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こんにちは!
 
平安時代・右大臣にまで上り詰めながら政敵の陰謀で失脚した菅原道真公をご祭神とする北野天満宮。
 
 
「学問の神様」として知られる「天神さん」は、創建947年という歴史ある神社で、全国に約1万2000社ある天満宮・天神社の総本山でもあります。
 
 
そんな由緒正しい神社に、これまた伝説や逸話に登場する歴史ある太刀(たち)が奉納されています。
 
 
その刀剣の名は「鬼切(髭切)」
 
 
北野天満宮に「鬼切安綱」の名で納められているこの名刀は、誕生時は「髭切」と名付けられていました。
 
 
今回は、その源氏重代の宝剣「鬼切(髭切)」についてお伝えします。

 
 

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歴史の荒波を乗り越えてきた双刀の一振り「髭切(ひげきり)」

 

 
北野天満宮は平安時代から宮家・公家・豪商たちの崇敬を受け、さまざまな「宝物」が奉納されている神社です。「宝刀」もまたその一部でした。
 
 
たくさん収蔵されている「宝刀」の中には「重要文化財」に指定されているものもあります。
 
 
その中の一振りが、源氏の重宝「鬼切(髭切)」です。
 
 
「鬼切安綱」は作られた当初「髭切(ひげきり)」と名付けられていました
 
 
そして、この刀剣は「二振セット」作られた太刀のうちの一本、つまり「二振一具(ふたふりひとそなえ)」の双子の刀剣だったのです。
 
 
双子の片割れの太刀は「膝丸(ひざまる)」と名付けられ、現在、京都大覚寺に奉納されています。
 
 
これらは平安時代初期に、源満仲の命により伯耆国(ほうきのくに・鳥取県)の刀工・大原安綱(おおはら やすつな)が作ったと伝えられてます。
 
 
昔は銘刀が作られると、その斬れ味を試すために死罪の罪人を試し斬りに使ったそうです。この振りの斬れ味は、恐るべきものだったと伝わりますよ。
 
 
胴を分断するときに、一振りはヒゲまで切ったので「髭切(ひげきり)」、もう一振りはヒザまで斬ったので「膝丸(ひざまる)」と名付けられたというのが、その名の由来です。
 
 
その由来は、『平家物語』にも記されています。
でも、ぜんぜん素敵なネーミングじゃないですね・・・
 
 
この双子の太刀は長い歴史の中で、呼び名もコロコロ変わっていました。
 
 
誕生したとき「髭切」と名付けられた刀が、「鬼切」と呼ばれるようになったのは、ある摩訶不思議な恐ろしい出来事に由来していたのです。

 
 

源頼光四天王の1人・渡辺綱が「鬼」を斬った刀

 

 
平安中期に、鬼・妖怪退治で活躍した源頼光(みなもとのよりみつ)という人がいました。
 
 
彼は大江山の鬼「酒呑童子(しゅてんどうじ)」退治や「土蜘蛛」退治をした平安のスーパーヒーローです。
 
 
頼光は一匹狼ではなく「頼光四天王(らいこうしてんのう)」という「鬼退治レンジャー隊」の隊長でした。
 
 
その頼光の部下・四天王の筆頭が「渡辺綱(わたなべのつな)」です。変な名前ですけど。
 
 
ちなみに、四天王は、渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時(さかたきんとき)・碓井貞光(うすいさだみつ)・卜部季武(うらべのすえたけ)の4人です。

 
 

一条戻り橋の「鬼退治」

 
「現在の一条戻り橋」
 
そんな頼光隊長の元に、「堀川の一条戻橋に鬼が出た!」という一報が入ります。
 
 
「何ーーー!?」ということで、源頼光は早速、もっとも信頼している部下の渡辺綱を一条大宮に出動させました。
 
 
このとき、帰りが「夜」になることを心配した頼光が渡辺綱に持たせたのが、太刀「髭切」だったのです。
 
 
当時の「都の夜」は魑魅魍魎(ちみもうりょう)がばっこする異様な時空間でした。(←そういう事になってます)
 
 
渡辺綱が堀川に架かる「一条戻り橋」に到着したころには、もうどっぷり日が暮れていました。辺りは不気味なほどの静寂に包まれています。
 
 
と、そのとき突然、背後から若い娘の声が聞こえてきました。ビックリして綱が振り返ると、そこに若くはかなそうな娘が立っていたのです。
 
 
「五条まで参りたいのですが、日が暮れて怖くなりました。ご迷惑でなければ、ご一緒させてもらえませんか?」
 
 
そう頼む娘から、渡辺綱は不気味な気配を感じ取りました。
 
 
でも、このまま放っておくわけにはいかなかったので、娘を馬の後ろに乗せて送ることにしたのです。
 
 
しばらく進むと、娘はこう言いました。
 
 
「できれば、その先の洛外まで送って頂けませんか?」 
 
 
平安時代、「洛外」とは陰陽師のはった「都の結界」の外のこと、つまり、何が出るかわからない危険な場所なのでした。
 
 
渡辺綱が「ヤバイ!」と思った瞬間、娘の口は左右の耳まで裂けて目玉が飛び出し、顔があっという間に鬼の形相に変わったのです。
 
 
そして、鬼は渡辺綱に襲い掛かり空中に放り投げました。

 
 

渡辺綱、名刀「髭切」で鬼の腕を一刀両断す!

