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こんにちは。
 
ここでは、今までに書いた日本刀の記事をまとめています。
 
 
2018年9月28日から京都国立博物館で特別展「京のかたな」が開催されますよー!
 
 
おすすめですよー!!!
 
 
その展示情報などは(ほとんど「とうらぶ」コラボ刀剣についてですが)こちらに。

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日本刀は歴史ロマンとともに鑑賞したい

 
 
刀剣と刀工、刀剣と所有主との間には、歴史ロマンあふれる逸話が存在します。
 
 
たまーに「刀剣乱舞」の審神者(さにわ)目線になりますが、そこはご了承ください。
 
 
たいてい記事の下のほうだけですので・・・
 
 
私は武器としての刀にはそんなに興味はなく(居合をしてみたいとかはない)、
 
 
歴史の重みを感じる古い刀剣やスピリチュアルなものを感じる霊剣の伝説を知るのが楽しいのです。
 
 
日本人が使った最も古い刀剣は、縄文・弥生時代の遺跡から出土されています。
 
 
日本独自の発展を遂げたのは飛鳥・奈良時代で、「上古刀」と呼ばれる反りのない真っすぐな刀(直刀)が登場しました。
 
 
平安時代に、日本の刀剣は大きな変化の時代を迎えます。
 
 
刀剣が直刀から湾曲した独自の形態へと変化していったのです。
 
 
平安中期には毛抜形太刀(けぬきがたたち)が登場し、一挙に「湾刀」の時代になりました。
 
 
そのはじまりの太刀の形の例は、こちらの春日大社所蔵の藤原頼長の命で打たれたにゃんこの絵柄の太刀(たち)です。

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京の都では、帝や貴族たちが高価な装飾がほどこされた美しい「太刀(たち)」を作らせ、儀式のときに腰に佩(は)くようになりました。
 
 
まずは、そんな古い平安時代の刀工の手による刀剣からご紹介します。

 
 

「三条派」~京の刀のはじまり

 
 
三条宗光(さんじょうむねみつ)
 
 
彼は平安中期、藤原道長の時代、一条天皇の御代に山城国(京都)三条に居を構えた小鍛治でした。
 
 
彼の作刀した刀剣は、ほとんど現存していません。
 
 
三日月宗近(みかづきむねちか)
小狐丸(こぎつねまる)

 
 
三条宗光とその弟子は「三条派」と呼ばれます。「鶴丸国永」を作刀した五条国永も、彼の弟子だったと伝わりますよ。
 
 
三条宗光の刀剣はこちらです。

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「源氏」ゆかりの刀剣たち

 
 
平安時代末から鎌倉時代にかけて、武士勢力が拡大していきました。「源平の争乱」が起こり、武器としての刀剣の需要が高まったのです。
 
 
刀工たちもその要求にこたえるため、優秀な作品を生み出しました。
 
 
太刀(たち)以外に短刀や薙刀(なぎなた)が作られるようになり、茎(なかご)には「作者銘」の他に国名・紀年銘なども刻まれました。
 
 
そうして、大規模な刀工流派が成立していったのです。
 
 
この時代に生まれた刀工・安綱(やすつな)などが日本刀工系譜の始祖となります。
 
 
「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」は、源頼光が酒呑童子(しゅてんどうじ)を斬った伝説の太刀です。

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武士の時代を築いた源氏の刀剣は、数々の鬼・妖怪退治伝説を持つ源頼光の時代から伝わるものが現存しています。
 
 
「童子切」の他にも酒呑童子の子分の茨木童子の腕を切り落とした「髭切」、土蜘蛛退治をした「膝丸」があります。「髭切」と「膝丸」は「二振一具(ふたふりひとそなえ)」、ふたつでひとつの刀剣ですが、今はそれぞれ別の京都の神社仏閣に所蔵されています。
 
 
京博の特別展「京のかたな」にも出展されますよ。

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「源平の争乱」の初戦、1180年に以仁王(もちひとおう)に従って戦った源氏の長老・源頼政の刀剣をご紹介します。
 
 
源頼政は宇治の平等院で自害しましたが、彼は若い頃から文武両道で知られ、御所に現れた怪物・鵺(ぬえ)退治をした弓の名手としても知られます。
 
 
頼政が鵺退治をしたとき、帝から褒美としていただいたのが、こちらの「獅子王(ししおう)」という太刀です。

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太刀(たち)から打刀(うちがたな)の時代へ

 
 
太刀は馬上での戦いがメインだった時代、腰に佩(は)いて(つるして)馬に乗りながら抜きやすい形に作られていました。
 
 
戦国時代に入ると、戦闘様式が変わり徒歩戦がメインになっていきます。
 
 
そうして、新形式の「打刀(うちがたな)」が登場したのです。
 
 
打刀は私たちが歴史ドラマでよく見かける戦国大名や江戸時代の武士が使う長い刀です。
 
 
太刀(たち)と違って、腰に差して携帯します。
 
 
そして、大刀と小刀、打刀(うちがたな)と脇差(わきざし)の二本を腰に差すようになりました。
 
 
「太刀(たち)」と「打刀(うちがたな)」はどちらも大刀(長い刀)です。
 
 
太刀(たち)は使い勝手が悪いけど、名刀なのでなんとか使いたい、それで太刀から打に刀に磨り上げる(作り変える)こともよくありました。
 
 
打刀の「へし切長谷部」は、始めは太刀の中でも特別大きい「大太刀」だったと伝わります。

 
 


 
 

天下人たちの刀剣コレクション

 
 
名刀と伝わる価値のある刀剣は、天下人のもとに集まるようになります。
 
 
「永禄の変」で討たれた13代将軍・足利義輝は、剣豪と呼ばれるレベルまで剣技を極めた将軍でした。
 
 
彼は、たくさんの名刀を集めてコレクションしていた将軍です。
 
 
義輝が討たれた後、その名刀たちは次の天下人の手に移りました。
 
 
織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉などの「刀剣コレクター」のもとに。
 
 
それらの中から、有名な刀剣をいくつかご紹介します。

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新選組・幕末の志士の刀剣たち

 
 
幕末の京都は、町中で堂々と斬り合いが行われる危険な場所でした。
 
 
「攘夷志士を取り締まり、京の町の治安警察のような役割をしていた「新選組隊士」にとって、切れ味のよい刀は必須です。
 
 
組長クラスになると、数本の立派な打刀を常備していたそうですよ。
 
 
近藤勇の虎徹(こてつ)が有名ですが、虎徹は名刀中の名刀で、「虎徹を見たら贋作と思え」といわれるほど贋作の多い刀でした。
 
 
近藤の虎徹も贋作とほぼ確定されています。
 
 
その他の新撰組隊士の刀、そして、坂本龍馬が「近江屋」で暗殺されたそのときまで持っていた坂本家家宝の刀剣をご紹介します。
 
 
土方の刀剣は現存しているものが多いですよ。

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【記事を書くとき参考にした図書】

 

 

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