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今日は「新選組」1番組組長・沖田総司の使っていた日本刀をご紹介します。
 
 
沖田総司は、新選組でもすごく強かったといわれる隊士です。
 
 
よく知られる得意技が「三段突き」なので、スピードが凄いのです!
 
 
実際、史実でも「新選組でいちばん強い剣士は?」という問いに必ず名前が挙がる人でもあります。
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めっぽう強い沖田総司!その「刀剣」の名前は?

 

 
若いのにめっぽう強かった沖田総司。彼の愛刀としてよく知られているのは・・・
 
 
加州清光(かしゅうきよみつ)
大和守安定(やまとのかみやすさだ)
菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)

 
です。すべて「打刀(うちがたな)」です。
 
 
このうち、加州清光大和守安定はしっかりした逸話が残っていて、ほぼ沖田総司の所持していた刀剣と確定されています。(信ぴょう性は高いけれど100%ではないらしい)
 
 
加州清光は廃棄され、大和守安定は所在不明なので、沖田総司の刀剣は、今のところ全て現存していません
 
 
一方、もう一振りの菊一文字則宗は、ほぼ創作(沖田の刀剣ではなかった)と判断されています。
 
 
そして、沖田の日本刀は残念ながらすべて現存していません
 
 
では、それぞれの刀剣の特徴を見ていきましょう。

 
 

(1)打刀「加州清光(かしゅうきよみつ)」

 

 
「加州清光(かしゅうきよみつ)」は、沖田総司が1864年の「池田屋事件」のときに活躍した刀剣です。
 
 
その後、修復することができず、主より先に役目を終えました。ですから現存していません
 
 


 
「池田屋事件」の日、新選組は「近藤隊」と「土方隊」の2組に分かれてパトロールをしていました。
 
 
池田屋に乗り込んだ沖田総司ら「近藤隊」は、近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助ら精鋭10名で、対する攘夷志士は20人以上でした。
 
 
この戦いは規模は小さかったのですが、たいへん激しい斬り合いになりました。沖田の愛刀「加州清光」は刀の先が折れ、ひどい刃こぼれをおこしてボロボロになってしまったそうです。
 
 
「池田屋事件」の後、沖田総司は「加州清光」を修復してもらうため鍛冶屋に持って行ったのですが、修復できないと突き返されてしまったそうですよ。おそらくその後すぐ、この刀剣は廃棄されたのでしょう。
 
 
沖田総司の「加州清光」は、一般的には加賀(金沢)の6代目・藤原清光の作とされています。
 
 
6代目清光は鍛冶場を失い「非人小屋」に入所して鍛刀を行いました。それで「非人清光」と呼ばれるようになった高名な名工でした。
 
 
「非人」は江戸時代の身分制度の底辺ですが、彼はそういう身分だったのではなく、天災で金沢の鍛冶町が被災してしまったため、困窮町民が避難する河原の非人小屋で暮らしていたのです。でも、生活に困窮していたのは確かでしょう。
 
 
今は刀剣はブームなので、レプリカがたくさん販売されていますよ。
 
 
「加州清光」は赤と黒のコントラストがたいへん美しい華やかな刀剣です。

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(2)打刀「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」

 

 
1864年の「池田屋事件」まで使われていた「加州清光」が役目を終えた後、沖田総司は「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」という打刀をよく使うようになりました。
 
 
「大和守安定」は、江戸時代に作られた武蔵国の刀工の作品です。斬れ味の高さで高く評価される刀で、近藤勇の「虎徹(こてつ)」とよく似た特徴をしていたので、近藤局長を尊敬していた沖田総司が気に入ったとも伝えられます。
 
 
江戸時代は、銘刀の試し切りをするとき罪人の死体を固定して胴を斬ったのですが、たいてい2つか3つなのに、この刀は5つ胴を斬ることができたという逸話が残っています。
 
 
当時は沖田総司の他に、同じく新選組の大石鍬次郎、遊撃隊の伊庭八郎も愛用していました。
 
 
刀剣の姿は、黒ベースで全体的に「加州清正」よりクールですね。
 
「鍔(つば)」がモダンな感じのする形で、かっこいいです。
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菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)

 

 
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もう1つ、「菊一文字則宗」という有名な刀剣も、沖田総司が使っていたといわれます。でも、今のところこれは「間違い」とされていますよ。
 
 
「菊一文字則宗」は、鎌倉時代に後鳥羽上皇から「菊の銘」を彫ることを許された名工・則宗の作です。
 
 
めちゃくちゃ高価な逸品で、江戸から幕末にかけては大名クラスでも手にいれるのが難しいといわれた名刀だったのです。
 
 
それを新選組の一隊士が所持できたのかというと、おそらく無理だったでしょう。
 
 
司馬遼太郎(と子母澤寛)の作品からこれが沖田総司の愛刀だと広まり、もっともらしいエピソードつきで有名になったのですが、今ではフィクション(創作)と考えられています。
 
 
でも、この「菊一文字則宗」という刀剣は、菊を形どった鍔(つば)に白い柄(つか)がすごく美しいです。
 
 
この刀を司馬遼太郎の描く沖田総司が持っていたら、きっとすごく似合って素敵だなとー思えたりもするのでした。

 
 
 

まとめ

 

 
★沖田総司の刀剣といわれるものは全部で3振りあった
 
 
1.加州清光(かしゅうきよみつ)
 
2.大和守安定(やまとのかみやすさだ)
 
3.菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)

 
 
「加州清正」と「大和守安定」は、沖田総司の刀としてほぼ確実といわれるけど、「菊一文字則宗」はおそらく沖田の刀ではない!(司馬遼太郎などの創作)
 
 
「加州清正」は、「池田屋騒動」の際に使われた刀剣でそのときに再起不能になり、その後「大和守安定」が用いられたと伝わります。
 
 
どちらも名刀ですが、柄(つか)の色などかなり個性が違います。
 
 
そして、どちらも現存していません。(大和守安定は不明)
 
 
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