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こんにちは。
もともとキリスト教のミサだったクリスマス。
本当は厳かな宗教行事だったのかもですが、日本ではワクワクキラキラする素敵なビッグイベントです!
外国文化をアレンジして取り入れるのは、日本人の得意技なのですよ♪
今回は、クリスマスの歴史をその発祥はどこなんだ?というところをお伝えしていきますよ。
日本で初めて祝われたクリスマス
1549年、室町時代にイエズス会の宣教師、スペイン人のフランシスコ・ザビエルが、日本にやって来ました。
目的は、もちろん、キリスト教(ローマカトリック)を広めるためでしたよ。
彼は大内義隆の許可を得て、今の山口県でキリスト教の布教活動を始めたのです。その後、ザビエルの後を受けて、コスメ・デ・トレーラスという人が、この地にやって来ました。
このコスメ・デ・トレーラスが、1552年、司祭館でクリスマスのお祝いをしたのです。それが、日本で初めて行われたクリスマスのミサだといわれているのでした。
「なんでそれが最初とわかるんだ?」と問われると、信長など戦国武将の記録もたくさん残しているルイス・フロイスがその著書「日本史」に書き残したのでした。
フロイスの「日本史」は、しがらみの少ない外国人目線ということで、かなり信ぴょう性が高いと参考にされています。そういえばフロイスもイエズス会の宣教師でした。彼はポルトガル人です。
九州地方は、これ以降、キリスト教徒がどんどん増えていったのでした。
「ローマカトリック、恐るべし!」です。
山口に残る「ザビエル記念聖堂」
山口市の亀山に、「山口サビエル記念聖堂」という建物があります。この建物は、1952年に「ザビエルの山口来訪400年記念」で、建てられたそうですよ。
キリスト教会らしいクラシカルでオシャレな外観をしていて、時報代わりになる金の音が、広く市民に愛されていたといわれます。
でも、その建物は、残ねながら1991年に火事で焼失してしまいました。
今、その場所には、モダンなデザインに一新した新聖堂が再建されて、鐘の音も朝夕に響くようになっています。
16世紀に、極東まで布教にやって来たイエズス会の宣教師たちは、ほんと、たくましいです。
でも、ここでちょっと西洋史目線で考えると、この時代、ヨーロッパでは「宗教改革」が進んでいました。
イエズス会の所属先「ローマカトリック教会」は、当時は、汚職と賄賂(わいろ)にまみれていたのです。それに抵抗し講義したのが、信仰の本質に戻ろうと訴えた「信教徒(プロテスタント)」でした。
プロテスタントは、ネーデルランド(今のオランダ・ベルギーあたり)中心に広がりましたが、スペイン・ポルトガルは、ローマカトリックへの信教が根強く残っていました。
プロテスタントの躍進に危機感を感じたローマ教会は、アジアなど他の地方に布教して信徒を増やすようにとイエズス会に指令を出したのでした。
当時の、ローマ・カトリックの多くの聖職者は、富を貯えて私欲に走り腐敗していました。でも、命がけで外国に布教する宣教師たちは、真剣だったのでしょうね、多分。
ローマカトリックとプロテスタントの違い
日本のキリスト教徒人口は、約1%といわれますよ。
その割には、キリスト教系の私立の学校が目立ちますね。(関西だけか?)
プロテスタントの学校が多いと思います。宗教色が薄いので日本人になじみやすいと思います。
江戸幕府がプロテスタントのオランダとの交易を例外的に許可したのも、布教活動をしないビジネスライクな付き合いができる国だと判断したからですね。
私も通ってましたが、学校での宗教行事は、毎朝の「礼拝」という名の中身はただの「朝礼」と、クリスマスにページェントという無言劇をするぐらいです。
ページェントは、劇に出るのは1クラス2人の希望者だけで、残りは観客でした。京都の学校なので、お寺の子が意外と多くてびっくりでしたよ。(京都市内は禅寺が多い)
ローマカトリック系の学校は、学校に「シスター」がいると聞きます。
一番の違いは「マリア像があるかないか」「十字架に磔にされたキリストの像があるかないか」ですね。
学校だけでなく教会も、この違いでわかります。
ローマカトリックは「偶像崇拝あり」、プロテスタントは「偶像崇拝なし」です。
他には、ローマカトリック、プロテスタントの順に・・・
神父ーー牧師
ミサーー礼拝
教会が豪華ーー教会がシンプル
儀式が多いーー讃美歌合唱が多い
十字架を切るーー十字架を切らない
などの違いがみられます。
ちなみに、私は無宗教です。あえて言うならスピリチュアルな日本古来の神様を感じたい・・・
日本人のルーツですから・・・
マイナスイオンいっぱいのパワースポットが神社仏閣に多いのは、納得なのです。
まあ、宗教観は人それぞれですね。