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こんにちは。
 
ここ数年、某ゲームの影響で「刀剣ブーム」が続いていますね。
 
 
でも、昔から「日本刀」というものは、日本人にとってただの武器ではありませんでした。
 
 
平安時代には、守り刀として一族や奉納された神社の守り神のようなものでしたし、江戸時代には武士のアイデンティティー(魂)そのものでした。
 
 
単なる「モノ」ではなく、その凛とした美しさに人々は「魂」や「精神性」を求めてきたのです。
 
 
だからこそ、11世紀に打たれた太刀が今も大切に国宝として保存されているのです。
 
 
古い刀剣は幾多の人の手を経て、歴史の荒波を乗り越えてきています。その歴史浪漫を知ることで、日本史をまた違う角度からとらえることができるのは、とてもおもしろいです。
 
 
ゲームやアニメから入って、「日本刀」の歴史や持ち主との関係に興味が出て、歴史のおもしろさに気づいたという人も多いでしょう。
 
 
そうして、日本の伝統美・日本刀の美しさを知る人が増えていくのは素晴らしいことだと思います。
 
 
秋に京都で日本刀の展覧会「京のかたな」が開催されます。きっと混雑しそうですが今からワクワクなのです。

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今回は、刀剣の基礎として、日本刀の中でもよく見かける長い刀「太刀(たち)」と「打刀(うちがたな)」の違いを簡単にお伝えします。
 
 

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◆太刀(たち)と打刀(うちがたな)の違いは?

 

 
日本刀は、形や大きさの違いから大きく8種類に分けられます。
 
 
直刀(ちょくとう)・太刀(たち)・打刀(うちがたな)、脇差(わきざし)、短刀(たんとう)・剣(つるぎ)・薙刀(なぎなた)・槍(やり)です。
 
 
今回はその中でも、戦いの道具としてよく使われた太刀と打刀の違いをクローズアップしてお伝えします。

 
 

(1)太刀と打刀は「長さ」では区別できない?

 

 
太刀(たち)と打刀(うちがたな)は、見た目の大きさ(長さ)では判断できません。なぜなら、本来長さで区別する事はあまり意味をなさないからです。
 
 
一応、長さの決まりとして、短刀は30cm以内、脇差が30cm~60cm、打刀が60cm以上となっています。
 
 
太刀は古い刀なので、長さの規定は特にありませんでした。小太刀から大太刀までさまざまあります。
 
 
ですから、打刀より短い「獅子王」のような小振りな太刀も存在するのです。
 
 
「獅子王」についてこちらでお伝えしています。

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(2)形状・帯刀の違い

 
 
太刀と打刀は形状や装着、飾られ方の違いでも区別できます。
 
 
太刀は、基本的に馬上戦で使うために作られているので、戦いやすいように刀の反りが大きいです。
 
 
そして、刃方を下にして腰に吊るしていました。それを刀を佩く(はく)といいます。
 
 
一方、打刀は室町時代以降、戦国時代に登場しました。この頃、戦法が馬上戦ではなく徒歩(かち)部隊による接近戦に代わったためです。
 
 
打刀は太刀のように「腰に佩く」のではなく、刃方を上に向けて「腰に差す」状態で携帯しました。

 
 

(2)歴史的な登場の仕方が違う

 

 
太刀と打刀の違いは、歴史的な登場の仕方を見ていくとわかりやすいです。
 
 
太刀(たち)が、始めに平安時代に登場しました。そのころは、打刀はまだ存在してませんよ。

 
 

1.平安時代~源平合戦(鎌倉初期)

 
 
