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こんにちは。
 
 
「下剋上の申し子」のような斎藤道三
親の腹を食い破って生まれてくる蝮(マムシ)に例えられる戦国武将です。
 
 
1494年生まれの1556年没、63歳の生涯でした。
 
 
今回は、徹底的に下剋上を貫いた斎藤道三の波乱の人生を紹介します。

 
 

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守護代に見いだされスカウトされた「油売り」

 
 
美濃の戦国大名・斎藤道三は、もともと僧侶で、その後、大名屋敷に油を売って生計を立てる「油売り」をしていました。妻が燈油問屋の娘だったのです。
 
 
当時は、行商をしてパフォーマンスをしながら油を売っていて、美濃に油を売りに行ったときに、そこの守護代の長井正弘という人と知り合ったのでした。
 
 
長井は、話をしてみると道三がとても物知りで芸術にも通じていることに気付きました。そして、これはおもしろい人物だと思い取り立て、さらに守護大名の土岐政頼・頼芸(よしのり)兄弟に紹介したのです。
 
 
兄の頼政は、「こいつは人相が悪いからバツ」と顔で不合格にしました。一方、弟の頼芸は、「なかなかおもしろい奴じゃわい」と気に入って、直臣に取り立てたのでした。
 
 
こうしてただの油の行商人だった道三は、守護大名・土岐頼芸の家臣になったのです。

 
 

土岐兄弟の間で家督相続争い勃発

 

 
道三は、自分を雇ってくれた土岐頼芸のために、このときはしっかり働いていたようです。でも、あるとき、政頼と頼芸兄弟の間で、家督相続争いが起こってしまいました。そして、道三の主君・頼芸が、敗れてしまったのです。
 
 
そのとき(1527年)道三は、自分を取り上げてくれた頼芸のために、5千の兵を率いて夜討ちをかけ、政頼を敗走させました。
 
 
そうして、主君・頼芸を「美濃の守護大名」にすることに成功したのです。
 
 
あれ? なんだかいい家臣ではないですか?
ここまでは・・・・・・・

 
 

下剋上で美濃国を乗っ取る

 

 
1533年、道三は、始めに自分を取り上げてくれた恩人・長井長弘が越前に追放された土岐政頼と内通して頼芸を襲撃するという情報を聞きつけました。
 
 
そして、上意討ちの名目で長井長政を殺害したのです。その後、道三は「稲葉城」を乗っ取り、「長井新九郎規秀」と名乗るようになりました。
 
 
恩人・長井長政を殺害し、城も名も奪う・・・・・
これが道三の下剋上の始まりでした。
 
 
それから、1538年には、美濃守護代の斎藤利良が病死すると、勝手にその名を継承して 「斎藤新九郎利政」 と名乗るようになったのです。
 
 
またまた名前の乗っ取りです。「斎藤」の姓は、このとき奪ったものなんですね。
 
 
そして、とうとう守護代になりました。いつの間にか戦国大名の仲間入りですよ。スピード出世と言いたいところですが、実力で奪ってのし上がっています。これぞ下剋上ですね。

 

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さらに上を目指して裏切りを繰り返す道三

 

 
1541年、道三は、主君・土岐頼芸の弟の土岐頼満を毒殺してしまいました。これがきっかけになって、土岐頼芸との関係が悪化しました。
 
 
そうすると、今度は美濃の乗っ取り・つまり主君・頼芸の追い出しを企てたのでした。
 
 
まだまだ続く道三の下剋上、「マムシの道三」と呼ばれるわけです。
 
 
そして1542年年、ついに道三は、主君・土岐頼芸とその子・二郎(頼次)を追放し、美濃を実力行使で支配したのでした。乗っ取り完了!
 
 
こうして、斎藤道三は、一介の油売りから一国の城持ち大名にまでのしあがったのでした。

 
 

因果応報?最期は息子に討たれた道三

 

 
美濃を追われた土岐頼芸は、織田家に協力を要請して美濃を攻撃するようになりました。
 
 
道三は、織田家の脅威からのがれるため、1548年には、娘の濃姫(帰蝶)を織田信長に嫁がせて織田家と姻戚関係を結びました。
 
 
信長の正妻がマムシの娘・濃姫(帰蝶)なのは、こういう経緯なのです。
 
 
道三は家督を嫡男の義龍に譲り、隠居してここではじめて「道三」と名乗るようになりました。
 
 
しかし、今度は義龍との親子関係が悪化します。
 
 
理由は、道三が義龍ではなく弟2人をかわいがっていて家督をそっちに譲りたがっていた、義龍が実は元主君・頼芸の息子ではないかと疑っていたなど、ささやかれています。
 
 
こうして、ドロドロした思惑が渦巻く中、義龍が病を装って弟2人をおびき寄せ、殺害させるという事件が起こりました。これにびっくり仰天した道三は、ひとまず落ち延び、1556年、息子・義龍に戦いを挑んだのです。
 
 
道三は息子・義龍の力を侮っていたのかもしれません。反対に、返り討ちにあって、息子に討たれてしまったのでした。(長良川の戦い)
 
 
織田信長が、舅・道三を救済するために軍を率いてかけつけましたが、時遅しでした。

 
 

おわりに


下剋上の世は、結局、強者が生き延びる弱肉強食の社会です。
ライバルは、常に身近な存在、親兄弟ということです。
 
 
これは洋の東西を問わず乱世の「普遍の法則」のように感じます。戦国大名は、親子で兄弟で家督を争い殺害し合うことが多くありました。
 
 
だから、たまに信頼し助け合った兄弟などがいると、いい話~ってなるのでしょう。

 
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