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こんにちは。
 
 
明治維新直前の1867年11月18日、京都駅からほど近い油小路で、元新選組8番組組長の藤堂平助は、命を落としました。
 
 
彼を斬ったのは、他でもない元同志の新選組隊士でした。
平助は、近藤たちと「試衛館」時代からともに生きてきました。
 
なぜ、彼は新選組から離れ、敵対していったのでしょう。

 
 

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津藩主・藤堂家のご落胤?

 

 
藤堂平助(とうどうへいすけ)は、江戸生まれです。
 
 
彼は、自分で津藩主の藤堂高猷(たかゆき)のご落胤だと言っていたそうなのですが、真相は不明です。
 
 
剣の腕前はなかなかで「北辰一刀流」を学んでいましたが、近藤の「天然理心流」の道場「試衛館」にも来るようになっていました。
 
 
第14代将軍・徳川家茂の上洛に先駆けて、その身辺警護をする浪士組が募集されると、近藤らとともに平助も参加することに決めます。
 
 
「試衛館」からは、8名が参加することになりました。
 
 
つまり、藤堂平助は、新選組結成前、みんながまだ仲間だった頃から、近藤・土方らと一緒だったんですね。
 
 
浪士組は京へ上る途中で分裂し、江戸へ戻る者も多かったのですが、試衛館のみんなは、京に残り壬生浪士組⇒新選組となっていきます。
 
 
新選組は、会津藩主で京都守護職の松平容保(かたもり)の下で、京都の治安維持に努めました。
 
 

 
 

新選組8番組組長として活躍する

 

 
藤堂平助は、新選組の8番組組長に任じられました。
 
 
彼は小柄だったのですが、腕前と持ち前の勝気さで、切り込み隊長のような役も引き受けていたようです。
 
 
「池田屋事件」のときは、近藤隊に属し、一番始めに突入していきました。
 
 
池田屋では、不逞浪士を何人か切り伏せましたが、戦いの最中に額を斬られて、その血が目に入ってしまいます。それからは戦闘不能となりましたが、傷は軽症ですみました。
 
 
新撰組隊士として人を斬ることに慣れていくうちに、彼は、これからもずっとこんな状態でいいのか疑問を持つようになってきたのです。
 
 
それから、近藤がもっと多くの隊士を募るために江戸へ行く際、平助は一足先に立ち、友人の伊東甲子太郎(かしたろう)に会いに行きます。
 
 
伊東は、剣士としての腕前もなかなかで、教養や学問も修めている文武両道に優れた人物でした。
 
 
そして、伊東は、確固とした「尊王攘夷派」の思想を持っている人だったのです。
平助は、そのことを知りながら、強く伊東を新選組に誘いました。
 
 
平助の誘いに応じる形で新選組に入隊した伊東は、入隊するとすぐに近藤に頼りにされ、参謀的な役割を担うようになりました。
 
 
でも、近藤勇は、将軍様大尊敬のバリバリの佐幕派です。
付き合っているうちに尊王攘夷派の伊東は、新撰組と思想的に意見が対立するようになります。
 
 
そして、1867年、伊東は天皇の陵墓を守る役人の御陵衛士(ごりょうえじ)になり、それを口実にして、新選組から円満離党しようとします。
 
 
あくまで今後も新選組を支えるという名目で、同じ志を持つ者を、新選組から引き抜き「高台寺党」を作ったのです。うまいこと抜けましたね。さすが、頭いいです、この人。
 
 
このとき、藤堂平助は、伊東とともに新撰組を離脱したのでした。
 
 
 
その後、薩摩藩に近づく様子を見せていた伊東が、密かに近藤の暗殺を企てたといわれます。
 
 
この情報は、当時、高台寺党に潜入していた斎藤一からの情報で、近藤たちに露見したという説があります。
 
 
とにかく、近藤たち新選組は、先に伊東の暗殺を実行したのです。
 
 

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油小路の変

 

 
そして、1867年11月、近藤らは伊東甲子太郎を宴に誘い、お酒を飲ませて酔わせた上で、帰り道に襲って斬殺したのです。また、こういうやり方したんですよね。
 
 
伊東の遺体は、配下の高台寺党をおびき出すため、わざと京都・下京区の油小路の交差点にそのまま放置しました。
 
 
その知らせを聞いた高台寺党の隊士が、屯所の月真院からすぐさま駆けつけます。
 
 
しかし、そこには、待ち構えていた新選組の隊士たちがいたのでした。
 
 
戦闘になり、高台寺党の3人が命を落としたといわれます。
 
 
そのうちの1人が、藤堂平助でした。
 
 
一説によると、近藤は、江戸からずっとともにいた平助だけは助けるようにと原田左之助らに指示していたそうですが、その指示を知らなかった他の隊士に斬られたといわれます。
 
 
近藤勇が、本当にそういう指令を出していたなら、ちょっと見直します。でも、新選組の試衛館からの仲間は、どんどん哀しい最期を遂げていくので、切ないです。
 
 
そういうところも、新選組が今、人気のある理由の1つかもしれません。

 
 


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