篤姫を簡単に説明★13代将軍家定に嫁ぎ徳川家存続に尽くした薩摩の姫

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こんにちは。
 
 
今回は、第13代将軍・家定の正室になった篤姫(あつひめ)についてお伝えします。
 
 
篤姫は、「大河ドラマ」の主人公になるほどのドラマチックな人生を歩んだ女性ですね。
 
 
今回は、篤姫がどんな人だったのか、その全体像を簡単に説明します。

 
 

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薩摩藩主の娘として将軍・家定に嫁ぐ

 

 
篤姫は、薩摩藩主島津家の分家の娘の1人「於一(おいち)」として生まれました。
 
 
徳川家に島津の娘を嫁がせようと考えた藩主・島津斉彬は、彼女を養女にして、名を篤姫(あつひめ)と改めました。
 
 
さらに、将軍家に輿入れする際、公家の近衛家の養女となり近衛敬子(すみこ)と名を改めています。
 
 
家定との縁組には、将軍継嗣問題が絡んでいたという見方が、以前は一般的でした。
 
 
一橋派だった斉彬が篤姫を徳川家に輿入れさせて発言力を高め、一橋慶喜の次期将軍を実現させようと考えたと思われていたのです。
 
 
でも、この輿入れの話は、継嗣問題が持ち上がる前から準備されていたものだと、分かりました。ですから、今では「篤姫の島津家からの輿入れ構想そのものと将軍継嗣問題は無関係」とするのが定説となっているのです。
 
 
島津家の娘が将軍家に嫁ぐということは、11代将軍家斉に嫁いだ島津茂姫(広大院)の先例があり、家斉が長寿で子沢山だったことにあやかろうとしたのだそうです。
 
 
家定は、病弱で凡庸だと幕臣から悪口を言われることもありましたが、内気で内向的な優しい人だったのかもしれません。将軍家定と篤姫との夫婦仲は良好だったという記述が多く残っています。
 
 
彼は政治能力がなかったので、将軍としては使えない人だったかもしれませんが、いい人だったのでしょう。(そもそも将軍になりたがってなかったし)
 
 
でも、もともと病弱だった家定は、この動乱の時期に心痛が重なり、1858年に亡くなりました。死因は脚気ともコレラともいわれています。

 
 

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和宮の降嫁で姑的立場に!

 

 
24才の若さで夫に先立たれた篤姫は、天璋院(てんしょういん)と号し、次の将軍となった14代・家茂の養母として大奥に君臨することとなりました。
 
 
1862年、公武合体のうねりが起こる中、都から孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)が家茂の正室として嫁ぐことになりました。
 
 
篤姫と和宮の関係は、また別の記事に書きますが、この2人は、生まれた「家」が全く違うので、始めはいろいろな軋轢があったそうです。
 
 
武家と公家は、衣装も言葉もしきたりも、すべてが異なります。篤姫と和宮がというより、その2人の取り巻き連中の間でいざこざが頻発したのでしょう。
 
 
篤姫は、家茂の実母ではないのですが、大奥のトップに君臨していたので姑のような立場に見られがちです。
 
 
でも、実際はどうだったのか、それは2人にしかわからないことです。
 
 
家茂と和宮も、夫婦仲はとてもよかったといわれます。2人のやり取りした和歌などが残っているのです。
 
 
でも、家茂も、20歳という若さでこの世を去ってしまいます。家茂は第二回長州征伐の出向で、大阪で病で亡くなったのです。死因はこれまた脚気だといわれます。
 
 
家茂は京の都で和宮へのお土産に西陣織の反物を手に入れていたといわれます。和宮は夫の亡骸とともにそれを受け取ったのでした。

 
 

大政奉還後、徳川家の存続に尽力する

 

 
15代将軍になった慶喜の治世も長くは続かず、1867年大政奉還が発表されました。
 
 
その翌年に起こった戊辰戦争は、薩摩藩と徳川家が敵となった戦いです。薩長連合の新政府軍は、錦の御旗を掲げ、幕府軍(徳川)を追いたてました。
 
篤姫(天璋院)にとっては、実家と嫁いだ家とが敵になった戦争でした。
 
江戸城内では、篤姫を薩摩へ引き渡して徳川家存続につなげようとしますが、彼女はそれを断固拒否します。幕臣の勝海舟は、3日間説得を続けたそうです。
 
 
その後、篤姫は和宮と協力し、篤姫は島津に和宮は朝廷に、徳川家存続を嘆願して、江戸総攻撃をくい止めるよう働きかけたのです。
 
 
篤姫の長い長い嘆願書を読んだ西郷隆盛は、涙したといわれます。そして、1868年、江戸城無血開城がなされました。
 
 
明治維新後、篤姫は49歳で死去するまで、薩摩に戻らず16代徳川家当主となった徳川家達を養育して、静かな生活を営みました。
 
 
彼女は最後まで徳川家の女性として生きたのです。

 
 

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