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こんにちは。
 
 
今日は伊達政宗の刀「大俱利伽羅廣光」(おおくりからひろみつ)について。
 
 
「大俱利伽羅廣光」は現存する日本刀です。
 
 
そして、現在、大阪府茨木市の医療品関係の私企業が所有しています。って、うちの隣町じゃないかーい!
 
 
アソコかな?それともアノ企業か?
 
 
「大俱利伽羅廣光」は、2016年に奈良の薬師寺で20年ぶりに展示されましたよ。
 
 
2018年、10月末から7日間だけですが石川県で展示されます。(その情報はこの記事の一番下に)

 
 

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「大俱利伽羅」龍の彫り物の意味は?

 

 
 
「大俱利伽羅廣光(おおくりからひろみつ)」は伊達家伝来の刀で、相州伝の廣光が作った日本刀と伝わります。南北朝時代に作られた刀剣ですよ。
 
 
「銘」はありませんが、あの伊達政宗が常に軍陣で腰に帯びていたとそうなので、それだけ洗練された業物だったと分かります。
 
 
名前は、刀身に掘られた大きな「倶利伽羅(くりから)」の彫り物に由来しますよ。
 
 
竜の彫り物がすごく印象的で、かっこいい刀剣なのです!

 
 

「俱利伽羅」の意味は?

 

 
「倶利伽羅」はも<もとサンスクリット語の言葉で、その「音」に漢字の当て字を付けたものなんです。     意味は「黒龍」です。
 
 
「倶利伽羅(くりから)」は、怒り、悲しみ、憎しみなどの人間の「負の感情」を浄化する力を持つといわれます。
 
 
倶利伽羅の燃える炎は倶利伽羅剣となり、不動明王の武器になって、邪心を切り燃やし尽くすのです。

 

 

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徳川秀忠から伊達政宗が拝領した刀

 

 
大俱利伽羅廣光は大変な業物ですが、徳川秀忠以前の持ち主はわかっていないのです。
 
 
2代将軍秀忠から伊達家へ送られたのが、残っている大俱利伽羅の最も古い記録なのでした。
 
 
伊達政宗が、江戸城の岩垣修築のご褒美として徳川将軍家からもらったのでした。
 
 
受け渡しは、政宗の息子・2代当主伊達忠宗(ただむね)と2代将軍徳川秀忠の間で行われたと伝わります。
 
 
大俱利伽羅廣光は、それから戦後まで(一時期を除き)ずーっと伊達家伝来の刀剣として伊達家が所有していたのです。
 
 
伊達政宗は「刀剣マニア」だったので、伊達家に伝わる刀剣はたくさんあります。でも、その多くが、江戸時代に他の家に譲ったりして違う人の手に渡ったのです。
 
 
以前お伝えした燭台切光忠も、水戸徳川家に渡っています。
 
 
大俱利伽羅廣光は、明治時代になっても仙台から東京の伊達邸に移転され、昭和初期まで伊達家に伝来していたのです。
 
 
現在は、重要美術品指定を受けて大阪府の法人蔵となっています。

 
 

大俱利伽羅はよく展示される刀剣

 

 
大俱利伽羅廣光は、2年前に奈良の薬師寺で展示されたので話題になりましたね。
 
 
でも、今後も展示予定があります。

     ↓


 
さらりと書かれていますが、石川県といえば金沢~♪
 
 
なんてノリではなく・・・
 
 
倶利伽羅不動寺は、はんぱない山の中にあります。
 
 
いくら倶利伽羅不動とゆかりの地だからって、すごい場所でやるなぁ。
 
 
都会育ちの方は絶望しそうなぐらい交通不便だそうですよ。
 
 
あの源平の合戦の木曽義仲の「倶利伽羅峠の戦い」の近くですからね!
 
 
あの牛のツノにたいまつ付けて奇襲した戦いですよ。
  
 
ここに書きました。
  ↓


 
 
倶利伽羅駅は電車が1時間に1本あるかないか、その駅からお寺まで徒歩で30分以上、しかも傾斜のキッツイ山道なのだそうです。
 
 
できるだけ車で行きましょうね。
 
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