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こんにちは。
 
信長の刀シリーズ、今回は「薬研藤四郎」(やげんとうしろう)
 
 
粟田口派(あわたぐちは)の「短刀」です!
 
 
信長とともに「本能寺の変」で焼け、そのまま失われてしまったといわれます。(焼失原因は異説あり)
 
 
現存していない日本刀なのです。
 
 
「短刀」は短いので戦場で敵を斬り伏すのには向いていません。だから、「守り刀」としてお守りのような役割を持っていたものが多いです。
 
 
敵を倒すときはあくまで補助的なもので、どちらかというと「自害」に使われることが多かったようですよ。
 
 
血を吸うときは「主君の血」という・・・
これは、切ないですね。
 
 
「薬研藤四郎」には、自害に使われたときの逸話が残っています。

 
 

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「薬研藤四郎」の誕生

 

 
薬研藤四郎(やげんとうしろう)は、鎌倉時代・山城国(京都)の粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)によって打たれた短刀です。長さは8寸3分(約25㎝)です。
 
 
粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)の通称は、「藤四郎」(とうしろう)です。
 
 
彼は多くの「短刀」を作刀したので、「○○藤四郎」という名の短刀がたくさん残っています。
 
 
京都の刀工なので、2018年京都博物館特別展の「京のかたな」にも、彼の刀「○○藤四郎」がたくさん展示されますよ。
 
 
【関連記事】⇒★京都国立博物館「刀剣乱舞」コラボ全23振の展示情報
 
 
残念ながら「薬研藤四郎」(やげんとうしろう)は現存しないので、展示されません。
 
 

主が自害できなかった短刀

 

 
この短刀の最初の持ち主は、室町時代の守護大名・畠山政長でした。(異説あり)
 
 
そして、畠山政長との逸話から「薬研」(やげん)という「号」で呼ばれるようになったのです。
 
 
「薬研」(やげん)というのは、中に薬種を入れて細かくひく石で作られた「器」の名称です。
 
 
そして、この短刀を持っていた畠山政長は、あの「応仁の乱」の原因の1つ、畠山家の後継問題の当事者の1人だったのです。
 
 
この人は、ちょっとここで説明するのはめんどくさい人ですよ。(-“-)
 
 
ものすごく簡単に言うと、「上御霊社の戦い」「相国寺の戦い」という「応仁の乱」(1467-1477)の初戦に参加し、その後もいろいろやらかしながら乱後も生き残って、1493年の「明応の政変」で自害した人です。(享年51)
 
 
「明応の政変」で戦いに負けたとき、畠山政長は携えていた「短刀」で自害しようとしました
 
 
でも、その短刀を握って何度も何度も自害しようとしたのに、なぜかまったく刃がお腹に刺さらなかったのだそうです。
 
 
それで、思わず政長がその短刀を投げ出したところ、近くにあった「薬研」(やげん)に突き刺さり深々と貫いたのでした。(薬研は頑丈な石製)
 
 
「粟田口吉光の短刀は切れ味は鋭いが、主を傷つけない主思いの刀だ」
 
 
そういう噂が公家や武士の間に広まり、評判になりました。
 
 
そして、「薬研藤四郎」と名付けられたこの短刀は、足利将軍家の手に渡ったのです。
 
 
見事な「刀剣コレクション」を持つ剣豪将軍・足利義輝(13代)が「永禄の変」で討死すると、その戦利品として多くの刀剣が勝者の松永久秀の手に渡りました。
 
 
「薬研藤四郎」もその中の一振でした。そして、松永から織田信長に献上されたのです。
 
 
その後は、織田信長とともに「本能寺の変」で焼け落ちたとされていますが、豊臣秀吉を経て徳川将軍家が所有したともいう説もあります。
 
 
確実な消息は不明ですが、現存していないのは確かなのでした。

 

 

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「薬研藤四郎」の「写し」が作刀される!

 
 


 
2016年冬、刀鍛冶の水木良光氏が依頼を受け、2017年夏に「薬研藤四郎」の「写し」が作刀されました!
 
 
依頼をしたのは、刀剣擬人化ゲーム「刀剣乱舞」の「とある審神者」(プレーヤー)だそうです。(←そこまでとは・・・脱帽)
  ↓


 
 
刀剣界には「写し」(うつし)と呼ばれる技法があります。
 
 
ある日本刀(「本歌」または「本科」)の寸法などを手本にして、それを忠実に再現したものが「写し」と呼ばれる刀剣なのです。(「とうらぶ」やってる人は常識ですね~、うちの初期刀も・・・)
 
 
刀工の水木氏は「薬研藤四郎」の「絵」が描かれている「太閤御物刀絵図」を見て、長さや幅などをできるだけ正確に割り出して、作刀したのだそうですよ。
 
 
「写し」は手口が悪質な「贋作」(がんさく)とは、全く別物です!
 
 
粟田口吉光の作刀した短刀「藤四郎シリーズ」は、刀身に「梵字」などが彫られた豪華な雰囲気の刀が多いです。
 
 
でも、「薬研藤四郎」の刃の模様は「直刃」で「小板目肌」、まったく飾り気のないシンプルなデザインなのです。
 
 
その凛としたかっこよさが、「刀剣乱舞」の薬研の「短刀なのに男前?」につながるのかなと思ったりするのでした。

 
 

おわりに~審神者向け~

 

 
京都の4つの神社で「とうらぶ」コラボ企画・京都御朱印めぐりが始まりますよ。
 
 
「薬研」と「宗三」ゆかりの「建勲神社」は、台風21号の風雨で摂社が倒壊し倒木の被害がありました。
 
 
わが家も大阪府北部地震の震源地で、台風の通り道でもあったので、ふんだりけったりです。(-“-)
 
 
幸い家は無事でしたけど、きっと風雨で傷んでいるでしょう。地震のときは、かなりミシミシ鳴ってたし・・・(汗)

 


 


   ↑ ↑
この「薬研」の絵馬、しぶかっこいいですね!
 
 
10月19日〜28日には、薬研の「写し」が「建勲神社」で初公開されますよ!
 
 
京博の「京のかたな」の開催中なので、気になる方はどうぞ♪



 
織田信長についてはこちらを♪
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