寺島宗則(松木弘安)・集成館事業を牽引し外交官として生きた薩摩きっての秀才

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こんにちは。
 
 
幕末の薩摩では、優秀な人材が多く活躍しました。藩主・島津斉彬が身分を問わず、優秀な人材を引き抜く人を見る目があったからです。
 
 
今回は、その中で、研究者から外交官に転身した薩摩の秀才・寺島 宗則(松木弘安)を、紹介します。
 
 
集成館でガス灯や電信などを実際に研究、発明したのは、もちろん多忙な藩主・斉彬本人ではありません。特別な理系秀才スタッフが、日々、集成館で実験研究を積み重ねて、それを斉彬に報告していたのです。
 
 
若くして斉彬に抜擢され、数々の実験開発に成功したのが、寺島宗徳、後の松木弘安でした。
 
 

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語学・医学・物理学に秀でた天才肌の学者

 

 
寺島宗則は、藩医だった伯父・松木宗保(医者)の養子となり、長崎と江戸で蘭学を学んで、20歳で薩摩藩医になりました。始めは松木弘安と名乗っていました。
 
 
島津斉彬が彼の才能を高く買い、薩摩の「集成館」で、ガス灯や蒸気機関車、写真機、電信機などの製作実験を任されるようになったのです。
 
 
彼はオランダ語が堪能だったので、洋書の専門書を読み解くのも楽勝でした。
 
 
彼がガス灯を成功させたのは、ガス灯が明治に普及する15年も前のことです。
また、電通の実験も成功させ、「電気通信の父」と呼ばれています。
 
 
忙しい斉彬は、集成館を訪れるたびに、寺島に自然科学の洋書の講釈を求めたそうですよ。
 
 

文久遣欧使節団の一員として欧州訪問

 

 
しかし、斉彬は急逝してしまいます。
次の藩主は、斉彬の異母弟・久光の嫡男・茂久が継ぎましたが、まだ若かったため、実権は久光が握りました。
そして、斉彬の「集成館事業」は、その後収束してしまったのです。
 
 
それでも、寺島は勉強を続けました。江戸に戻り、横浜で翻訳業をしながら自然科学の研究を続けたのです。
 
 
そして、1862年、30歳のときに、薩摩藩士として初の幕府の「文久遣欧使節団」の一員に選ばれました。福沢諭吉らと共に1年間ヨーロッパ視察に行ったのです。
 
 
そこで、寺島は、ある事に気づきました。それは、ヨーロッパでは、オランダ以外でオランダ語がほとんど話されていなかったということです。彼は、薩摩への手紙に、「もはや蘭学を教える意味なし」とつづっています。
 
 
福沢諭吉もこの少し前、横浜で外国人がほぼ英語ばかり話していたことに気づいています。
  ↓
【関連記事】福沢諭吉の生涯がわかる5つのポイント★年表で簡単つき!
 
 
一方のイギリスは、当時は産業革命下で、高度な文明都市に変わっていました。そうして、彼らは、外国からの学びをオランダからイギリスへと方向転換させたのです。
 
 
世界の中で、今後の日本の進む道を考えていくため、この視察は大いに得られるものがあったのです。
 
 

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「薩英戦争」が勃発し、外交官として活躍

 

 
寺島は帰国後、薩摩藩の船奉行をしていました。そのとき、「生麦事件」が起こります。
 
 
イギリス人が刺殺されたことから、イギリスは日本に対し「幕府と薩摩に賠償金」「犯人の処刑」の要求をつきつけました。
 
 
寺島は、このとき五代友厚とともに交渉役としてイギリス艦船に乗り込み、戦争交渉を担当します。イギリス船は、そのまま彼らを横浜港に拘留し、「薩英戦争」が始まってしまったのです。
 
 
この戦争で、港にあった斉彬の「集成館」の灯台が破壊され、火災で工場もかなり焼失してしまいました。
 
 
この「薩英戦争」の後始末で非凡な外交力を見せたのが、重野厚之丞です。彼も薩摩の重要人物ですよ。詳細は別記事でお伝えしますが、重野は敵国であるイギリスに対して、交渉の途中で妥協の光が見えると、一転して友好関係を築こうとしたのです。
 
 
そして、イギリスの交渉役ニールの意表をついて、賠償金を払う代わりに当時の最新兵器アームストロング砲を含む武器や軍艦を購入したい、そして、薩摩の若者をイギリスに留学させたいと要請したのです。
 
 
ニールはびっくりだったでしょうね。敵国と交わす交渉内容とは思えないほどです。海千山千のイギリス外交官の上を行く外交力ですよ。素晴らしいです。
 
 
重野は、外交官というより学者だったので、物事の本質を見る目を持っていたのでしょう。薩摩との戦争をこれ以上長引かせても得られるものはなく、あまりもめたくないという、イギリスの本心をうまく突いたのです。
 
 
そして、選ばれた総勢19名の「薩摩藩英国留学生」の中に、寺島と五代も入っていました。寺島32歳のときでした。
 
 
この留学は幕府に内緒(密航)だったのですよ。薩摩の国力の強さを物語っていますね。共に留学した五代友厚は、幕吏や攘夷派から逃れるために長崎に潜伏していたことがあり、そこでトーマス・グラバーと仲良くなっています。
 
 
彼らは、渡欧中、主としてイギリス外務省との外交交渉にあたりました。
 
 
1866年に帰国した後、寺島は外交官として条約改正に取り組み、外務卿・文部卿・元老院議長などを歴任しました。
 
 
そして、1893年(明治26年)、60歳で亡くなりました。
 
 

おわりに


薩摩藩は、鎖国中も独自のルートで清や調整半島と貿易を行っていた、日本でもっとも異文化交流のあった国(藩)です。
 
 
「先見の明」と「人を見る目」のあった島津斉彬のもとで、優秀な人材がたくさん輩出したとわかります。
 
 
「斉彬公はやっぱりすごいねー」という話で終わりそうなのですが、私は、斉彬亡き後の島津久光は、よく頑張ったと思います。
 
 
カリスマ藩主・斉彬の異母弟で「お由羅騒動」もありましたし、西郷隆盛を嫌っていたこともあり、後世のドラマでは、かなり意地悪く描かれることが多くて気の毒です。
 
 
薩摩の過激派下級武士からの突き上げが激しい中、後の明治政府の中枢となる政治家・大久保利通などを重用し、難しい激動の時代の中で、精一杯薩摩のかじ取りに尽力した人だと思うのです。
 
 

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