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豊臣秀吉の側室であり、大阪の陣で豊臣家を滅亡へと導いたといわれる淀殿。
大河ドラマでも、ヒステリックで高慢ちきな典型的ワガママ女として描かれることが多いですが、本当のところはどうだったのでしょう。
個人的には、こういうタイプの女性、嫌いじゃないです、私。
徳川政権下の江戸時代では、完全に悪者扱いの彼女ですが、実は、室町時代の女性のように男女同権に近い考え方をしていて、現代女性にも近い社会観を持っていたように思います。
今回は、日本三大悪女の1人とも言われる淀殿の人物像を生い立ちと事例から考えます。
余談ですが、日本三大悪女の後の2人は、誰だと思いますか?
3人とも、ぜーんぜん「悪女」じゃありませんよ。
北条政子と日野富子です。
どちらかというと、3人とも権力者だった「夫」が亡くなったり役立たずだったりして、政治に介入するようになった女傑です。
日野富子は、私腹を肥やしましたけど。( ̄▽ ̄)
「日本三大○○」というのは、朝廷からみたものなんですね。それを皇国史観といいます。「見本三大怨霊」なども、そうですね。
淀殿の生い立ち
淀殿は、戦国大名・浅井長政と、織田信長の妹・お市の間に生まれました。
戦国大名の家に生まれた女性の定めとして、お市は政略結婚で、浅井に嫁ぎます。
浅井長政が治めていた北近江は、尾張と京都を結ぶ戦略拠点としての要所だったのです。
しかし、長政とお市の夫婦仲は、なかなか良好だったと伝えられています。
そして、その子供たち三姉妹「茶々・お初・お江」の長女の茶々が、後の淀殿となるのです。
有力大名家の浅井と織田の血を引きながら、戦国の世のならいで、三姉妹の人生も平穏にはいきませんでした。
始めの転機は、1570年、叔父の織田信長が浅井長政と同盟を組んでいた越前の朝倉家を攻撃したことから始まります。
この事件で浅井と織田は敵対関係になり、1573年に居城の小谷城は落城、浅井長政は自刃し果てます。(29歳)
このとき、長政の長男・万福丸は処刑されましたが、お市と茶々ら三姉妹は助け出されます。茶々は4歳でした。
織田信長が「本能寺の変」(1582年)で明智光秀に討たれると、お市は織田家の重臣であった柴田勝家と再婚します。
茶々たち三姉妹も、母・お市と共に、柴田の居城・越前の北ノ庄城に移ります。
しかし、その翌年、柴田勝家と羽柴秀吉の関係が悪化して、柴田勝家は「賤ヶ岳の戦い」で敗れます。お市はこのとき、勝家と共に自害する道を選びます。
浅井三姉妹(茶々・初・江)は、またまた敵である秀吉に救い出されるという皮肉なことになるのです。
豊臣秀吉の側室に
柴田勝家の城・北ノ庄城が落城した後、三姉妹は伯父にあたる織田長益(後の有楽斎)の庇護を受けて育ちます。
そして、1588年頃、に茶々は豊臣秀吉の側室となりました。
そして、捨(鶴松)(3歳で病死)、拾(後の秀頼)という2人の息子を産むのです。
今まで正室のお寧(ねね)をはじめ、多くの側女を持ちながら子供ができなかった秀吉との間に子供が生まれたことから、実は父親は秀吉ではないのではという噂は、当時からささやかれていました。
秀頼の実の父は、淀殿の乳兄弟の関係の大野治長ではないかと言われます。
しかし、一方で、お寧(ねね)は、まだ秀吉が足軽の頃に身ごもったことがあり、堕胎が原因で不妊になったという説もあります。そして、他の側室との間にも子供はできたけれど、なぜか幼くして亡くなっているのだという説も・・・。
もしも、その説が正しければ、秀吉にも子供を作る能力はあったということですね。
いずれにせよ、秀頼の母という立場になることで、茶々は淀殿として、次第に豊臣家の内政を支配するようになっていきます。
実は悲劇のヒロインだった
大阪の陣での淀殿の対応は、全く高評価できるところはありません。
相手があの徳川家康だったというのが、気の毒ですが。
そもそも、「大坂の陣」のきっかけは、家康が秀頼に促した方広寺の鐘銘事件です。
方広寺鐘銘事件~大坂の陣のきっかけは、鐘に刻まれた文字だった!?
家康にすれば、もう天下は自分のものなので、1大名としてなら豊臣家の存続をとりあえず認めてもいいよという考えだったのですね。
でも、淀殿と秀頼からすると夫(父)の家臣が何を言うかということで、到底受け入れることはできなかったのでしょう。
この後の「大坂の陣」の対応で、淀殿のヒステリックでわがままなイメージが定着してしまったといえます。
淀殿は、大阪の陣で、三度目の落城を経験します。
戦国大名の娘であり妻であり母であったとしても、これほど苛酷な運命に翻弄された女性は、他にはいないでしょう。
1度目は小谷城で父・浅井長政と兄を亡くし、2度目の北ノ庄城では母・お市を失くし、3度目の大阪城で息子・秀頼と共に自らも命を断つのですから。
北政所は、信長や家康とも良好な関係を築いた肝っ玉母さんだった!?