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こんにちは。
 
 
薩長同盟の仲介をした明治維新成功の功労者の1人といわれる坂本龍馬
 
 
歴史に特に関心のない人でも、ほとんどの人がその名を知っているという超有名歴史人物ですね。
 
 
その坂本龍馬の愛刀の1つが今回ご紹介する「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」でした。
 
 
最近、正式に「本物」と認定された刀剣ですよ。

 
 

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坂本龍馬の刀剣・打刀「「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」

 

 
 
坂本龍馬の愛刀「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」は、江戸、元禄時代に活躍した刀匠・吉行に作られた刀剣です。
 
 
彼は大坂で修行した後、坂本龍馬の故郷の土佐に招かれて鍛治奉行となり、たくさんの刀を生み出しました。
 
 
坂本龍馬は、先祖伝来の「陸奥守吉行」を兄から譲り受けて、とても大切にしていたといわれます。
 
 
実は、坂本龍馬は数十本「刀剣」を所有していたそうです。「日本刀」はもちろん「武器」なのですが、「お守り(守り刀)」、「芸術品」としても高い価値があったのです。
 
 
土佐の下級士族出身とはいえ、坂本龍馬の実家は裕福な商家でしたし、本人も商いで儲けていて経済的には豊かだったのでしょう。
 
 
そんなにたくさんあった名刀の中からこの一振りを取り上げたのには、もちろん意味がありますよ。

 
 

「陸奥守吉行」は坂本家の「家宝」だった!

 
(出典元:http://jin115.com:刀剣乱舞のキャラは龍馬のイメージ)
 
「陸奥守吉行」は、もともと坂本家の家宝でした。ですから、所有していたのは嫡男の龍馬の兄です。
 
 
でも、坂本龍馬は大政奉還、江戸幕府の終焉と進んでいくこの時期に、兄の権平に手紙を出して、坂本家の「家宝」を自分に譲ってほしいと頼んだのです。
 
 
いきさつの詳細は不明ですが、兄がそれを承諾して、「陸奥守吉行」は坂本龍馬の手に渡りました。
 
 
1867年11月、坂本龍馬は京都の「近江屋」で暗殺されてしまいます。
 
 
その日、彼が持ち歩いていたのがこの打刀「陸奥守吉行」だったのです。
 
 
坂本龍馬は、まず急襲を受けて額に一撃を食らってしまいます。そのときに慌てて「床の間」に置いていた「陸奥守吉行」に手を伸ばしました。
 
 
でも、それが敵に背を向ける形となり、背中を斬りつけられます。その後、龍馬は「陸奥守吉行」を手にしますが、鞘から抜く暇はなく、鞘のまま敵の襲撃を受け止めようとし、刀が滑って頭を叩き斬られてしまったのです。
 
 
この3度目の攻撃が致命傷となり、彼は絶命したと伝わります。
 
 
「陸奥守吉行」は坂本龍馬が最期に手に握っていた刀剣なのでした。
 
 
大正後期になり、坂本家の「床の間」の刀掛の写真に「3本の刀剣」が飾られているのが見つかりました。
 
 
その写真の3本の刀を「高知県立坂本龍馬記念館」で調査したところ、その中の1本が「京都国立博物館」に所蔵されている坂本龍馬の愛刀「陸奥守吉行」と同じものと確定したのです。
 
 
それまで本物か疑問視されていた刀剣だったのですが、2016年に実物と判明され、今も「京都国立博物館」に現存しています。
 
 
レプリカもちょっと高価な感じですが、龍があちらこちらに施されていて、すごくかっこいいです。
 
 
坂本龍馬ファンに人気の刀剣なのも納得なのです。

      

 
 
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坂本龍馬の「銃」は高杉晋作からもらったもの!

 

 
「時代は拳銃せよ!」のセリフが効いてる「とうらぶ」の陸奥守。
 
 
坂本龍馬は生涯に2丁の拳銃を所持していました。
 
 
彼が始めに手に入れたのが、高杉晋作が上海に留学した際に入手したのをもらい受けた銃「スミス&ウエッソン社製S&Wモデル2アーミー33口径」です。(もう1丁は薩摩藩から賜った「S&Wモデル1」
 
 
坂本龍馬が1866年の「寺田屋事件」で拳銃を使った事はよく知られています。寺田屋で龍馬の身を守ったのは、この高杉にもらった拳銃だったのです。
 
 
でも、この銃は「寺田屋事件」で6連弾の弾をすべて使い切った後、逃亡するときに紛失したといわれています。
 
 
このレプリカ、本物みたいにかっこいいですね。

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坂本龍馬についてはこちらをどうぞ⇒★坂本龍馬の一生を簡潔に!「年表付き」
 
 
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