この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。


 
1789年のフランス革命勃発後、フランスの政局は、大混乱に陥っていました。
 
 
そのとき、すい星のごとく現れ、またたくまにヨーロッパを征服し、そして消えていったナポレオン・ボナパルト
 
 
民衆が人権に目覚めた革命の時代だったとはいえ、血統を重んじる風潮のあるヨーロッパで、これだけ短期間に権力を握るというのは、ただ者ではありません。
 
 
ものすごーくカリスマ性のあった人なのでしょう。
 
 
今回は、フランスの英雄ナポレオンが、どのようにフランス史に登場し絶頂期をむかえたのか、ちょうど1805年ぐらいまでの出来事を中心にお伝えします。
 
 
後半生はこちらに⇒★ナポレオンの最期・没落のきっかけはロシア遠征?

 
 

スポンサーリンク

◆ナポレオンの簡単な経歴

 

【出典元:Wikipediaナポレオン】

 
ナポレオン・ボナパルトは、1769年にフランスのコルシカ島で生まれました。
 
 
コルシカ島は、イタリア半島西にあるフランス領の島なので、イタリア系の人が多いです。ナポレオンも、パリの貴族とはかなり毛色の異なる黒髪黒い眼、背が低いラテン人です。
 
 
フランス貴族からみたら、めっちゃ田舎もんの貧乏貴族の子だったのです。
 
 
彼が自分の卓越した能力を思う存分発揮できたのは、彼の才能はもちろんのことですが、フランスがまだフランス革命後のぼろぼろな状態だったというのが大きいのです。

 
 

◆天才児だった?ナポレオン

 

 
ナポレオンは、子供のころから成績優秀のとても賢い子でした。15歳の時にパリ士官学校に入学するのですが、普通は卒業まで4年かかるところを、1年という短期間で飛び級して卒業したのだそうです。
 
 
数学が得意な理系エリートだったそうですよ。
 
 
でも、当時はクラスリーダーのような立場ではなく、背が低くコルシカ島独特のなまりがあったため、クラスメイトから田舎者扱いされて、馬鹿にされていました。
 
 
なので、クラスではいつも静かにしていて、ずーっと一人で本を読んでいたそうです。

 
 

◆フランス革命の混乱から生まれたナポレオン政権

 

 
1789年に起こったフランス革命は、国王ルイ16世を処刑して「絶対王政」を倒しました。でも、その後は、すごく不安定な状態が続いていたのです。これまで政治にかかわったことのない人たちが、政権を握ったのですから、これは当然です。
 
 
1794年に起こったテルミドール9日のクーデタによって恐怖政治をしいたといわれるロベスピエールが捕らえられ、フランスは、穏健派のテルミドール派が総裁政府を樹立していました。
 
 
でも、当時は、革命の動きに大反対している周辺の絶対王政国家からは軍事的な圧力がかかり、国内でも反革命の暴動が起こって、内外ともにめちゃくちゃ不安定な政情が続いていたのです。
 
 
そこに彗星のごとく登場したのが、ナポレオン・ボナパルトでした。
 
 
彼は軍隊に入って、1796年のイタリア遠征でオーストリア軍を破り、さらにカンポ・フェルミオ条約を結んでイタリア北部の領土などを獲得、フランスに莫大な国益をもたらしたのです。
 
 
彼は「戦争の達人」で、実際に、周辺各国の軍事干渉を食い止めたフランスの「英雄」でした。ちょっと源義経を彷彿させますね。こういう人は、強い民衆の支持を受けます。
 
 
もう革命に疲れ、生活の安定を望んでいた民衆は、ナポレオンによる国内の安定を望んだのです。
 
 
1799年、ナポレオンはブリュメール18日のクーデターで総統政府を倒し、新たに統領政府を立ち上げて第一統領の地位についたのです。
 
 
この軍事クーデターによって、市民の力によって行われた「フランス革命」は終わり、「英雄による独裁」が始まったのですした。

 

スポンサーリンク


 

◆皇帝ナポレオンの誕生

 

【出典元:Wikipedia皇帝ナポレオン】

 
ナポレオンは、1804年5月国会の議決と国民投票で、今後ナポレオンの子孫に世襲で帝位を継がせるという皇帝の地位につきました。
 
 
そして、1804年12月2日、即位式を行って「フランス人民の皇帝」に就いたのです。(フランス第一帝政)
 
 
とうとう「英雄」から「独裁的統治者」にレベルアップですよ!
 

 

◆「ナポレオン法典」とは?

 
 
「ナポレオン法典」は、1804年3月に、ナポレオン1世が制定した民法典です。全文は2281条に及びます。
 
 
その内容は、「私的所有権の絶対」、「個人意志の自由」、「家族の尊重」を基本原則とし、身分編・財産編・財産取得編の3部からなります。
 
 
この「ナポレオン法典」は、その後のヨーロッパ各国の民法に大きな影響を与えたのです。
 
 
この法典は、もちろんナポレオン自身も参加して編纂されました。
 
 
そして、所有権を中心とする封建的秩序に対するブルジョアジーの勝利を確定させたところにその意義があるとみられています。

 
 

◆ナポレオンの簡単年表


・1769年(1歳)
 フランス領コルシカ島で誕生
 
・1784年(15歳)
 パリ士官学校に入学し、わずか1年で卒業
 
・1793年(24歳)
 砲兵士官として入隊後、大尉になる
 
・1795年(26歳)
 パリ・ヴァンデミエールの反乱を鎮圧
 国内軍司令官に就任
 
・1796年(27歳)
 始めの妻・ジョゼフィーヌと結婚
 
・1799年(30歳)
 国内でクーデターを起こし新政府を樹立
 
・1804年(35歳)
 「ナポレオン法典」を発表
 
・1804年(35歳)
 国民投票でフランス皇帝に就任
 ナポレオン1世の誕生
 
・1805年(36歳)
 トラファルガー海戦でイギリスに敗れる
 
・1805年(36歳)
 アウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシア軍に勝利。
 パリに凱旋門を建てる。
 
・1806(37歳)
 ライン同盟成立
 神聖ローマ帝国を消滅させる
 
・1810(41歳)
 オーストリア皇女と結婚
 
・1812年(43歳)
 ロシア遠征で完敗する
 
・1814年(45歳)
 ヨーロッパ各国に攻め込まれパリ陥落 
 エルバ島に島流し
 
・1815年(46歳)
 エルバ島脱
 再びフランス皇帝になる
 
・1815年(46歳)
 イギリス軍に敗れ「百日天下が終了
 
・1821年(51歳)
 南大西洋の孤島セントヘレナ島に島流し
 病死

 

【関連記事】
   ↓


 

 

 

スポンサーリンク