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こんにちは。
 
今回は、江戸っ子の職業について、お伝えします。
 
江戸は、手工業の町でした。
産業革命は、まだまだ先の話なので、家内制手工業、みんなが小さい商売をして、助け合って暮らしていたのです。
 
こういう社会は、今となっては理想なのではないかなと思います。
 
私も、自分の好きな物を売る、小さい商売をしたいな。(´・ω・)

 

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あれもこれも商売になる?江戸のおもしろ職業

 

 
江戸時代と一言で言っても260年も続いた社会です。
 
時の流れと共に、いろんな仕組みも変わっていったと思いますが、元禄から享保あたりのもっとも活気のあった時代は、働く気さえあれなば、仕事はなんとでもなったようなのです。
 
まず、江戸っこには、おせっかい気質がありました。
いい大人がぶらぶらして仕事をしていなければ、大家が放っておかなかったし、町内の人のつながりで、ぜいたくをいわなければ、なんらかの仕事につくのは簡単だったのです。
 
本人が選り好みをする場合は、ダメだったと思いますが…。
 
江戸には、こんな事が職業になるの?という不思議な仕事もあったようです。
江戸の風俗や事物の百科事典「守貞謾稿(もりさだまんこう)」には、当時の商売が200ほども載っていますよ。
 
それをよくよく見ると、職業が、凄く細かく分けられているのに気付きます。
それも、失業者が少なかった理由の1つでしょう。
 
例えば、野菜売りとして数10種類の野菜を売る人もいますが、茄子は「茄子売り」、大根は「大根売り」と、一種類の野菜だけを売ることも多かったのです。茄子は夏野菜なので、茄子売りは、他の季節には他の物を売りました。
 
天秤棒をかついで商うものは、春だけでも、そら豆売り、カツオ売り、トビウオ売り、新茶売り、自然薯売り、つけ梅売りなどがいます。
 
金魚売り、虫売りなどの小さな生き物(ペット)を売る人もいれば、調度や食器など季節を問わないものを売る人もいました。

 

「水売り」は江戸ではとても大切だった!

 

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私は時代劇が大好きで、よく見ているのですが、江戸は井戸が完備された社会だと思っていました。
 
長屋の真ん中に井戸があって、おばさんたちが井戸端会議をしている状況をよく見かけます。また、川から水を汲んで、生活用水にしているシーンもよく見かけます。
 
でも、そうではなかったようなのですよ。
 
飲料水が確保されなければ、都市は成立しないので、江戸には、神田上水と玉川上水が作られ、水道が確保されていました。
 
でも、1657年の「明暦の大火」の後、それまで居住区でなかった隅田川以東と神田川以北にも、住宅地が拡大されたのです。
 
隅田川に両国橋がかけられると、本所と深川が急速に開拓されました。
本所って、鬼平さんが若い頃にいたところですよ。
 
隅田川以東は、もともと海だった地域なので、井戸を掘っても海水が出てきます。飲料水には、できなかったのですね。
 
そこで、「水売り」の登場となるのです。
 
「水売り」が、神田上水や玉川上水の余り水のある地域から、場合によっては、途中まで舟で運んで、水を売っていました。水は重いので、かなりの力仕事だったようです。
 
それでも、すべてをカバーするのは難しかったので、本所や深川では、飲み水以外の生活用水・洗濯や銭湯には井戸水を使っていたそうです。
 
水は、毎日必ず必要なものなので、水売りは、売る大店や長屋と契約していました。

 

江戸庶民は、元手がなくても商売を始められた!?

 

 
江戸では、新しい商売を始めるとき、元手がなくてもできるケースが多かったようです。
 
職を失った誰かが、新たに商売を始めようと一念発起すると、仲間内に話を通し、「奉加帳」というものが回されました。
 
「奉加帳」は今でいうカンパ、募金に近い感じですね。これは、友人知人だけでなく、顔見知りの町内の商家などにも回されました。初筆は、町内の大きな商家などに頼み、大きな金額を書いてもらうのが習わしだったようですよ。
 
そして、「奉加帳」は個人的なケースだけでなく、町内で催し物をするときなどにもとられた募金システムでした。
 
現代では、銀行の融資を頼むことになりますが、江戸時代は、こんな風に身近な人たちに援助してもらえたのですね。
 
商売をするために、質屋でお金を借りる必要なんてなかったということです。
 
みんなが自分のために身銭を切ってくれて、うまくいくか心配してくれているとなれば、励みにもなりますね。
 
江戸は、人情がいろんなシステムに組み込まれた町だったと分かります。

 

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