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昔話や童話の中には、人々への教訓や戒めを含むものがたくさんあります。
その中で現代でもよくたとえ話に使われるのが、このアンデルセンの「裸の王様」です。
「うちの社長は裸の王様だ」とか「裸の王様にならないように!」とか・・・
でも、この話のあらすじ、なんとなくしか知らなかったり忘れてしまっていたりしませんか?
もう一度読んでみると、王様(権力者)だけへの教訓ではないような気がします。
大臣も町の人もみんな自分がバカだと思われたくないのは同じなのです。
アンデルセンは人の愚かさや滑稽さを童話の中で伝えたと思いますが、なんだか人間(自分も含めて)ってバカだけど憎めないとも思えるのでした。
目次
「裸の王様」のあらすじ
「裸の王様」の舞台は、ヨーロッパのとある王国です。
そこにはおしゃれが大好きで、たくさん豪華な服を作らせては1日に何度も着替えをするぜいたくな王様がいます。
王様の権力は絶大で、大臣たちはみーんな王様の言いなりのイエスマンなのです。
■着飾るのが大好き、おしゃれな王様
むかしむかし、ある王国にたいへんオシャレ好きな王様がいました。
王様は豪華な服を着るのが大好きで、仕立て屋につぎつぎと新しい服を作らせ、1日に何度も新しい服に着替えるのです。
彼は美しい服を作る仕立て屋をたくさん雇い、ぜいたくをしていました。
■詐欺師の仕立て屋
ある日、王様の宮殿に2人の仕立て屋がやってきました。
彼らはとても不思議な美しい布が手に入ったので、それで王様の服を仕立てたいと申し出ました。
その布は、「バカ」と「自分にふさわしくない仕事をしている人」にはけっして見えない不思議な布地なのでした。
それを聞いた王様は、それは珍しいと大喜びし、早速2人に洋服を注文しました。
でも、本当は「バカ」と「ふさわしくない仕事をしている人」にだけ見えない布地などどこにもないのです。
実は、2人は仕立て屋ではなく詐欺師でした。
■布が見えない大臣たち
しばらくすると、王様は忠実な老大臣に仕立ての様子を見に行かせました。王様はこの大臣なら布が見えないはずがないと思ったのです。
ところが、はた織り機を見た大臣はとまどいました。なぜなら、彼には糸も織りあがった布もまったく見えなかったからです。
実は2人の詐欺師は、本当は何もないのにそこに布があるかのように忙しく機(はた)を織るふりをしていたのです。
大臣は自分がバカだと思われたくなかったため、「何と美しい見事な布地だ!」と仕立て屋をほめました。
そして、王様に報告するため、2人が説明する布地の模様や形をしっかり覚えたのです。
大臣の報告を聞いて、王様は大喜びしました。
そしてしばらくすると、また仕立ての様子が知りたくなり、別の役人にはた織りの様子を見に行かせました。
その役人はとても優秀でした。でも、彼にも大臣と同じように布が見えません。
役人は「私はバカではない、きっと今の仕事は私にはふさわしくないものなのだろう」と思いました。
でも、前の大臣と同じように、王様には布が見えていたかのように報告しました。
■布が見えない王様
気になった王様は、とうとう自分で布を見に行きました。
先に見に行った大臣と役人も同行しました。彼らははた織り機を指さしながら、「見事な布でしょう?」と王様に言いました。
ところが、大変です!
