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こんにちは。
 
西洋美術で「印象派」といえば、あなたは誰を思い浮かべますか?
 
 
とりあえず、世界史の授業で押さえるべきはマネ・モネ・ルノアール
「マネ・モネ・ルノアール」と、呪文のように覚えたのを覚えてます。
 
 
この3人の中で、マネはいちばん知名度が低そうなのですが、実はこの人こそが印象派のキーパーソンなのです。
 
 
そして、印象派の中で私のいちばん好きな画家です。
 
 
印象派のぼやぼやした光がいまいちな私にとって、マネの「明るい黒」、ぱきっとした色使いはとてもすっきり美しく感じるのでした。
 
 
それでは、今回は「お金持ち炎上画家」マネの生涯についてお伝えします。

 
 

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印象派までの西洋絵画の流れ

 

 
移ろいゆく光の変遷を追い続けたモネがもっとも「印象派」らしい画家なら、マネは「印象派の父」と呼ばれる画家です。
 
 
なぜそう呼ばれると思いますか?
 
 
それには、まず、近代以降の西洋絵画の流行の移り変わりを押さえておきましょう。
ルネサンス以降の西洋絵画の流れを大雑把に分けるとこうなります。
 
 
バロック
 ↓
ロココ
 ↓
新古典主義
 ↓
写実主義
 ↓
印象派

 
 
印象派は写実主義の反動として発展していった画派です。そして、当時、大きな権威だった国家が定めた展覧会「サロン」(官展)に反発する形で個展を開いた画家たちの集まりだったのです。
 
 
伝統を打破し、新しい芸術を模索した人たちです。
 
 
そして、マネは、伝統的な絵画では考えられない新しいモチーフの絵を描いて、大炎上を引き起こた画家でした。だから、彼は「印象派の先駆け」「印象派の父」と呼ばれるのです。
 
 
マネは、確かに印象派のリーダーでした。でも、彼は全部で8回開かれた「印象派展」には一度も出品していません
 
 
画壇に新風を巻き起こした画家にもかかわらず、彼は自分の絵は正統(メジャー)なものだという自負があり、あくまで「サロン」(官展)入選にこだわったのでした。
 
 
そんなマネの画壇で大炎上した2つの絵画をご紹介します。

 

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伝統を打破したスキャンダラスなマネの絵画

 

 
マネが「印象派の父」と呼ばれるのは、彼がこれまでの伝統を無視した作品を「サロン」に出展したからです。
 
 
西洋の芸術は、描き方もモチーフも堅苦しい決まり事がわんさかありました。
 
 
権威が認めた伝統的な芸術から外れた作品が「サロン」(官展)で認められることは、めったになかったのです。
 
 
マネはその伝統を打ち破り、破天荒な絵画を出品したのでした。

 
 

(1)「草上の朝食」

 

 
1863年、マネはこちらの「草上の昼食」(当初は「水浴」という題だった)という作品を「サロン」に出品しました。
 
 
この絵画は、ルネサンス期のラファエロの「パリスの審判」(を下敷きにしたライモンディの作品)とティツィアーノの「田園の合奏」という作品のいわばパロディです。
 
 
ルネサンス期以降、女性の裸体が描かれた絵はたくさんありましたが、それらは「女神」や「歴史上の事物」というお約束があり、けっして目の前にいる「現実の女」ではなかったのです。
 
 
(どっちでもいいじゃんと思いますが、キリスト教社会はこういう建前の多い社会なんですよ。)
 
 
「草上の昼食」は裸体の女性の手前、バスケットのそばに彼女が脱ぎ捨てた「衣服」が描かれています。
 
 
その服の描写でこの女性が肉体を持った現実の女性だとわかるので、これはとんでもない「不道徳」な絵だと猛烈に批判されたのでした。
 
 
堅苦しい決まりだらけの「サロン」にこれを出品したというところがマネのさすがなところですね。生活に困らないお金持ちだからできたことですよ、多分。
 
 
この作品は、パリの芸術家や批評家たちの間で大炎上し、それ以降の西洋絵画史に大きなな影響を及ぼす作品になったのです。
 
 
マネのこの作品をオマージュした画家の中には、モネ、セザンヌ、ピカソなど巨匠もいます。
 
 
1866年に、モネはマネの当作品を意識して同じ題名(水浴)の絵を描き、セザンヌは1870年頃にマネに対抗して「草上の昼食」を描きました。
 
 
また、1960年頃にピカソがマネの当作品に自身の解釈を込めて「草上の昼食」を描いたのもよく知られています

 
 

(2)「オランピア」

 

 
1865年、マネは「サロン」(官展)に「オランピア」という作品を出品しました。
 
 
この作品は「サロン」で入選したんですよ。
 
 
でも、また「現実の裸体の女性」を描き、しかもその対象が「娼婦」だったことでまたまた炎上したのです。
 
 
この絵の女性が娼婦だというのは、まず「オランピア」という呼び名が当時の娼婦の通称だったこと、サンダルを履き首にひもを結んでいること(←娼婦らしい装い)、黒人の召使の女性が客からのプレゼントと思われる花束を持っていることなどから明らかでした。
 
