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こんにちは。
 
歴史上の人物には、終生ライバルだったという人たちがいます。
日本史では、上杉謙信VS武田信玄などが有名ですね!
 
 
近代ヨーロッパでは、オーストリアの女帝マリア・テレジアとプロイセンのフリードリヒ2世が終生ライバルとして戦いました。
 
 
この2人、隣国同士で、同じ年1740年に君主に即位しています。
 
 
私はオッサン嫌いで美女が好きなので、マリア・テレジアびいきでいきますよ~♪

 
 

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◆23歳の美貌のオーストリア女帝と28歳のプロイセン国王

 

【出典元:Wikipediaマリア・テレジア】

 
マリア・テレジアとフリードリヒは、同じ1740年に即位しています。
 
 
在位は、それぞれこうなっています。
 
 
マリア・テレジア:1740-1780
フリードリヒ2世:1740-1786

 
 
でも、マリアテレジアは1765年に最愛の夫フランツ・シュテファンが亡くなってから、終生喪服で過ごすようになり、息子のヨーゼフ2世に統治を譲りました。

 
 

◆始めに仕掛けたのはフリードリヒ2世

 

【出典元:Wikipediaフリードリヒ2世】

 
オーストリアに女の皇帝が立つというのに大反対したフリードリヒ2世は、周辺諸国に呼びかけ、オーストリアに攻め込みました。
 
 
そしてまんまとこの「オーストリア継承戦争」で、シュレジエンという穀倉地帯を奪い取ったのです。
 
 
女帝になってまもないマリア・テレジアを完全に見くびってなめてかかってますよ、このオッサン。
 
 
でも、マリア・テレジアは、そんじょそこらの女性ではありませんでした。
 
 
彼女は、23歳にしてすでに3人の子持ちで、当時も4人目妊娠中でありながらハンガリーで応援要請演説をし、ハンガリー軍を味方につけて応戦したのでした。

 
 

◆リベンジ戦「七年戦争」の勝敗は?

 

 
その後、オーストリアとプロイセンは、「七年戦争」を戦いました。
 
 
マリア・テレジアは、フリードリヒ2世を破るために、これまでの宿敵フランスと同盟を結びました。これが外交革命と呼ばれるものです。
 
 
この戦争は始めはオーストリアの優位だったのですが、同盟国のロシアの女帝エリザベータが病死し、次についだ頭の悪いピョートル3世が、フリードリヒのファンだったため、同盟が崩れてしまいます。
 
 
どうも、この時代の男たちは、フリードリヒ親父に啓蒙されているのが多いのです。
 
 
そうして、オーストリアは完敗ではありませんでしたが、シュレジエンを取り戻すことはできませんでした。

 
 

◆息子がフリードリヒの信者に?

 

【出典元:Wikipediaヨーゼフ2世】

 
マリアテレジアは、最愛の夫が亡くなった後、常に喪服を着て国策を息子に任せるようになりました。
 
 
その息子のヨーゼフ2世が、あろうことか「尊敬する人はフリードリヒ2世!」というおぼっちゃまだったのです。は、母の宿敵をーーー!
 
 
そして、フリードリヒもなんとなく友好的に働きかけるようになりました。
 
 
もう、女帝の国に戦争をしかけるのはこりごりだと思っていたでしょうし、次は自分のファンの「男子」(←ここ、超大事なポイント)だし、ということなんでしょう。
 
 
そして、プロイセンは、それからポーランドを一緒に分割しようよともちかけ、相談することになりました。
 
 
そうして、ロシアも加わって3国でポーランドを分割したのでした。
 
 
つまり、男の子に代替わりしたので、女嫌いのおっさんフリードリヒ2世は、これからはオーストリアと仲良くしてもいいよってなったのでした。(適当ですみません)

 
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◆宮殿対決!あなたのお好みはどっち?

 
 
マリア・テレジアとフリードリヒ2世には、それぞれ今も有名な宮殿がありました。なかなか建て物に2人の性格が表れていておもしろいですよ。
 
 
マリア・テレジアの宮殿は、シェーンブルン宮殿です。

         ↓

 
室内装飾は、とってもゴージャス!煌びやかです。
 

【出典元:Wikipedia】

 
 
シェーンブルン宮殿は、すべての部屋を合計すると1,441室もある大豪邸です。両翼の端から端まで180mあるという、めちゃくちゃ立派で荘厳な宮殿なのです。
 
 
今でも、オーストリアで一番人気の観光地なのだとか。
 
 
市民の憩いの場となっている公園とマリアテレジアの時代に作られた動物園は、大幅に大きくなって今も顕在です。
 
 
一方、フリードリヒ2世の宮殿は、サン・スーシ宮殿は、もともと夏の離宮でした。

     ↓
【出典元:Wikipedia】

 
【出典元:Wikipedia】

 
ですから、こじんまりしていて、平屋建てで装飾面が比較的少なく、外装はかなり質素なんです。部屋数は10しかありません。
 
 
室内装飾は、フリードリヒ流ロココスタイルで、繊細優美です。

 
 

◆おわりに


マリア・テレジアとフリードリヒ2世のライバル対決は、それこそ、「越後の龍・甲斐の虎」と同じく、完璧な勝敗はつきませんでした。
 
 
力が拮抗していたからこその、ライバルなのかもしれませんね。
 
 
でも、やっぱり領土的にはフリードリヒに軍配が上がると私は思います。
 
 
穀倉地帯シュレジエンを奪ったままですし、マリア・テレジアの息子(後継ぎ)を啓蒙してしまいましたから・・・。
 
 
この2人、宮殿の好みにも個性の違いが出ています。
 
 
フリードリヒは隠れ家風
マリアテレジアは華麗な御殿

 
 
あなたのお好みの宮殿はどちらでしょう?

 
 
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