、すぐにも改革したかったのですが、外国人の彼女は貴族の強い反対を受けてまで断行することはできませんでした。
 
 
そうこうするうちに、1773年、大規模な農奴の反乱が起こってしまいます。(プガチョフの乱)
 
 
これを鎮圧するのに2年近くかかったエカチェリーナは、その後、農奴制をさらに強化させたのでした。

 
 

◆ロシアの領土を最大にした

 

 
エカチェリーナは、外交面での成果が高い君主です。
 
 
彼女はプロイセンとの友好関係(←ピョートル3世の成果)を利用することにし、オーストリアとともにポーランドの分割をおこないました。
 
 
それに反発してポーランドが反乱を起こすと、それをきっかけにしてまた攻め込み、結局3回の分割でもっとも広い領土を手に入れ、ポーランドを消滅させてしまいました。
 
 
また、南方ではオスマン帝国との2度にわたる戦争で、ワラキア、モルダヴィアから黒海沿岸に領土を広げ、クリム・ハン国を破って併合しました。
 
 
外交面の大きな成果は、ポチョムキンの活躍でクリミア半島を手にいれたことです。ここには、黒海の「不凍港」があるのです。ロシアにとっては、めちゃくちゃ大事な港です。ここを手にいれたことで、南下政策の足がかりができたのでした。

 
 

◆エルミタージュ美術館を創った!

 

 
エカチェリーナは、ロシアの宮殿の1つエルミタージュを美術館として改築しました。
 
 
彼女は、積極的にヨーロッパ美術の蒐集をおこない、文化的にも後進国だったロシアを近代化させ、その威信を内外に示そうとしたのです。
 
 
そのために、莫大な資金を投入し、絢爛豪華な美術館に、14000点の絵画や素描、38000点の書籍、10000点のカメオなどの宝飾品、16000点のコインを収集しました。
 
 
それが今のエルミタージュ美術館のはじまりだったのです。

 
 

◆おわりに


エカチェリーナ2世は、「優れた君主枠」だけでなく、「世界の悪女枠」でもよく登場する君主です。
 
 
ロシアの近代化にめちゃくちゃ貢献してがんばったのですが、やっぱり男性遍歴が批判されるのでしょうか・・・
 
 
彼女のことを知るのに私の一押し作品は、漫画「女帝エカチェリーナ」です。『ベルばら』の作者・池田理代子さんの作品です。とてもくわしく書かれていて、当時のロシアの国内外の様子もよく分かります。
 
 
特に、晩年にいろいろ問題を抱えていて、きれいにハッピーエンドで終わらないところなど・・・人間の一生は、物語のようにすっきりきれいに終わらないのだと、考えさせられるのでした。努力の一生だったのにね。

 
【参考図書】

by カエレバ

 
 
【関連記事】
   ↓


 

 
 

スポンサーリンク