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こんにちは。
 
今回は、清少納言を取り上げます。
清少納言といえば、学校では、歴史より国語で習うほうが先なのではないでしょうか。
 
古典の授業で習いますね。
 
彼女は、平安時代の「随筆家」なのです。
キラリと光る感性が、現代人っぽくて、今でも共感できるところが、すごいです。やっぱり天才なのかなあと思えます。

 

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清少納言の生い立ち

 

 
清少納言は966年頃の平安中期に生まれた女性です。
 
国風文化が栄え、優れた女流歌人や女優作家が、数多く登場した時代です。
 
清少納言の他には、紫式部、和泉式部、赤染衛門などがいますよ。
 
清少納言は、百人一首の歌人ですが、父親の清原 元輔(きよはら の もとすけ)、そして曾祖父・清原深養父(きよはらのふかやぶ)も百人一首に選ばれている、インテリ歌人の家に生まれました。
 
清少納言は、和歌よりも平安貴族では男性しか学ばない「漢詩」に関心が高かったようです。当時は、白楽天など漢文が、インテリの間でブームになっていました。
 
清少納言の「清」は清原家という意味で、「少納言」は宮中での位です。
本名は、清原諾子(なぎこ)だったのではないかといわれています。
 
14~15歳ごろ、橘 則光という人と結婚し、後に離婚しますが、息子が1人います。
それが、歌人として知られる橘 則長です。
 
清少納言は、その後、藤原棟世(ふじわらのむねよ)という人と再婚しました。
 
清少納言は、たいへんな才媛だったので、27歳頃、関白・藤原道隆にスカウトされ、道隆の娘で一条天皇の中宮・定子に、世話役兼教育係として仕えました。
 
中宮・定子は、高い教養のある美しい后で、才気あふれる社交的な清少納言とは気が合ったようですよ。

 

随筆・枕草子

 

 
清少納言が書いた「枕草子」は、日本三大随筆の1つです。
 
1つ1つが短い300ほどの単元でできていて、古典の中ではとっても読みやすいです。自然や宮中の人間などを鋭く観察して、ビビッと感じたことを素直に書いたエッセイです。
 
有名なのは冒頭の「春はあけぼの」ですね。
「冬はつとめて」まで、暗記した人も多いのではないでしょうか。
 
四季それぞれのもっとも美しい時間帯を、みずみずしい感性でつづっています。
 
清少納言は、平安時代のキャリア官僚ですが、現代の女性が読んでもわかるわかると共感できるものが多いです。
 
例えば、彼女は宴会で酔っ払って、からむおじさんが嫌いなんですね。
また、めったにないものは、舅にほめられる婿、また、姑に大切にされるお嫁さんなんてものもあります。うん、わかるわかるって感じです。( ̄▽ ̄)
 
そんな枕草子に書かれていることは、大きく2つあります。
 
1つ目は、「春はあけぼの」に代表される自然の美しさや人間観察をして感じたものです。宮中での流行りのファッション、かっこいい男性やいけてない男性の批評などなど、思ったことを、ズバスバ言っていて爽快です。
 
2つ目は、中宮(皇后)・定子を中心にした、きらびやかな宮中生活の様子や、定子のサロンの華やかな思い出話が書かれたものです。
 
彼女が仕えていた定子は、藤原道隆の娘ですが、清少納言が務めてから1年ほどして、道隆は亡くなってしまいます。
 
その後、その弟の藤原道長に権力が移り、その娘・彰子が一条天皇の中宮となって、定子の中関白家(なかのかんぱくけ)は没落していきます。
 
でも、「枕草子」には、定子の悲しさや暗さは、一切描かれていません。
優しく美しい定子様は、常にサロンの中心にいて、明るい笑みを浮かばせているのです。
 
しかし、定子は難産が原因で、わずか24歳で亡くなってしまいます。清少納言は、その後、夫に従って宮中を去ったそうです。

 

清少納言のまとめ

 
 
ここまでお読みくださりありがとうございました。
 
清少納言は、平安時代のかな文学の作家の代表の1人です。
 
現代人にも通じる彼女のセンスが、素晴らしいと思います。彼女は1000年以上前に生きた女性ですが、実は、女性の想いや感性は、時代が変わっても同じ部分が多いのかもしれないと思いましたよ。
 
現代語訳も出ているので、興味があれば、是非お読みくださいね。
 
● 日本三大随筆の1つ「枕草子」の作者
 
● 和歌と学問の家・清原家に生まれた才媛だった
 
● 一条天皇の中宮・定子の教育係だった
 
● 定子が亡くなった後、宮中を去った

 
 

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