 

 
綱はビックリしましたが、変な予感もあったでしょうし、彼はそうとう場数をふんでる剛勇です。
 
 
そっさに源頼光から預かった太刀「髭切」をぬいて、一刀両断で鬼の両腕をスパッと斬り落としたのでした。
 
 
鬼は絶叫を上げて、そのまま雲の中へと逃げていきました。
 
 
渡辺綱はそのまま落下し、運良く北野天満宮の回廊の屋根の上に落ち助かりました。ここで北野天満宮との縁が生まれましたね。
 
 
後日、その斬り落とした「鬼の腕」を綱から受け取った源頼光は、どうすればよいか陰陽師・安倍晴明に相談しました。
 
 
「スーパーヒーロー」と「スーパー魔導士」(陰陽師ですが…)がそろっていたヒロイックファンタジーな時代だったんですね。
 
 
この鬼は安倍晴明の予言通り、腕を取り戻しに来ました。綱の年老いた義母に化けて、うまく取り返したのです。
 
 
でも、このとき見事に鬼の腕を両断した太刀ということで、「髭切」は渡辺綱とともに広く知られるようになり、それ以降「鬼切」と呼ばれるようになったのです。
 
 
ちなみにこのときの「鬼」は、酒呑童子(しゅてんどうじ)の子分・茨木童子(いばらきどうじ)と伝わります。(異説あり)

 
 

その後も主によって名前が変わり続けた刀剣

 

 
「鬼切」と呼ばれるようになった「髭切」は、その後12世紀半ば、源為義の代に、夜に獅子の鳴くような声で吠えたということで「獅子ノ子」、そして「友切」と名を改められました。(このとき「膝丸」「犬吠」と改められる)
 
 
その後、この兄弟刀は、一旦、別々の道を進むことになります。
 
 
「髭切」は「源氏の惣領」の手元に残りましたが、「膝丸」は為義の娘婿の熊野別当行範に婿引き出として譲られたのです。
 
 
やがて、「髭切」は源頼朝の手に渡りました。「源平の合戦」で負け戦が続いた頼朝は、源氏の重宝(守り刀)であるはずのこの刀剣に霊力が感じられないことを気にしていました。
 
 
すると、八幡大菩薩が具現し(夢でも見たか?)、この刀剣の名前を「友切」としたことが原因で、「髭切」に戻せば霊力が戻るというお告げがあったのでした。
 
 
源頼朝は、早速この太刀を「髭切」と改めました。そして、剣精の戻った「髭切」に助けられて、源頼朝は「源平の合戦」で勝利することができたと伝わります。

 
 

源頼朝の元で弟「膝丸」と再会

 

 
双剣「髭切」と「膝丸」は、作られたときは一緒に代々「源氏の惣領」に受け継がれていきました。
 
 
源為義の代で、娘婿に譲られた「膝丸」は、その後、頼朝の弟、源義経の手に渡って「薄緑」と改められます。それからさらに曽我兄弟の仇討ちを経て「膝丸」は兄の源頼朝の元に戻り、ようやく「二振一具」がそろったのでした。
 
 
そして、鎌倉幕府成立後は、「源氏の重宝」として将軍家の宝刀となりました。
 
 
鎌倉幕府滅亡後は、新田義貞(にったよしさだ)の手に渡り、さらに義貞を討った斯波高経(しばたかつね)の元に渡ります。
 
 
その後、斯波(しば)氏の子孫の戦国大名・最上(もがみ)氏に継承されました。
 
 
幕末の混乱期には、なぜか質屋に流されてしまったのですが、再び最上氏の元に戻され、今後この刀剣が失われることがないようにと、最上氏が北野天満宮に奉納し、今に至るのです。
 
 
現在「髭切」は、北野天満宮で「鬼切安綱(おにきりやすつな)」の名で奉納されています。

 
 

おわりに

 

 
華麗なる人々の手に渡り、鬼退治に使われた「源氏の重宝・髭切」。
 
 
弟の「膝丸」も、妖怪「土蜘蛛」を斬ったという謎の伝説を持つ名刀です。
 
 
二振り共に現存しているのが、奇跡のような宝刀です。

 
 
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