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今回は、新選組「鬼の副長」土方歳三の所持していた刀剣についてお伝えします!
 
 
副長の愛刀は・・・
 
・和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)
・葵越前康継(あおいえちぜんやすつぐ)
・大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)
・堀川国広(ほりかわくにひろ)

 
と伝わりますよ。
 
 
人気沸騰ゲームの「刀剣乱舞」では、打刀の中で最も有名な「和泉守兼定」と脇差の「堀川国広」がコンビで登場します。
 
 
今回は主にこの二振りを中心に、武士の二本差し・打刀と脇差についてお伝えします。
 
 
他の刀剣についてはこちらにくわしく書きました!⇒★土方歳三の4つの魅力と4振りの「刀剣」

 
 

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「打刀」と「脇差」の違いをスッキリさせよう!

 

 
日本刀には、いくつか種類があります。
 
 
江戸時代になると、武士は打刀(うちがたな)と脇差(わきざし)という大小二振りの刀剣を腰に差すようになりました。それで、この二振りは「二振りセット」で作られて売られることが多くなったのです。
 
 
江戸時代は平和な社会だったので、実用性だけでなく対になるように二振りに装飾を凝らしたものなど、芸術性の高い刀剣がたくさん作られるようになりました。
 
 
また、優れた刀剣は資産価値も高かったので、単なる武器ではない高価な物も多くあったのです。

 
 

「打刀」とはどういう日本刀?

 

 
「打刀(うちがたな)」は、時代劇などで武士が斬り合いをするときに使っているあのもっともポピュラーな長い日本刀です。
 
 
長い刀には「太刀(たち)」と呼ばれるものもありますが、「太刀」は主に馬上合戦用の刀剣で、もっと古い時代に使われていたものです。
 
 
「打刀」は主に徒戦(かちいくさ)用の刀
で「太刀」より反りが弱いのが特徴です。幕末に実践で使われていたのは、主にこの打刀でした。
 
 
「太刀」と「打刀」の見分け方は、体に対して「銘」を外側にして帯刀したとき、刃が下を向いているのが「太刀」(または元「太刀」)で、刃が上を向いているのが「打刀」です。
 
 
展示会で飾れるときも「太刀」は刃が上向き、「打刀」は下向きに飾れる違いがあります。

 
 

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「脇差」とはどんな日本刀?

 

 
 
約30cm以上60cm以下の刀剣のことを「脇差(わきざし)」と呼びます。
 
 
一言で脇差といっても、かなり長さに違いがあり、形も時代によってはやりすたりがありました。
 
 
つまり、「短刀」のような短いものからかなり長い「打刀」のようなものまでいろいろあったのです。
 
 
時代劇の武士の姿を思い浮かべると、公の場に出るとき、武士は左腰に「大小二振りの刀」を差していますね。
 
 
この二振りが「打刀」と「脇差」です。「打刀」は「大刀」、「脇差」は「小刀」とも呼ばれました。この二振りは共に帯刀するので、2本セットで作られ売られることが多かったのです。
 
 
大小二振りの刀を差すことを認められていたのは主に武士だけだったので、町人は武士のことを「二本差し」と呼ぶこともありました。
 
 
「短刀」は武士以外の身分の者も持つことができました。だから、時代劇で町人同士の殺人などが起こるとき、使われる刀(合口)は短いですね。

 
 

打刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」

 

「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」は、見た目と実力両方を兼ね備えた当時最先端のおしゃれな「打刀」でした。この日本刀はもともと「太刀」でした。
 
 
土方歳三の愛刀「和泉守兼定」は、二尺三寸一分六厘の長さの刀剣で、会津兼定11代目(12代目とも)の和泉守兼定が京都で作ったと伝わります。
 
 
でも、近藤勇が土方の義兄・佐藤彦五郎にあてた手紙に「和泉守兼定」は「二尺八寸」と書かれたものも残っているのです。
 
 
また、現存している土方歳三の「和泉守兼定」には「慶応三年二月日」の「銘」が切られています。つまり、「池田屋騒動(事件)」の後に作られたということですよ。
 
 
このように、いろんな事を考え合わせると、土方歳三は複数(二振り?)の「和泉守兼定」を所持していたと考えられます。(「刀剣乱舞」の兼定は「土方歳三資料館」に現存する刀剣のほう)
 
 
「和泉守兼定」は「刀剣乱舞」のファンだけでなく一般の日本刀好きな人からも人気の高い刀剣です。
 
 
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脇差「堀川国広(ほりかわくにひろ)」

 

 
「堀川国広」は「脇差」で一尺九寸五分(約60cm)の長さの刀で、江戸時代の山城国の刀工・堀川国広作の名刀です。「脇差」としては長いほうです。
 
 
上半がのたれ互の目、下半が直刃に堀川肌と確認できる肌立つ波文をしており、堀川国広作と伝えられます。
 
 
でも、堀川国広は名工中の名工です。彼が打った日本刀は幕末でもすごい高値で取引されていたので、大名クラスでも入手困難といわれる名刀でした。
 
 
だから、土方歳三が所持していた「堀川国広」はおそらく「贋作」だったと一般には思われています。
 
 
土方歳三が「函館戦争」で戦死した後、「堀川国広」は行方不明になりました。
 
 
その後の行方は、いくつか説がありますが、裏付けはされていません。

    
 

 
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まとめ

 

 
新選組副長・土方歳三には四振りの愛刀があった
 
 
(1)和泉守兼定
(2)堀川国広
(3)葵越前康継
(4)大和守源秀國

 
 
「和泉守兼定」は現在、東京都日野市の「土方歳三資料館」が所蔵しています。一方、「堀川国広」は現存していません。
 
 
「和泉守兼定」は「土方歳三資料館」で毎年、土方歳三の命日にあわせた4月~5月に公開されています。
 
 
聖地めぐりをされる方は、このときに行って本物に会ってみるのはいかがでしょう?
 
 
また、葵越前康継は「佐藤彦五郎新撰組資料館」に、大和守源秀國は「霊山歴史館」に現存していますよ。
 
 
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