 
この頃のパリは、売春が大流行していた時代で、西洋画の隠語で黒猫は「女性器」を意味するものでした。
 
 
つまり、「絶対娼婦だろ!」とわかるような絵だったわけです。伝統的な絵画のルールから見ると、かなり挑発的なモチーフですよ。
 
 
この「オランピア」も画家たちに大いに影響を与え、パロディやオマージュとなる作品がたくさん作られました。
 
 
ちなみに、この裸体の女性のモデルは、「草上の昼食」など他にもマネの絵のモデルになっているプロモデルのヴィクトリーヌ・ムーランという女性です。
 
 
彼女はドガロートレックのモデルも務め、これで生計を立てられるほどだったそうですよ。かなり知的な女性だったらしく、彼女自身ものちに絵の勉強をして画家になっています。

 
 

エドゥアール・マネの生涯を簡単に紹介

 

 
マネは、1832年にフランスのパリで生まれました。
 
 
父親は高級官僚という裕福なブルジョア階級で生まれ育ったマネは、貧乏知らずの一生でした。
 
 
当時の画家は貧乏なイメージがありますが、彼は全くそうではなく洗練されたお洒落なパリジャンだったのです。
 
 
「印象派の父」と呼ばれることもあり「印象派」に分類されることが多いですが、彼自身はモネやルノワールなど印象派のメンバーたちに慕われてはいましたが、「印象派展」には一度も参加しませんでした。
 
 
礼儀正しくいつもきちんとした身なりをしていたため、知人友人たちからも「上品な紳士」と思われていたようです。
 
 
18歳のとき、大反対の父をなんとか説得して画家になる道を選びました。(パパは息子に法律家になってほしかったそうです)
 
 
マネはしっかりした美術に対する考えを持っていて、ばっちり伝統的な古典を学んだ上で、それらのテーマ(神話、聖書、歴史など)を拒否し、実際のパリの現実的な人々の暮らしを描いた画家です。「守」「破」「離」ができてます。
 
 
でも、それは伝統を重んじる当時の「サロン」(官展)ではセンセーショナルな出来事でした。
 
 
マネのサロンに出品した作品は大炎上を起こし、権威的なサロン(官展)や批評家からさんざんけなされたのでした。
 
 
実際、炎上を起こしたのは故意ではなく、マネは自分の新しい画風を「サロン」などの旧体制の権威に認めてもらいたかったのですけど。
 
 
さんざん非難されてマネはがっかりしますが、その一方、彼の新しい風はのちの「印象派」と呼ばれる若い画家たちの尊敬を集め、慕われていきました。
 
 
マネの絵は若いころは全く売れなかったのですが、もともと資産家で父親の莫大な遺産を受けとったこともあり、生活苦とは無縁の生活ができました。
 
 
食べるために「売れる絵」を描く必要のなかったお金持ちのマネは、自分の考えを貫き通し、晩年には世間的にも認めらるようになったのです。
 
 
そして、49歳のときとうとう「サロン」で2等賞に選ばれたのでした。その後、「レジオン・ドヌール勲章」という勲章も受賞されています。
 
 
でも、彼はそのころには糖尿病とその合併症(足の壊疽)に苦しみ、病状は深刻でした。
 
 
そうして、51歳で病でその生涯を閉じました。

 
 

マネの簡単年表


・1832年(0歳)
1月23日フランス、パリで誕生。
 
・1848年(16歳)
画家になりたいと父に訴えたが退けられる。
 
・1850年(18歳)
父親を説得して画家のトマ・クチュールに弟子入り。
 
・1861年(29歳)
サロンに「スペインの歌手」が初入選。
 
・1862年(30歳)
父親死去。多額の遺産を受け取る。
・1863年(31歳)
シュザンヌ・レーホフと結婚。
「草上の昼食」制作。
問題作として取り上げられる。
 
・1865年(33歳)
「オランピア」制作。
娼婦をモチーフにしたため、さらに大炎上する。
スペインへ行きベラスケスの作品に感銘を受ける。
 
・1867年(35歳)
「パリ万博」に出品を拒否され自費で個展を開く。
 
・1870年(38歳)
普仏戦争が勃発。
家族を非難させ国防軍に入隊。
 
・1871年(39歳) 
家族と共にパリに戻る。
 
・1872年(40歳)
画商ポール・デュラン・リュエルがマネの作品を30点購入。
「サロン」に入選。
 
・1880年(48歳) 
糖尿病による体調悪化。
 
・1881年(49歳)
「サロン」で二等賞を受賞。
 
・1882年(50歳)
 レジオン・ドヌール勲章受章。
 
・1883年(51歳)
4月30日、死去。

 
 
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