平安時代は馬上での戦いが主流でした。蝦夷侵攻や地方の反乱を収めるため、馬上で振り回せる反りの大きな長い刀の需要があったのです。
 
 
それで、太刀(たち)が平安時代に登場したのでした。
 
 
また、平安時代は鬼や妖怪が現れたり、それを陰陽師が式神を使って退治するというファンタジックな世界観の社会でした。
 
 
このころの人々は、「刀」にも神がかり的な力があると思っていたので、神社や家の護符のような存在の太刀(たち)もあったのです。
 
 
石切剣箭神社の宝物(ほうもつ)「石切丸」や源氏の重宝「髭切」などがそんな感じです
 
 
非科学的な力の存在を信じる昔の人にとって、「刀の霊力(剣精)」は実際に存在した(士気に大きく作用するから)でしょう。
 
 
強力な「お守り」効果ですね。

 
 

2.鎌倉時代

 

 
鎌倉幕府の成立によって武士の時代が始まりました。そして、鎌倉時代中期以降は、太刀(たち)の全盛期になっていきます。
 
 
元寇によるモンゴル軍の侵攻に対応するため、馬上で用いるひときわ大きな太刀が増えていったのです。
 
 
公家の持つ太刀が煌びやかに装飾された宝刀だったのに対し、武家の太刀は質実剛健な刀装のものが多いです。

 
 

3.南北朝時代(鎌倉時代末期)

 
 
鎌倉時代末期、南朝と北朝と別れた「南北朝の戦い」が起こります。
 
 
戦いに使われる武器は、これまで発達してきた大きな太刀がさらに異様なまでに長大に作られるようになったのです。
 
 
大太刀(おおだち)や薙刀(なぎなた)、槍(やり)が戦力になった時代です。

 
 

4・室町時代~戦国時代

 
 
室町時代になると、槍鉄砲が台頭して馬上戦がすたれていきます。戦いの形式が徒歩(かち)部隊中心に変わっていったのです。
 
 
この戦闘形態の違いは武器の形にも影響し、一転して日本刀は太刀(たち)から打刀(うちがたな)の時代へ移っていきます。
 
 
たとえば、織田信長から黒田長政に下賜された「へし切長谷部」は、作られたときは大太刀だったのですが、後の時代に磨り上げ(切り詰め)られ打刀になりました。

 
 

5.安土桃山時代

 
 
戦国時代の戦乱が終わりを迎えると、新刀と呼ばれる打刀がブームになります。
 
 
また、このころ打刀と脇差を大小セットで誂えるのも流行りました。
 
 
時代劇などで武士が腰に帯びている大小二振りの刀剣はこの打刀と脇差のセットです。ここから、武士が「二本差し」と呼ばれるようになったのです。
 
 
刀剣は、歴史的には1600年頃(関ケ原の戦い)より以前に作られたものを「古刀、それ以降に作られたものを「新刀」と区別されます。

 
 

6.江戸時代

 

 
江戸時代になると、幕府の命で帯刀する刀の最大寸法が決められました
 
 
長大すぎる太刀で価値の高いものは、打刀へ磨り上げられることが増えたのです。
 
 
また、平和な時代になったので、日本刀は武器というより美術品としての需要が高まり、技巧を凝らした美しい絵画的な日本刀が好まれるようになっていきました。
 
 
そうして、同じ装丁の「打刀と脇差」大小一組のセットで腰に差すことが多くなったのです。平和な時代になったので、すでに実用ではなく「武士の象徴」として扱われるようになりました。

 
 

まとめ


太刀と打刀のそれぞれの特徴を、最後にまとめておきますね。
 
 
◆太刀(たち)
 
・作られた時代が平安時代から南北朝まで
・主に馬上で戦うための刀
・展示するとき刃が下向きで安置
・刀の反りが強い
・腰に佩く(はく)
 
 
◆打刀(うちがたな)
 
・作られた時代が室町時代以降
・主に歩行時に戦うための刀
・刃が上向きで安置されている
・反りが浅い
・腰に差す

 
 

おわりに


日本刀は、単なる武器や道具ではなく、その背景にあるものを含めた歴史的な存在です。
 
 
作った人の想いやそれを所持していた人の想いが、伝承となって刀とともに今に残るのです。
 
 
知れば知るほど興味がわいてくる、そんな不思議な存在なのでした。

 
【参考図書】

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