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こんにちは!
 
前回、源氏の惣領に代々伝わってきた双子の刀剣の一振り「髭切」をご紹介しました。
 
 
源頼光四天王の筆頭・渡辺綱の「一条戻橋の鬼退治」に使われた太刀(たち)でした。
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【関連記事】兄「髭切」も歴史に翻弄され今は北野天満宮に!
 
 
そして、もう一振りの「膝丸(ひざまる)」は、同じ源頼光が持っていたとき、「土蜘蛛退治」に使われたという伝説の残る名刀です。
 
 
「髭切」が「鬼切」などと呼び名を変えられていったように、この「膝丸」も主によって次々と名前を変えられた刀剣です。
 
 
それでは、この「源氏の宝剣」の波乱万丈の歴史をご紹介します。

 
 

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◆源氏の重宝・双子の太刀「髭切」と「膝丸」

 

 
「髭切(ひげきり)」「膝丸(ひざまる)」という二振りの太刀は、平安時代初期の伯耆国(ほうきのくに・鳥取県)の刀工・大原安綱(おおはら やすつな)が源満仲の命により、同時期に作った二振りで「一具」の刀剣と伝えられています。
 
 
昔は銘刀が作られると、その斬れ味を試すために死罪の罪人の体を使って試し斬りしていました。(←もちろん死にます)そして、この二振りの刀剣は、その斬れ味が恐るべきものだったのです。
 
 
胴を分断するときに一振りはヒゲまで切ったので「髭切(ひげきり)」、もう一振りはヒザまで斬ったので「膝丸(ひざまる)」と名付けられたというのが、誕生したときの名前の由来です。
 
 
「膝丸」は、その後、歴史に翻弄されて多くの人の手に渡っていきました。

 
 

◆主(あるじ)によって次々と名を変えられた刀剣

 

 
「膝丸」と名付けられた刀剣は、源頼光の「土蜘蛛退治」に使われた刀として伝説の宝刀になりました。
 
 
そのとき、「膝丸」は「蜘蛛切」と名前を変えられ、同じ頼光の時代に兄弟剣の「髭切」は「一条戻橋の鬼」を斬ったので「鬼切」と名を変えられています。
 
 
源頼光の時代に
 
「髭切」→「鬼切」
「膝丸」→「蜘蛛切」

 
と名を変えられたわけです。
 
 
その後、この二振りの刀剣は、共に代々「源氏の惣領」に伝わり、12世紀に源為義が手にしたときにまた名を変えられ、別々にされてしまったのです。
 
「髭切」→「鬼切」→「獅子ノ子」から「友切」へ
「膝丸」→「蜘蛛切」→「犬吠(吠丸)」

 
「髭切」は源氏の惣領の手元に残りますが、「膝丸(犬吠)」はその手元を離れ、源為義の娘婿の熊野別当の教真の手に渡りました。
 
 
でも、娘婿は「源氏の宝剣」を自分ごどきが持つべきではないと考え、「膝丸(犬吠)」を熊野権現に奉納しました。
 
 
そうして、「膝丸」は熊野権現で長らく「主」を待っていました。その後、娘婿・教真の息子の手から源義経の手に渡ったのです。
 
 
源義経は、この刀(膝丸)に、吉野の山にちなんで「薄緑」と名付け、「源平の合戦」で共に戦いました。
 
 
平家滅亡後、頼朝と兄弟仲が悪くなった源義経は、この宝刀を箱根権現に奉納しました。その後、彼は平泉で自刃して果てます。
 
 
その後、「膝丸」は源頼朝の手に渡り、「髭切」と再会して「一具」がそろったのでした。

 

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◆現在は京都「大覚寺」所蔵

 


 
 
「膝丸」は、現在京都の「大覚寺」が所蔵しています。
 
 
「大覚寺」は時代劇で使われるのでもおなじみの神社ですが、京都の神社らしくなかなか商売熱心で、過去にもいろいろ「刀剣乱舞」とのコラボを行っています。
 
 
下のTwitter画像は、2017年の「スタンプラリー弐」のものですが、2018年秋にも「スタンプラリー参」が予定されています。
 
 
それに向けて、またイベントを仕掛けると思いますよ。

 
 


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「膝丸」の御朱印帳は、配布が「2018年8月」までと告知されています。
 
 
1018年秋、京都国立博物館で開催される「京のかたな」特別展に展示される予定ですよ。

 
 
双子の刀剣「髭切」の紹介は、こちらの記事にあります。合わせてどうぞ♪
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