濃姫(帰蝶)の生涯・織田信長の正室の一生は謎だらけだった!

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織田信長の正室「濃姫」(のうひめ)。
 
「美濃の姫」だから「濃姫」と呼ばれたといわれますが、「帰蝶」という名でも伝わっています。美しい名前ですね。(*’▽’)
 
濃姫のことは、戦国時代にはありがちな事ですが、ほとんど文献に残っていないので、謎のままなのです。
 
ですから、歴史ドラマでは、様々な描かれ方をしています。
 
こういう「謎」、すごく気になりますね。
 
今回は、信長の正室・謎の多い濃姫(帰蝶)をご紹介します。
 

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織田信長の妻

 

 
織田信長には、濃姫の他、8人の側室がいました。
そのうち7人の側室が子供を産み、子供の数は、20人を超えます。
 
側室の中で、信長が最も愛しのが生駒吉乃といわれています。
信長との間に、嫡男・信忠を始め、2男1女をもうけています。

織田信長の子供は何人!?最愛の女性・生駒吉乃とはどんな人なの?
 

 
では、濃姫はどうだったのでしょう。
 

美濃の蝮・斎藤道三の娘

 

 
濃姫(帰蝶)は美濃の大名・斎藤道三の3女として1535年(?)に、生まれました。母は明智光継の娘である小見の方で、明智光秀と従兄妹同士だったという説もあります。
 
濃姫(帰蝶)については、信長のことを多数残している「信長公記」にも全く書かれていないのです。
 
ただ、「美濃国諸旧記」「武功夜話」には、「帰蝶」の名で記載されています。
 
信長と濃姫との結婚は、もちろん「政略結婚」で、1548年の秋、13歳のときに、織田家に嫁ぎました。
 
濃姫の父・斎藤道三は、織田家の動向を探るために、濃姫(帰蝶)を嫁がせたともいわれます。信長にとっても、「美濃の蝮」を舅に持つのは、利があったでしょう。
 
2人の間には子供はできませんでした。
 
でも、信長の側室たちや子供たちの間では、あまり争いは起こらなかったそうです(伝わっていないだけかもしれませんが)。もしも、そのとおりなら、濃姫がしっかり正室として「奥」を取り仕切っていたからだと思われます。
 
結婚後の濃姫(帰蝶)の動向は、ほとんどわかっていません。
いくつか説があるので、紹介しますね。

 

 
★ 斎藤道三亡き後、美濃に帰った?
 
 
濃姫(帰蝶)は、斎藤道三が1556年に亡くなったあと、信長の元から去り、明智城に戻っていたという説があります。
 
この説では、兄・斎藤義龍がその後、明智城を攻めたとき、20歳前後で亡くなったと考えられます。
 
★ 濃姫(帰蝶)は、あのとき本能寺にいた?
 
 
本能寺の変が起こったとき、濃姫(帰蝶)も、本能寺にいたという説も、根強くあります。
 
でも、その後の展開が、
 
「信長と一緒に自害したという説」
「従兄の明智光秀のものに逃げのびた」
 
の2つの説に分かれるのでした。
 
まったく、真逆な行動なんですけど、それだけ、よく分からない人物だと分かりますね。
 
★ 本能寺には、いなかったという説も!
 
 
本能寺の変の後、蒲生賢秀が、安土城から織田信長の子女や側室たちを日野城に避難させました。
 
そのときのことが残されている文献に、「安土殿」という名の女性が出てきます。この人物が、濃姫(帰蝶)なのではないかという説があるのです。
 
また、織田信長の次男・信雄が、本能寺の変の後にも「安土殿」に化粧料を贈ったことが、文献に残っています。
 
 
結局、濃姫(帰蝶)は、いつ亡くなったのかも、はっきりわからないのでした。
 
 
では、濃姫(帰蝶)の性格がうかがえる(?)エピソードを見てみましょう。

 

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蝮の娘はマムシ!

 

 
濃姫(帰蝶)の逸話で、歴史ドラマでよく描かれるもっとも有名なものは、これですね。
 
美濃の斎藤家から織田家に嫁ぐとき、父の斎藤道三が濃姫(帰蝶)に短刀を渡してこういいます。
 
「信長が美濃にとって害になる事を企んでいたら、この短刀で刺せ!」
 
このときの濃姫(帰蝶)の返事は、
 
「分かりました。
 ですが、父上、もしかしたら、この刀であなたを刺すかもしれませんよ。」

 
です。
 
本当なら、すっごく物騒な親子ですよね。(・_・;)
 
これは、
 
「濃姫=蝮の娘=とんでもなく気が強い」
 
というイメージ作りのための、江戸時代の創作と考えられています。

 

美濃のスパイだった説?

 

 
こちらも、よく知られた逸話です。
 
濃姫(帰蝶)が織田家に嫁いでしばらくたった頃、信長が夜中に、寝床をこっそり抜け出すようになりました。
 
これを不審に思った濃姫(帰蝶)は、さりげなく信長に何をしているのかたずねます。
 
すると、信長は、
 
「美濃の重臣たちを、すでに織田側に寝返らせた。奴らが斎藤道三を殺したら、狼煙をあげて合図を送る手はずになっている。だから、夜中に高台に上って、狼煙があがるのを待っているのだ。」
 
と、話しました。
 
これを聞いた濃姫(帰蝶)は、早速「裏切り者の名を書いた密書」を、父の斎藤道三に報告します。
 
濃姫(帰蝶)の情報を信じた斎藤道三は、名前が載っている重臣たちを処罰しました。
 
でも、これは信長の策略で、この話自体が、真っ赤なウソだったのです!
 
この逸話は、「濃姫が男勝りな気の強い女性」だということと、「信長が優れた策略家だった」ことを暗示していますね。
 
これも、おそらく後世の創作でしょう。

 

おわりに


今回は、謎の多い濃姫(帰蝶)を、ご紹介しました。
 
結局、伝わっているエピソードは、後の創作が多く、亡くなった時期すら不明です。墓所も特定されていません。
 
ただ、 斎藤家の菩提寺の「常在寺」に、父・斎藤道三の肖像を寄進した事は、事実だといわれています。
 
濃姫(帰蝶)の謎は、すごくミステリアスでおもしろいです。
 
歴史家さんたちもたくさん検証しているので、 いつか、明るみに出ることがあるかもしれませんね。(*’▽’)

 
 
【関連記事】

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