王様には、何も見えなかったのです。
王様は困ってしまいました。
見えないと言う事は、自分が「バカ」か「王様にふさわしくない」と言っているようなものです。
そんな事をみんなに知られる訳にはいきません。
そして、王様は言いました。
「まことに美しい見事な衣装だ! 大いに気に入った!」
お供の者たちの誰の目にも、もちろんこの布は見えません。でも、みんな口々に「なんと美しい服なのでしょう。」と言いました。
そうして、王様は素晴らしい仕事をしたこの2人の仕立て屋に「勲章」をさずけたのでした。
■「裸の王様」のパレード
王様はまもなく行われるパレードに、この不思議な布で作った服を着る事にしました。
2人の仕立て屋は王様を鏡の前に立たせて、服を着せるふりをしました。そして、「この布はとても軽いのですよ。着ているのにまるで何も着ていないように感じるでしょう?」と王様に伝えました。
王様は本当は何も着ていないのに、とても気に入ったふりをしました。
家来の人たちは見えるふりをして「なんとお似合いなんでしょう。」と、口をそろえて王様をほめそやしました。
そうして、王様はそのまま上機嫌でパレードに出ていきました。
パレードを見物している町の人々は、王様の姿を見ると、声を合わせて「王様の服は素晴らしい!」と王様の服をほめました。
もちろん、みんなには何も見えていなかったのですが、みんな自分だけが見えていないバカだと、知られたくなかったのです。
そのとき、1人の子供が大きな声でさけびました。
「王様は、何も着てないよ!」
純真な子供がそういったのです。それを聞いた人々は、「やっぱり王様は何も着ていなかったんだ」とひそひそ言い合いました。
そうして、パレードを見ている町中の人の声が大きくなり、とうとうみんな「王様は服を着ていないぞ!」とさけびました。
ついに、王様も自分は何も着ていない(下着姿)のだと気づきます。
彼はなんて馬鹿げたことだと思いましたが、パレードはもう始まっていて今更やめるわけにはいきませんでした。
それで仕方なく、王様一行はそのままパレードを続けたのです。
「裸の王様」の教訓
「裸の王様」は服を着ていないんですけど、裸ではなく下着姿ですね。
微妙にタイトル詐欺なのでは…?という細かい話はさておき…。
この話は、一般的には「権力者=王様」への教訓と見られることが多いです。でも、それだけでなく王様に仕える大臣や観衆への教訓も含まれています。
【教訓1】物の正しい価値を知る
王様は2人の詐欺師にすっかりだまされてしまいました。
なぜかというと、詐欺師があたかも有能な仕立て屋のふりをしとおしたからです。
自分の頭で考えず商人の言葉を鵜呑みにすると、価値のない物(価値がゼロの物)に大金を払ってしまうという現代にも通じる教訓ですね。
【教訓2】虚栄心はほどほどに
人は誰しも自分が価値ある人間だと思いたいものです。
バカだと思われたくないという気持ちは、みんな持っています。
でも、自分の虚栄心を守るために取りつくろうと、ろくなことはありません。
この話で王様や大臣、役人が何もないのに服が見えるふりをしたのは、バカだと思われたくないという一心でした。
でも、そうすることで真実を直視できなくなってしまったのです。
自分には愚かな面もあるという謙虚な心を持つことの大切さを物語っています。
【教訓3】イエスマンばかりをそばに置かない
王様の家来たちは、みんな王様に真実を語ろうとしませんでした。
見えない服を見えるふりをしたのは、自分がバカだと思われたくないばかりでなく、王様のご機嫌を損ねることを恐れたのでしょう。
王様にとって苦言を呈してくれる家臣の存在は貴重です。でも、それを煙たがりおべっか使いばかりをそばに置くと、間違ったことをしたとき修正できません。
そうして、大きな問題を招いてしまうかもしれないのです。上に立つ者は周りの言葉に耳を傾け自省するべしという教訓です。
【教訓4】同調圧力に屈せず言いたいことを言う
パレードを見ている聴衆は「王様は素晴らしい服を着ている」と口々に言いました。
集団の中で大多数の人の意見が一致すると、合理的な思考力や判断力が抑制されて少数派が意見を言いにくくなります。
周りの目、世間の目を気にして言いたいことを言えないのは、日本の村社会の特徴でもあります。
ヨーロッパのアンデルセンがこれを教訓と考えていたかどうかは謎ですが、群衆心理のメカニズムはどこでも同じでしょう。
世間の目を気にしすぎて、正直に言いたいことを言えなくなるのはよくないですね。
おすすめ図書
アンデルセン童話「裸の王様」のおすすめ図書を2冊ご紹介します。
一冊は子供向けで、あらすじを4~5ページで表した読み聞かせに向いているものです。
もう一冊は本格的なアンデルセン童話の翻訳本です。少し古臭い言い回しのある翻訳ですが、そこがまた味があっておもしろいですよ。
こちらは子供用のおすすめ作品です。1話5分前後で読める量で、お子様への読み聞かせにぴったりです。
簡単なあらすじとはいっても、大人になると忘れている細かい部分が確認できておもしろいですよ。
【収録15作】
親ゆびひめ・みにくいあひるの子・五つぶのえんどうまめ・はくちょうの王子・空とぶトランク・すずのへいたい・はだかの王さま・天使・にんぎょひめ・まめの上にねたおひめさま・もみの木・火うちばこ・赤いくつ・ひなぎく・マッチ売りの少女
こちらはアンデルセン童話を簡略化せずに翻訳したものです。
「裸の王様」は「皇帝の新しい着物」というタイトルで1巻に収録されていますよ。
ヨーロッパ文学は日本文学とは雰囲気や教訓が違うので、文化の違いが分かっておもしろいです。
童話というより文学作品、大人向けです。
その他の作品はこちらをどうぞ。
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