若き英才・薩摩藩家老・小松帯刀★持病の足痛と死因は?

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こんにちは。
 
 
薩長同盟は、犬猿の仲ともいわれていた長州藩と薩摩藩が仲直りし、長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷吉之助(隆盛)を代表として結んだ同盟です。
 
 
でも、この話合いは、始め薩摩藩邸で行われ、10日以上たってもどちらもむすっと黙り込んだまま、なかなか進まなかったといわれます。
 
 
その中を取り持ったのが坂本龍馬で、小松帯刀の屋敷に行って行われました。
 
 
坂本龍馬の仲介のもと、1月21日、小松帯刀の京の邸宅で、小松帯刀と西郷隆盛、桂小五郎が6か条に同意して、同盟が結ばれたのでした。(薩摩藩の参加者は、他に大久保利通、桂久武ら5人)
 
 
今回は、そんな幕末の薩摩のキーマン・小松帯刀についてお伝えします。

 
 

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島津久光に引き立てられ28歳で家老になる

 

 
小松帯刀(こまつたてわき)は、薩摩国鹿児島城下の喜入領主・肝付兼善(5500石)の三男として生まれました。
 
 
彼が表舞台で活躍するのは、西郷吉之助(隆盛)が尊敬していた島津斉彬が急死し、弟の久光が実権を握るようになってからです。
 
 
久光は、小松帯刀と大久保利通の能力を高く買い、側近として引き立てました。
 
 
吉之助は、久光の能力を散々けなしていますが、彼は、なかなか人を見る目はあったと思います。
 
 
小松帯刀は、久光の側近として、また、藩主(久光の息子)の後見人として、幕末動乱期の薩摩藩の運営を担当しました。
 
 
そして28歳という若さで家老職に就任し、大久保利通らとともに積極的に藩政改革に取り組んだのです。

 
 

禁門の変で薩摩軍を指揮

 

 
1864年、「禁門の変」(蛤御門の変)の際、幕府から出兵を命じられたとき、京にいた小松帯刀は始めは消極的でした。彼は、このころまで公武合体を念頭に置いていたようです。でも、朝廷からの勅命が下ると、薩摩藩兵を率いて幕府側の勝利に貢献しました。
 
 
彼の人柄がうかがえるのはが「禁門の変」の後、長州藩から奪取した兵糧米を、戦災で苦しんでいる都の人々に配ったことです。鷹司家(公家屋敷)に安易に火をつけた一橋慶喜とは、えらい違いですよ。
 
 
また、それから起こった「第一次長州征討」の後、長州藩の謝罪降伏にも力を尽くしていました。

 
 

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坂本龍馬と懇意になる

 

薩摩藩が坂本龍馬と関わり合うようになったのは、小松帯刀の縁でした。
 
 
小松は、勝海舟から土佐藩脱藩浪士の坂本龍馬とその塾生の面倒をみてほしいと頼まれたのをきっかけにして、坂本龍馬と知り合い、亀山社中(後の海援隊)設立を援助したり、その妻お龍の世話をしたのです。
 
 
1866年の「薩長同盟」は、京都二本松の小松帯刀邸で、龍馬の仲介のもと行われました。その翌年には、薩摩藩と土佐藩の盟約「薩土同盟」も成立させています。
 
 
1867年、大政奉還の発表の際にも、小松帯刀は薩摩藩代表として徳川慶喜に将軍の辞職を献策し、摂政・二条斉敬に大政奉還の上奏を受理するよう迫るという外交手腕を見せました。

 
 

明治政府の参与・総裁局顧問の公職に就任

 

 
明治維新後、小松帯刀は、これまでの交渉能力を評価されて、明治政府の参与と総裁局顧問の公職を兼務しました。
 
 
また、外交能力も高かったため、外国事務掛、外国事務局、判事などお兼務するという新政府の重要人物となりました。

 
 

病に倒れ35歳で死す

 

 
明治新政府が成立したころから、小松帯刀は糖尿病か痛風のような足の激痛に悩まされていました。
 
 
彼は10代の頃から病弱で、療養している時期もあったそうです。特に、持病の足痛はひどく、駕籠に乗る事が苦痛だったので乗物御免(乗り物免除)を願い出たほどでした。
 
 
大政奉還の後、藩論をまとめるために一次薩摩に戻ったところ、藩論自体は簡単にまとまったのですが、持病の足痛が酷ひどくなって、上京できる状態ではありませんでした。
 
 
1869年、彼はとうとう病気のため官職を辞し、オランダ人医師ボードウィンの治療を受けることに専念することになったのです。これで彼の政治生命は断たれました。
 
 
彼の足痛の原因は、通風または糖尿病と考えられています。
 
 
その後、肺結核とみられる病気にもなりました。でも、病状は悪化の一途をたどり、すでに手遅れでした。最期は左腹部に切除できない腫瘍が発生し、1870年に大阪で亡くなりました。
 
 
将来は総理大臣にもなれたかもしれない薩摩の逸材・小松帯刀は、志半ばでわずか35年の生涯を閉じたのでした。

 
 

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